嫌われ者の踏切の裏に鉄道の歴史あり 鉄道ファンの一歩奥行く『踏切天国』
#鉄道 #サブカルチャー
鉄道の車両を愛してやまない「車両鉄」、鉄道の車両や走行の様子などを撮影することに情熱を傾ける「撮り鉄」、鉄道が走る音を録って家で楽しむ「録り鉄」、そして鉄道に乗って、どこかへ出かけることに喜びを感じる、女子に人気の「乗り鉄」……。
日本国内には、数え切れないほど多くの鉄道ファンが存在し、思い思いに好きな鉄道のジャンルを追っている。そんな中、一歩先というよりは、一歩奥へ行く新たなジャンルが誕生した。
それが「踏切」ファン。
踏切と言えば、長時間待たされることが多く、ある意味、嫌われ者の存在である。
けれど、多くの人が愛する鉄道が、開通することになった歴史の始まりと同時に、踏み切りの歴史も始まる。そして、時に鉄道が廃止されても、踏切はそのまま放置されてしまったり、残されるケースも珍しくない。こつ然と現れる踏切や踏切跡には、しっかりとその歴史が刻まれている。
この本『踏切天国』では、第1章「踏切を通るのは電車だけではない」、第2章「踏切の先にあるのは?」、第3章「踏切にも事情がある」、第4章「産業遺産の踏切」、第5章「劇場型・萌え踏切」と題して、写真と文章をたっぷりと使い、88箇所の踏切を紹介している。
東京・銀座にある唯一の踏切――。
現在、ハイセンスなセレブの街として君臨する銀座のビルの谷間に、ひとつの踏切がぽつんと存在する。昔の面影を色濃く残し、その姿には歴史を感じるが、道路に面し、列車も通ってない場所なので、なぜここに? と首をかしげてしまうはず。
その理由は明治5年にまで遡る。この年、日本で初めての鉄道が開業され、それが現在の「汐留―桜木町」区間であったが、時が経ち、大正3年に東京駅が開業されると、一般の人向けではなく、貨物列車の荷降ろしや入れ替えをする貨物駅へと変化する。そして、時代とともに、買い物客でにぎわう銀座と、どこか泥臭い貨物駅が似合わなくなってしまったのか、昭和63年にその役目を終え、ついには消失してしまう。
けれど、昔の思い出を後世に伝えようと、近隣住民によって踏切は保存され、今に至る。
また、鉄道ファンでなくても楽しみやすい、単純に珍しくて面白い踏切も日本各地に存在する。
例えば、静岡県の浜松駅から徒歩30分ほどの場所にある踏切は、新幹線が通過する様子が見られる。通常、時速300km以上で走行する新幹線は、減速を余儀なくされる踏切とは無縁のはず。しかし、浜松市には東海道新幹線の車庫・工場があり、週5、6回のペースで、新幹線を移動させるときに踏切を通過していく。
そのほかにも、バス、船、そして飛行機の踏切もかつては存在していたなど、常識を覆す踏切が各地にあふれている。
車両、駅、線路と言った、鉄道に関する記録は膨大で、その著作も数え切れないほど多い。けれど、踏切はどうだろうか。今まで、特別注目されることもなく、その存在感は非常に薄い。
「大袈裟に言ってしまえば、本書には誰も記録しない鉄道の歴史の一側面である”踏切”を記録に残そうと試みたといえるかもしれない」。
そう語る著書の小川裕夫の言葉通り、この本は鉄道ファンにとって貴重な歴史書になりえるのかもしれない。次々と開拓される鉄道ファンの中のジャンルに、またしても、鉄道ファンの新たな歴史が幕を開けたのかもしれない。
(文=上浦未来)
●小川裕夫(おがわ・ひろお)
1977年、静岡県生まれ。大学卒業後、行政誌編集者を経て、フリーランスライターに転身。取材の主なテーマは鉄道のほか、地方自治・競馬・将棋・野球など。執筆のほか撮影まで担当。2007年9月から2008年5月までライター兼業でアイドルのマネージャーも。2008年6月から再びライター・カメラ専業に。主な著書は『日本全国路電車の旅』『全国私鉄特急の旅』(ともに平凡社新書)がある。
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