ヒース・レジャーが最後に見た夢の世界 理想と欲望が渦巻く『Dr.パルナサスの鏡』
#映画 #洋画 #パンドラ映画館 #ジョニー・デップ
ヒロイン役のリリー・コールら若手俳優たちにアドバイスを送ったり、
演技がしやすいような段取りを考えるなど、献身的な態度を通していた。
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”映像の魔術師”の異名を持つテリー・ギリアム監督にとっても、渾身のマジックだろう。『Dr.パルナサスの鏡』で主人公トニーを演じたヒース・レジャーは撮影半ばで28歳という短い生涯を終えてしまったが、未撮影だった鏡の世界のパートを、ヒースと親交のあったジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人が演じ分けるという起死回生のミラクル演出によって、希代の名優ヒースの遺作として完成させたのだ。『Dr.パルナサスの鏡』は人間の抱く理想と欲望が二重螺旋となって渦巻く、切なくも美しい夢の世界が繰り広げられる。
ギリアム監督の『ブラザー・グリム』(05)にヒースが出演して以来、ヒースはオフ中に溺愛するひとり娘マチルダをデイパックに背負って、ギリアム監督宅を訪問するなど公私にわたる交流を結んできた。『ブロークバック・マウンテン』(05)での成功によって超売れっ子になったヒースだが、プライベート上の問題が重なり、ギリアム監督から届いた『Dr.パルナサス』の出演オファーを1度は断るも、その後、自分から直接ギリアム監督のもとに出向いて前言を撤回。「ケータリング係でもいいから参加させてほしい」と頼んだそうだ。
『Dr.パルナサス』がクランクインしたのは、『ダークナイト』(08)の撮影を終えたばかりの2007年12月。ヒース演じる記憶喪失の青年トニーがパルナサス博士(クリストファー・プラマー)を座長とする旅芸人一座に加わる実写パートのロンドンでの撮影を翌年1月19日に終え、トロントでの特撮パートに備え1週間の撮休に入っていた。悲劇が起きたのは1月22日。薬物の過剰摂取によるヒースの事故死という悲報が世界中に配信された。これまで『未来世紀ブラジル』(85)のエンディングを不本意な形で編集され、『ドン・キホーテを殺した男』(00)は天災に見舞われて製作中止、『ローズ・イン・タイドランド』(05)は母国アメリカで未公開処分に遭うなど様々なトラブルを経験してきたギリアム監督だが、主演俳優であり、自分のイマジネーションを具現化してくれる分身を失った衝撃はかつてないものだったはずだ。
アンチハリウッドのこだわり派として知られるギリアム監督の窮地を救ったのは、『ラスベガスをやっつけろ』(98)に主演し、ギリアム監督にとってもうひとりの盟友であるジョニー・デップ。『パブリック・エネミーズ』(09)の撮影スケジュールと重なり、わずか1日半しか撮影時間がなかったが、災い転じて名案生まれる。ジョニーだけでは補い切れないパートを、プレイボーイ顔のジュード・ロウ、やさ男顔のコリン・ファレルがそれぞれ違ったタイプの”女性から見た理想のイケメン像”として演じた。このアイデアによって心の中の主観映像は人によってまるで違うものという、より幻覚的なファンタジー映画へと昇華した。また、友情出演を果たした3人のイケメンは、自分たちのギャランティーを2歳になるヒースの娘マチルダにそのまま贈るという美談を残している。あまりにもドラマチックすぎる舞台裏だ。
『パブリック・エネミーズ』の撮影を控えていた
ジョニー・デップ。ギリアム監督作『ドン・
キホーテを殺した男』(未完成)で美人嫁
ヴァネッサ・パラディと出会ったという恩義を
忘れていなかった。
もうひとり、舞台裏のエピソードにいい意味でアクセントを加えたのが、トム・クルーズ。ヒースの代役をギリアム監督が探していることをイーサン・ハントばりの情報収集力でキャッチしたトムは自分から出演を申し込んだが、ギリアム監督は「ヒースをよく理解している本当の友だちに演じてほしい」と断っている。トム・クルーズにはなくて、ジョニー・デップたちが持っているものとは何か。ちょっと考えさせる逸話である。会見の場ではコメディ集団『モンティ・パイソンズ』の一員らしくジョーク交じりの発言で明るく振る舞うギリアム監督だが、創作活動においてはどんなに苦しい状況に陥っても譲れない一線があるということだろう。
『ブラザー・グリム』でマット・デイモンはヒースと兄弟役を演じていたが、マット・デイモンが童顔なこともあって、9歳年下のヒースのほうがむしろ人生経験豊富な兄のように見えてしまう。『アイム・ノット・ゼア』(07)では妻子との実生活と虚構世界に生きる俳優としての軋轢に悩むスター俳優を演じていたが、そこでのヒースも老成した雰囲気を漂わせ、ボブ・ディランの一面を演じているというよりも人生に苦悩し、疲れ切った本人そのものだった。
ヒースの死因は薬物の過剰摂取による事故死と判断されているが、『ダークナイト』でジョーカー役を演じてから1日2時間しか眠れない不眠症に陥っていたこと、『ブロークバック・マウンテン』で共演した女優ミシェル・ウィリアムズとの間に生まれた娘マチルダの親権を巡って争っていたこと、保険会社は自殺の疑いがあるとして支払いを渋っていることなどが次々とニュースで伝えられた。結局のところ、ヒースがひとりの人間としてどんな苦しみを抱えていたのかは他者には理解することはできない。ヒースは死に損ないの男トニー役を演じながら、人間の潜在意識を具象化する鏡の世界にどんな夢を見出していたのだろうか。
『バロン』(89)公開時のインタビュー(「キネマ旬報」89年8月上旬号)で、ギリアム監督はこう語っている。「ひどい世の中なら自分の頭の中で作り変えていかないといけない。現実と想像の世界の狭間でボクは常に闘い続けてきた。現実の世界に押し潰されそうになったとき、夢と想像力を使って世界を作り変え、現実に近づいてみるんだ」。ギリアム監督はただの夢想家ではなく、現実社会と闘う武器として映画表現を選び、その同士としてヒース・レジャーやジョニー・デップたちとスクラムを組んできたのだ。
ヒース・レジャーの抱え込んだ苦しみを100%理解することは不可能だが、現実社会の寒々しさを反映したバイオレンス作『ダークナイト』の撮影を終えた彼が、なぜ1度は出演を断ったギリアム監督作品に出演したのかは、察することはできる。ヒース・レジャーという名優のプロフィールの最後を、ギリアム監督の『Dr.パルナサスの鏡』が飾ったという事実は、あまりに切なく、そして美しい。
(文=長野辰次)
●『Dr.パルナサスの鏡』
監督/テリー・ギリアム 出演/ヒース・レジャー、クリストファー・プラマー、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレル、リリー・コール、アンドリュー・ガーフィールド、ヴァーン・トロイヤー、トム・ウェイツ 配給/ショウゲート 1月23日(土)よりTOHOシネマズ有楽座ほか全国ロードショー<http://www.parnassus.jp>
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