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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.47

市川崑監督&水谷豊”幻の名作”『幸福』28年の歳月を経て、初のパッケージ化

koufuku01.jpg著作権上の問題から、これまでパッケージ化されなかった幻の水谷豊主演作『幸福』。
市川崑監督が”銀残し”と称される現像処理で、子連れ刑事のくすんだ生活を描いている。
(C)2009 FLME/フジテレビ

 2009年にピックアップしそびれた作品を紹介したい。市川崑監督、水谷豊主演の映画『幸福』(81)が28年の歳月を経て、11月に初DVD&ブルーレイ化された。劇場公開後、短縮版が一度テレビ放映されたきり、ビデオ化、DVD化されなかったことから、”幻の名作”と呼ばれていた作品だ。08年に亡くなった市川崑監督と言えば、『犬神家の一族』(76)、『悪魔の手毬唄』(77)といった”金田一耕助シリーズ”でスタイリッシュな映像美を繰り広げ、岩井俊二、庵野秀明ら後進の映像作家たちに多大な影響を与えた名匠。

 本作はエド・マクベインの原作小説をベースにした刑事ドラマだが、コン・マジックと称されたスタイリッシュさは控えめ。妻に家を出られたヤモメ刑事・村上(水谷豊)が2人の子どもたちの世話に翻弄されながらも捜査を進めるうちに、幸福の意味について思い知るという極めて地味な内容となっている。だが、市川監督の手練の演出は鍛え上げられたボクサーが放つジャブのように、観る者の心にびしっびしっと響いてくるのだ。

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 刑事の村上は仕事が忙しいことを言い訳に家庭を顧みなかったため、妻は8歳の娘と5歳の息子を残したまま家を出て1カ月が経つ。泥の付いたジャガイモを洗濯機で洗う長女の実用的な考えに村上が感心していると、長女は「お父さんみたいに格好つけていないだけよ」と暗に母親の実家に頭を下げに行かない父親の態度を責める。足でドアを閉めた息子を「母親の教育がなっていない」と咎めると、いつもはケンカばかりしている姉弟は口をそろえて「お母さんの悪口を言うな!」と父親を非難する。子育てに悪戦苦闘している状況でも事件は待ってくれない。古本屋で3人の男女が射殺される事件が発生し、女性被害者は同僚の刑事・北(永島敏行)の婚約者・庭子(中原理恵)であることが判明。復讐を誓う北と共に、村上は捜査という形で社会の暗部にずぶずぶと足を踏み込んで行く。

 黒澤明監督の『天国と地獄』(63)でも知られる推理作家エド・マクベインの『クレアが死んでいる』が原作だが、ミステリーといよりもダスティン・ホフマン主演の『クレイマー、クレイマー』(79)を意識した親子ものだ。市川崑監督が子役っぽい演技を嫌っていたため、子役たちは棒読み調の台詞回しだが、それもまた市川美学。安易に泣かせに走らない、抑制の効いた演出となっている。それでもなお、水谷豊に子役たちが絡むシーンは、擦りたてのワサビのように鼻の奥までツーンとくる名シーンぞろいだ。長女は母親気取りで弟の世話を焼き、息子は拾って来た子猫を飼いたいと駄々をこねる。子どもたちは自分たちが保護者になることで、自分たちを残して母親が消えてしまった事実を忘れようとする。

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 冒頭ですぐに殺されてしまう庭子は大学で社会福祉を学んでいただけでなく、恵まれない家庭を訪ねるボランティア活動もしていた”天使”のような女性と描かれているが、庭子もまた幼い頃に母親に棄てられていた。その心の傷を埋めるために社会福祉に情熱を注いでいたのだ。彼女が亡くなってから、そのことを知った北刑事は、酔い潰れて村上に難癖をつけることしかできない。さらに庭子が生活保護の虚偽申請をするなど面倒を看ていた親子(市原悦子、川上麻衣子)が”幸福”という言葉の意味すら知らないドン底一家として登場する。村上は暗梁の中を覗き込んだような寒々しさを感じつつも、自分たち家族が置かれている状況はギリギリだが、まだ修復可能なことに気づく。

 やがて被害者のひとりが言い残した「ウロウヤ」というダイイング・メッセージの謎が解け、村上と北は容疑者を追って山陰へ向かう。村上は留守を任せる2人の子どもたちに「仕事がひと段落したら、レストランで美味しいものを食べよう」とおもねるが、子どもたちは「レストランに行きたくない」と泣きじゃくる。母親は2人をレストランに連れて行った翌日、家を出ていったのだ。レストランでごちそうを食べると大事な家族が1人ずつ消えてしまう、という幼心にインプリントされた恐怖。村上が容疑者を追い詰めている間、残された子どもたちも脆くて壊れやすい家庭を守ろうと懸命に闘っていたのだ。

 『幸福』がこれまでパッケージ化されなかった理由のひとつは、映画化とテレビ放映の許可しか原作者側と結んでいなかったためだが、エド・マクベインが05年に亡くなったことで再契約が進んだ。もう1つ、パッケージ化が遅れた理由は、本作のフィルムが”銀残し”という独特な手法で現像されていたため。市川崑監督は当初モノクロでの撮影を希望していたが、モノクロ作品ではテレビの放映権料が安くなることから、モノクロ的カラーである”銀残し”が用いられた。ただし、フィルム現像に非常に手間が掛かるため、今回のDVD化にあたってニュープリントを用意するのに半年を要したそうだ。一見、カラーでも構わないようなありふれた刑事ドラマだが、時折映し出される東京のパノラマは”銀残し”特有のくすんだ風景となっている。色褪せしやすいカラフルな”幸福”よりも、ちょっとくすんだグレイがかった”幸せ”の方がより愛しいというものだろう。

koufuku02.jpg09年10月に行なわれた完成披露試写に
水谷豊が来場。市川崑監督夫人・和田
夏十さんから「父親に見えた。よかった
わよ」と当時誉められたそうだ。

 『青春の殺人者』(76)に続く水谷豊主演作として撮られた本作だが、実はもう1人大事な主人公がいる。劇中、一度も姿を見せない村上刑事の妻である。ラストで村上は「うまくいくかどうか分からないけど、お母さんに一度会いに行くよ」と子どもたちに約束するが、妻が帰ってくるかどうかは結局明かされない。”妻の不在”の影が本作で大きな比重を占めている。

 市川崑監督の公私にわたるパートナーと言えば、脚本家の和田夏十(わだ・なっとう)夫人。労作『東京オリンピック』(65)完成後、夏十夫人は乳ガンを患い、脚本づくりから遠ざかっていた。『幸福』の次に市川監督が撮った『細雪』(83)の脚本に部分参加したのを最後に、『細雪』の完成を待たずに永眠に就いている。愛妻家の市川監督は夏十夫人が闘病生活から帰ってくることを願う一方で、”もしも”のことを予感していたのではないだろうか。先輩刑事(谷啓)に励まされながら、子どもたちと小さな家庭を守ることを決意する村上の姿は市川監督の当時の心境そのものであり、35年間連れ添った夏十夫人への映画越しの愛のメッセージのように思われる。

 夏十夫人は自分の葬儀の段取りを紙に書き残し、家中を整理整頓した上で旅立ったそうだ。市川崑監督が終生愛した女性らしい別れ方だ。不遜を承知で言わせてもらえば、市川監督は最愛の人を失った悲しみと同時に、最愛の人と出会え、共に仕事をし、生活を送ることができたという完了系の喜びも感じたのではないだろうか。

 幸せな生活の中にも不安の火種はくすぶっているし、不幸せな生活の中にも本人が気付いていない”幸せ”の予感が芽生えているかもしれない。市川崑監督が描いた”幸福”は、喜びと哀しみが混じり合った複雑な色味だ。
(文=長野辰次)

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原作/エド・マクベイン監督・脚本/市川崑 脚本/日高真也、大藪郁子 撮影/長谷川清 出演/水谷豊、永島敏行、谷啓、中原理恵、市原悦子、草笛光子、加藤武 発売元/フジテレビ映像企画部 販売元/ポニーキャニオン 価格/DVDハイブリッド版、Blu-ray版ともに7140円 現在発売中
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最終更新:2012/04/08 23:03
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