『男はつらいよ』の別エンディング? ”寅さん”の最期を描く『おとうと』
#パンドラ映画館 #笑福亭鶴瓶
鶴瓶が扮する鉄郎は、自由気ままに生きてきた”寅さん”的キャラクター。
フリーター層の将来を憂いた社会派ドラマでもある。
(C)2010「おとうと」製作委員会
藤子不二雄の代表作『オバケのQ太郎』は、ごく普通の少年・正太くんの家に居候する無芸大食漢でお人好しのオバケ・Q太郎が巻き起こす明るいドタバタコメディーだが、藤子・F・不二雄が1973年に発表した『劇画・オバQ』では大人になった正太と年をとらないQ太郎が15年ぶりに再会するという後日談が描かれている。久々の再会を喜び合う2人だが、結婚した正太の新居にはQ太郎の居場所はなく、自分がやっかい物であることを察したQ太郎は人知れず消えていくという苦い結末が待っている。『男はつらいよ』シリーズで知られる山田洋次監督の最新作『おとうと』を観終えて、『劇画・オバQ』を思い起こした。『男はつらいよ』の主人公”永遠の旅人”寅さんの最期を、リアリズムで描いたのが『おとうと』なのだ。
『男はつらいよ』の愚兄・寅次郎(渥美清)としっかり者の妹・さくら(倍賞千恵子)の関係が、『おとうと』では女手ひとつで薬局を営む姉・吟子(吉永小百合)と関西で大衆演劇の役者を目指している弟・鉄郎(笑福亭鶴瓶)に置き換えられている。第1作『男はつらいよ』(69)の寅さんは社会生活になじめない粗暴な男だったが、シリーズ化されていくことで、次第に旅にロマンを求め、甥っ子の満男(吉岡秀雄)らに恋愛指南する人格者になっていった。だが、『男はつらいよ』の変奏曲である『おとうと』の鉄郎は、寅さんが先祖帰りしたようなキャラクターだ。下品で、酒癖が悪く、吟子の娘・小春(蒼井優)の結婚披露宴を台無しにしてしまう。その上、ギャンブル好きで金銭感覚にだらしなく、同棲相手(キムラ緑子)からお金を騙し取る鼻つまみ者だ。寅さんは国民的人気キャラクターになることで”粋な自由人”として美化されていったが、エリート医師との結婚生活をダメにされた姪っ子・小春の視線で見れば、鉄郎のような放浪者は人生の落伍者、疫病神にしか映らない。
心優しい姉の吟子は、小春の披露宴での鉄郎の失態は好意の空回りとして許すものの、同棲相手の蓄えにまで手を出していたことを知ると、夫を失ってから苦労して店のやりくりをしてきた吟子の怒りが爆発する。一度は姉弟の縁を切る吟子だが、別れ際で見せた鉄郎の顔色の悪さが脳裏から離れない。しばらくは鉄郎のいない、穏やかな日々が続くが、悪い予感ほど的中するもの。その後、鉄郎と再会を果たす場所は、身寄りのない重症患者を収容する大阪のホスピスとなる。『男はつらいよ』で描かれることのなかった放浪者の痛々しい最期が見せつけられる。
『おとうと』の小春(蒼井優)。エリート医師と
結婚するも、生活のスレ違いからあっさり離婚
してしまう出戻り娘役なのだ。
TVドラマ版『男はつらいよ』(1968~69年/フジテレビ系)の最終回で奄美大島に渡った寅さんはハブに噛まれて客死、柴又一帯は再開発され「とらや」も取り壊され……というシビアな結末を放送したところ、フジテレビに苦情が殺到。その反響の大きさから映画版『男はつらいよ』が制作されたというのは有名なエピソードだ。そのため、映画版のシリーズ最終作『寅次郎 紅い花』(95)では寅さんはまだスクリーンの中で旅を続け、柴又の人々は寅さんが帰ってくるのをいつまでも待ち続けているというファンタジックなエンディングとなっている。しかし、辛口の社会派ドラマである『おとうと』では、経済効率が最優先される現代社会に、もはや”寅さん”の居場所はない。姉の吟子はボケはじめた姑・絹代(加藤治子)と結婚に失敗した出戻り娘・小春の世話を焼くことで精一杯。その上、駅前にショッピングセンターが建てられ、個人経営の店舗は風前の灯だ。血を分けた弟のことが気にはなっていても、かまってやる余裕がない。寅さんには「とらや」があるが、鉄郎には帰るべき場所がどこにもないのだ。
鉄郎が最期の日々を過ごすのは、大阪のドヤ街にある「みどりのいえ」。東京の山谷地区にある民間ホスピス「きぼうのいえ」をモデルにしたもの。ホームレスをはじめとする身寄りのない人、行き場のない人たちのために、最期だけでも安心して過ごせるようにと02年に立ち上げられた特定非営利活動法人だ。入居者たちが受給する生活保護費で運営されている。入居者たちには個室が与えられ、リハビリに努める傍ら、約500本あるビデオライブラリーを自由に鑑賞するなどして残された日々を過ごすそうだ。中でも『男はつらいよ』シリーズは人気が高いらしい。鉄郎役の鶴瓶は、この「きぼうのいえ」を取材した上で15kgの減量に取り組み、やつれていく鉄郎を演じている。
山田洋次監督は『たそがれ清兵衛』(02)をはじめとする藤沢周平時代劇三部作で下級武士が組織の都合に振り回されながらも、家庭の中に幸せを見出す姿を描いているが、その一方では『男はつらいよ』の原型となったハナ肇主演作『馬鹿まるだし』(64)や『なつかしい風来坊』(66)、高倉健を主演に迎えた『幸せの黄色いハンカチ』(77)などで、社会からはみ出してしまった者へ常に温かい眼差しを送っている。山田洋次監督はプロフィール上では31年大阪府豊中市生まれとなっているが、父親が鉄道技師だったことから2歳のときに中国大陸に渡り、終戦後の47年に大連から引き揚げてきた外地育ちの苦労人だ。わずか13年で地図上から消えた”幻の国”満州国で思春期を過ごしている。いわば、故郷の喪失者。同年生まれで、やはり満州国で少年時代を過ごした水野晴郎先生が死ぬまで『シベリア超特急』シリーズにこだわり続けたように、山田洋次監督も繰り返し、繰り返し”理想の故郷”を描き続ける。寅さんのような放浪者を受け入れる寛容さのある社会こそが、山田洋次監督の思い描く理想郷だろう。
『おとうと』では小春が想いを寄せる電器屋の息子・亨(加瀬亮)が、小春の家の動かなくなったドアを修理しながら印象的な台詞を口にする。「腕のいい大工は、素材が軋むことも計算に入れて家を建てるもんなんだよ」。きっちり寸法通りに建てられた家は、見栄えこそ良くても家自体の重みで歪み、機能しなくなるのだと。人間社会も同じように、はみ出し者を許容できるような余裕がないと共同体として機能しないよ、という山田洋次監督からの婉曲なメッセージである。
映画はクライマックス、死期を悟った鉄郎を吟子は泊まり込みで看病する。リボンをお互いの手首に巻いて並んで眠るシーンは、市川崑監督の名作『おとうと』(60)へのオマージュ。リボンで結ばれた2人は、まるで一卵性双生児のようだ。世界中の誰よりも似た遺伝子を持って生まれながらも、美人の姉は明るい日なたの道を歩き、不器用な弟は日陰道を歩くことになった。一度は縁を切った不肖の弟だが、やはり弟を失うということは姉・吟子の心と体の一部分がそこなわれるということでもあるのだ。
芸人として身を立てるという夢も、家庭を持つこともできなかった鉄郎だが、自分の好きなことをひたすらやって生き、優しい姉に看取られて最期を迎える。幸せに彩られたバッドエンディングではないだろうか。もうひとりの”寅さん”の死を、山田洋次監督は厳粛さを持って見送っている。
(文=長野辰次)
●『おとうと』
監督/山田洋次 出演/吉永小百合、笑福亭鶴瓶、蒼井優、加瀬亮、小林稔侍、森本レオ、茅島成美、ラサール石井、佐藤蛾次郎、池乃めだか、田中壮太郎、キムラ緑子、笹野高史、小日向文世、横山あきお、近藤公園、石田ゆり子、加藤治子 配給/松竹 1月30日より丸の内ピカデリーほか全国ロードショー公開中 <http://www.ototo-movie.jp/>
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