なつかしく、おそろしく、死と欲望の詰まった”岡山”を読む『魔羅節』
#本 #岩井志麻子 #妖しき本棚 #田辺青蛙
「日本ホラー大賞短編賞」受賞の小説家・田辺青蛙によるオススメブックレビュー。
最初この本を手に取った時、凄いタイトルだなと驚いた。ペラリと1ページ目をめくり、目次を見てさらに仰天してしまった。「乞食柱」、「魔羅節」、「きちがい日和」、「おめこ電球」、「金玉娘」、「支那艶情」、「淫売監獄」、「片輪車」。これはヤバすぎる。本当に平成の世に出た本なのかと思わず我が目を疑って、発売年月日を確かめた。
「この作品は平成14年1月新潮社より刊行された」
明治でも戦前の昭和でもない時代に発行されたことが信じられず、何度もこの一文を確認してしまった。
岩井志麻子さんにお会いしたのは、私がまだ小説家としてデビューする前のことだった。現在は休刊中の「ようかいどうかわらばん」(やのまん社)という媒体でのインタビュー企画で、待ち合わせ場所に現れた岩井さんは、青いぴったりとしたセーターの上着にジーンズ姿だったように記憶している。
最初見た時、思ったよりも普通そうで、綺麗な人だなと感じた。横にはこれまた絵に描いたような、美人で秘書と思わしき人が立っていて、なんだかドキドキしてしまった。そして緊張気味な私を見るなり「あんたオタクじゃろ」と見抜いたあのセリフ……未だに耳にこびりついている。どうしてバレたんだろうと不思議に思いつつ、妖怪やホラーについてのお話を伺いながら、岩井さんの素敵な笑顔を見て、自分が男性でなくて良かったとホッとしていることに気が付いた。別れた後に、また会いたいとすぐ思ってしまうような人だったからだ。
私と岩井志麻子さんとは少しだけ共通点がある。1つは「ホラー小説大賞」からホラー作家としてデビューしたということ、もう1つは少なからず岡山に縁があるということだ。
私にとって、岡山は怖い土地だった。5歳の時、親が脱サラして商売をはじめたのと、妹が生まれたのを切っ掛けに、私は岡山に住む祖父母の家に預けられた。真偽についてはハッキリしない部分もあるので、詳しくはいえないけれど、そこは60代以上続く刀鍛冶の末裔の家だった。広い座敷の中心で、凄く怖い顔をした男たちは、刀の手入れをしている姿を見た思い出がある。
ある日のこと、祖父に手を引かれて近くを流れる吉井川の側まで散歩に行った。確か夕暮れ時で、川面がオレンジ色に輝いていたのを覚えている。煙草を取り出して、一本吸い終えると、祖父は目を細めて語りはじめた。
「エリナ(私の本名です)見てみ。大きな川じゃろ。この川に俺の親族みんな流されたんや。夜中にドンって花火が打ち上がる時みたいな音がしてな、バーンと部屋の壁が倒れて水が流れ込んで来おった。口ん中にも耳ん中にも泥やら水やらがワヤクチャに入って、上も下も分からんようになってしもうた。浮かんできた四角いもん……今思えば箪笥やったんやろか。それに掴まって上半身だけ水の上に出してな、やっと息が出けた。で、足を何かが強く引っ張っとるなーと思ったら、弟が顔を下にしたまま手で掴んどった。弟の名前を呼んで顔を上げさして……と思っとった矢先や、何か黒い水のうねりが来て弟を攫(さら)っていきおった。最後に弟が『お兄』って俺の事を呼んだ気がすんねんけどな、今思えば水の音がそう何かの拍子で弟の声を真似ただけかも知れん。姉やんも両親も全部この水が命を獲っていっきおった……」
祖父は私に手を合わせるように言い、近くに咲いていた白い花を毟(むし)って川に投げた。
「火や水を使う仕事や、砂鉄もずっとここで取って来た。川の側から離れてはよう住まん」
その晩私は高い熱を出し、祖父が何か凄く怖いことを言った気がするのだけれど、よく覚えていない。
風が吹くと、時折うなるような音を耳にした。祖母に、何故風があのような音を出すのかと問うと、「なわめの風」だと教えてくれた。何でもお城の生垣に風があたると、縄のように捩(ねじ)れてあのような音を出すという。
「なわめの風が吹くところには家を建ててはアカンよ、風が怒りよる。家が絶えてしまうけんね」
岩井志麻子さんの小説にも、これに似た話で家を建ててはいけない「ナメラスジ」というのが出てくる。暗く、現代の日本には似つかわしくない空気が漂う場所。そんなイメージが未だにある。無論、異を唱える人もいるだろうけど、少なくとも私にとって、岡山はそういう土地だったのだ。
この『魔羅節』は岡山を舞台とした、陰惨な話がみっしりと詰まっている。命は脱ぎ捨てられた靴下程度にしか扱われず、どん底の中で登場人物は、饐(す)えた臭いに塗れながら夢とも現ともつかぬ世界で生きている。
例えば、「乞食柱」は長患いの末に小蛇のトウビョウ様のお使いになったサトと、淫夢と共にやってくる乞食の話。「魔羅節」は雨乞いの為に生贄にされた過去を持つ、男娼の千吉と、栄養不足で青膨れた妹ハルの話だ。
祖父の話に戻るが、洪水で失った家族を、祖父はTという伯父に頼んで一度この世に呼び寄せてもらおうとしたことがあったらしい。
呼び寄せた死者が祖父に何と伝えたのかと、親族のものは皆聞いたらしいが、祖父は決して誰にも内容を告げることは無かったそうだ。
本書に収められている、「きちがい日和」はシケで婚約者を失った女たちが、生理中に籠る小屋の中で口寄せを頼む話で、蒸れた女性器の匂いと死者への情の共演が凄まじい。
岡山は死者と生者の距離が近いのかもしれない。
喉の渇き、性的な飢え、飢餓、喪失感、人間が最も体験したくないと思う陰惨な光景とだれしもが持っている後ろ暗い欲望。私にもこんな先祖がいたかも知れないと、一族の幻を見る。命さえもどうでもよくなってしまうような、気だるさと岡山の風に脅えながら私はこの本を閉じた。
一番純粋で原始的な怖さと懐かしさを味わいたいなら、是非本書を手に取ってもらいたい。
タイトル以上の剥き出しの何かが、本能を刺激する。こんな酷い物語を書くことの出来る作家は、岩井志麻子さんしかいないに違いない。
(文=田辺青蛙)
●たなべ・せいあ
「小説すばる」(集英社)「幽」(メディアファクトリー)、WEBマガジン『ポプラビーチ』などで妖怪や怪談に関する記事を担当。2008年、『生き屏風』(角川書店 )で第15回日本ホラー小説大賞を受賞。綾波レイのコスプレで授賞式に挑む。著書の『生き屏風』、共著に『てのひら怪談』(ポプラ社)シリーズ。12月25日に2冊目の書き下ろしホラー小説、『魂追い』(角川書店)が出版予定。
いろんな意味で、ゾクゾクきます。
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