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日刊サイゾー トップ > カルチャー  > 「自分が弱いという気持ちだけは、誰よりも強かった」武田幸三 拳に宿り続けるもの
映画『マッハ!弐』公開記念インタビュー(前編)

「自分が弱いという気持ちだけは、誰よりも強かった」武田幸三 拳に宿り続けるもの

IMG_1203_f.jpg映画『マッハ!弐』公開イベントのゲストに呼ばれたサムライは、
穏やかな笑顔を浮かべて取材班を待っていてくれた。

 極限まで絞り上げられた肉体は「超合筋」と呼ばれ、決して折れない闘争心と殺戮本能は「ラストサムライ」の異名に相応しいものだった。キックボクサー・武田幸三。時に鬼神の形相で対戦相手を完膚なきまでに叩き潰し、時に打ちのめされても、相手を見据えたその両の眼だけは絶対に死ななかった男。

 2009年10月、アルバート・クラウスとの壮絶な殴り合いを最後に、武田はグローブを壁にかけた。現役を退いた今だからこそ、語れることがあるのではないか。「空前の偉業」と今でも語り草になっているラジャダムナン・スタジアムでのタイトル獲得、憧れ続けたK-1のリングでの不本意な成績、際限なく巨躯化してゆくK-1ヘビー級への思い、そして大きな議論を呼んだラストファイトのストップのタイミング……武田に聞いてみたいことは、いくらでもあった。

──まずは、14年間の現役生活、本当にお疲れさまでした。

武田幸三(以下、武田) ありがとうございます。

──引退試合から2カ月経ちました。今、どんな生活を送っているのでしょうか。

武田 K-1では引退式をやっていただいたんですが、来年の5月にキックのリングでも引退興行があるので、その準備をしています。

──今も身体を動かしている。

mach2_01.jpg映画『マッハ!弐』イベントでお笑いコンビ
ペナルティのワッキーと。その体型は現役
時代と変わらない。

武田 そうですね、前回の試合が終わってから一週間後にはもう練習を再開していました。現役中は、たとえば腹筋ひとつやるにしても、きつくなってからどこまでできるかがその日の練習なんですね。きつくなるまでは準備運動のようなもので。でもね、一週間後に練習を再開したときに、あ、きつい、さぁがんばろう、と思っちゃった自分に爆笑してしまいました(笑)。

──引退しても、やはり変わらないですか。

武田 軽い練習をしてもおもしろくなくて、結局いまは現役中とほとんど変わらない練習をしていますよ。

──引退試合のクラウス戦では、以前から痛めていた目の負傷が心配されました。ダメージはいかがですか。

武田 こればっかりは、なかなか完治しないみたいですね。日常生活にはギリギリ支障がないくらいです。

──あの試合、ストップが遅かったのではないかと大きな騒ぎになりました。

武田 (レフェリーの)角田さんは、僕の命を守ってくれましたし、それに加えて僕の男の誇りも守ってくれました。もっと早いストップだったら、僕は燃え尽きることができなかった。すべては角田さんにお任せしていましたし、角田さんにレフェリングをお願いしたのも僕。あのストップは僕のために遅らせてくれたので、逆にご迷惑をおかけしてしまったという思いがあります。

──現役時代について伺います。武田選手のキャリアで最初のインパクトとなったのが、ムエタイの母国タイで最高の権威がある「ラジャダムナン・スタジアム」でのタイトル獲得だと思います。当時、日本人がラジャのタイトルを獲るなんて、常識外の出来事でした。

武田 タイの国技、ですからね。自分は日本でチャンピオンになって、タイへ行った。野球で言ったら、日本のプロ野球で成功した方がメジャーに挑戦なさるのと一緒で、やっぱり発祥の地に自分の腕を試しに行きたかった。でも、最初はもう、レベルの違いがすごすぎて、同じスポーツとは思えなかったです。

──そんな世界最高峰の舞台で、頂点を極めました。自己分析なさって、なぜ武田幸三という選手はチャンピオンになれたと思いますか?

武田 基本的に、格闘家の方はみなさんそうだと思うんですけど、自分のことを「弱いんじゃないか弱いんじゃないか」って思ってるんです。そのために強くなろうっていう、その気持ちが、強かったのかな。

──その後、K-1に進出されます。武田選手がもともとキックの世界に入ったのは、K-1ヘビー級のブランコ・シカティックの試合がきっかけだったとか。

武田 そうですね。第1回の93年だったかな、大学のラグビー部の寮で試合を見て、次の日には部活を辞めてジムに行っちゃいました。

──そのK-1に出ることになって、いよいよスタートという思いでしたか。

武田 いや、もうキックもムエタイもやるだけのことはやっていたので、30歳くらいで引退しようかな、と思ってたんです。でもまた新たにK-1のMAX、70kgができたので、再チャレンジできるといううれしさがありましたね。

──K-1では、思うような成績が残せませんでした。ムエタイとK-1の違いというのは、どういうところにあるのでしょうか。

武田 やることは一緒なんですけど、すごく違うんですよね。10年くらいムエタイをやってK-1に入ったんですけど、もう身体にムエタイのリズム、戦い方が染み付いちゃっていましたからね。K-1のテクニックを身体に染み込ませることに時間がかかったというか、結局できませんでした。

──リズムですか。たとえばヒジ打ちのあるなしとか、ルールの違いというのは?

武田 それもありましたし、K-1は採点基準がほとんどパンチなんですよね。ムエタイの場合は蹴りなので、その違いも大きかった。

──それは、適応しようとしたけれど、できなかったという。

武田 そう、できなかった。それにもう31でしたし、身体もだいぶ痛んでいて。
後編につづく/取材・文=編集部)

●たけだ・こうぞう
1972年、東京都生まれ。95年、新日本キックボクシング協会でデビュー。01年、ラジャダムナン・スタジアムウェルター級王座獲得。03年よりK-1 MAXに参戦。強烈なローキックと右ストレート、愚直に前に出続けるファイトスタイルで人気を博す。09年、現役引退。

mach2_sub1.jpg『マッハ!弐』のトニー・ジャーについて武田さんは
「身体能力はすごいし、心もあるのでムエタイでも
いいところまでいけるのでは」と高評価。

●『マッハ!弐』
監督・原案:トニー・ジャー、パンナー・リットグライ/出演:トニー・ジャー、ソーラポン・チャートリー、ダン・チューポン、ペットターイ・ウォンカムラオ
2008年/タイ/98分/シネマスコープ/ドルビーデジタル/原題:「ONG-BAK2」/字幕翻訳:風間綾平/配給:クロックワークス
1月9日(土)より、シネマスクエアとうきゅう他にて全国ロードショー!
(c)2008 SAHAMONGKOLFILM INTERNATIONAL CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED
http://www.klockworx.com/movies/movie_82.html

マッハ !

まずはおさらい。

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最終更新:2009/12/21 11:43
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