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妖怪小説家・田辺青蛙の「妖しき本棚」第2回

“大熊、人を喰ふ”史上最悪の熊害を描き出すドキュメンタリー『羆嵐』

kumaarashi.jpg『羆嵐』(著:吉村 昭/新潮社刊)

「日本ホラー大賞短編賞」受賞の小説家・田辺青蛙によるオススメブックレビュー。

 野生の熊に遭遇したことがある。

 数年前、滋賀県の北湖までドライブに出かけた日のことだ。いかにも眺めが良さそうな見晴らし台のある山が目に入ったので、近くに車を停めて、登ってみることにした。たしか10月の初めで、紅葉にはまだ早いが、気候は丁度よくて、ちょっとしたハイキングには最適の日だった。

 予想通り、見晴らし台からの景色は素晴らしく、琵琶湖や滋賀の町並みをぐるりと見渡すことができた。ひとしきり辺りを散策して秋の絶景を堪能した後、私は鼻歌交じりに山を下りた。駐車場まであと少しという場所で、背後で物音がしたので振り返ってみた。

 すると、赤みがかった茶毛の生き物が、歩道の脇で菓子パンの袋を舐めていた。ガサガサと袋に顔を突っ込んでいる姿を見て、最初は変わった犬かな? と思った。

 でも、なんだか少しだけ、違和感を感じた。丸っぽい耳に、ごっつりとした背中……。

 …………。

 鈍いにも程がある我が脳味噌に、「あれは熊ですよ」という情報が伝達された途端、「むぎゃーっ」と叫び声を上げながら、山道を転がるように走り、車まで戻った。手が震えて、車のドアに鍵がなかなか差し込めず、それが更に恐怖を倍増させた。全身に冷たい汗をかいて、再びハンドルを握れるほど落ち着くまで、かなり時間がかかったことを今でも覚えている。

 柴犬より二回り大きいくらいだったから、冷静に思い返してみると、あれは子熊だったのだろう。後日インターネットで調べてみたが、子熊とはいえ野生動物である。100キロ級の筋肉の塊で、50メートルを約5秒で走ることが可能らしい。しかも野生の熊に出会ったとき、絶対にやってはいけないことは、背中を見せて走ることだそうな。何故なら野生動物は、後ろを見せて逃げるものを、獲物として追う習性があるためらしい。

 子熊は単独では出歩かないそうなので、近くにはきっと母熊もいたことだろう。子どもを持つ熊は、大きいものだと300キロを超える重さで、走る速さは時速60~70キロだとか。人間が太刀打ちできるレベルではない。そんなのに襲われていたら、きっとひとたまりもなかっただろう……。

 苺ジャムのようになった自分の遺体を想像して、思わず胃のあたりが重たくなった。

 吉村昭の『羆嵐』は、国内史上もっとも悲惨で最悪と言われた熊害事件を元にしたドキュメンタリー小説だ。

 冬眠しそこなって凶暴化した熊が、北海道の三毛別にある戸数15の開拓集落に襲来する。電気も通ってない真の闇の中、熊は本能のままに人を襲っては肉を削ぎ、骨を砕く。道徳心や同情心とは無縁な野獣である。臨月を迎えていた妊婦は、腹を裂かれ胎児を掴み出された上に、生きたまま貪り喰われた。頭や喉をエグられた子どもたちの死体が散乱し、襲われた家の中では、熊が人を喰らう音だけがこだまする。ここでは人間は、単なる熊の餌でしかないのだ。

 そんな恐ろしく冷厳な現実を、吉村昭は淡々と書く。

 熊を撃ち殺した猟師の銀四朗も、英雄的なキャラクターとしてではなく、腕は確かだが、取っつき難い人物として描かれ、最後は金を受け取り、深い雪の中を一人寂しく歩み去る。

 熊の死体はアイヌの風習に従って、集落の人たちによって仏の供養に使われた。死体を解剖した際に、犠牲者の体の一部が出てきたそうだ。

 横たわる巨大な熊の死体を見て、遺族はどんな気持ちだったのだろう。熊は3日間に、7名を殺害し、3名に重傷を負わせていた。熊嵐とは、熊を殺した後に吹く強い風のことだという。

 ちなみに『慟哭の谷』(著:木村盛武/共同文化社刊)という本がある。こちらも同じ「三毛別羆事件」を元にした作品なのだが、被害者の写真や当時の新聞記事、熊が通った道筋まで掲載されている。証言者のリストなども含めて、この熊害事件をより深く知ることができる上に、『羆嵐』と一緒に読むといろいろな発見もあるのでお勧めだ。

『慟哭の谷』には『羆嵐』には書かれていない、住人から聞いた噂話や後日談も載っていて、その中でこんなエピソードがある。

 熊に襲われながらも、九死に一生を得たチセさんの言葉である。

 夢枕に立った少年が、「マユおばさんがこんな姿になってしまった」と言って、両端に2本ずつしか歯が残っていない木の櫛を見せた。後日知ったことだが、食害されたマユは、頭骨と両足の膝下しか残さぬ無残な姿となって、雪下に埋められていたという。いささか怪談じみた話だが、そういうこともあったのかも知れない。

 小説の舞台となった、三毛別(現・苫前町古丹別)は、今では観光名所となっている。私も一昨年の秋、北海道旅行の途次たまたま訪れたが、深い自然に囲まれた寂しい場所だった。

 開拓民が命がけで守ってきた土地に思いを馳せながら、『羆嵐』の一部を読んだ。嵐のように荒れ狂い、集落の人々に恐怖を与えた熊の姿は、何度読んでも決して色褪せない。

 背後でガサリと熊笹が揺れ、全身に例えようのない恐怖が走ったが、風の仕業と知って胸を撫でおろした。

「熊害慰霊碑」も近くにあると地元の人に教えてもらったので、車を走らせて探したのだが、どこにあるのか分からず、見ることができなかったのが残念だ。

 記念碑は、事件の犠牲者一人につき十頭の熊に復讐をすると、7歳の時に誓いを立て熊撃ちになった大川春義氏(故人)が、62年後に100頭目を射止めて自費で建てた物だ。『羆嵐』の解説には大川氏と『羆嵐』のラジオドラマの作成に関わった、倉本聡氏の朴訥(ぼくとつ)なやり取りが収録されている。

 帰りに空港で、「北海道クマカレー」をお土産に買った。黒いラベルに渋い顔をした熊が描かれた缶入りカレーで、京都の家に戻ってから妹と二人で温めて食べた。熊の肉は脂肪が少なくて、ぼそぼそとしていて硬く、ルーの味はかなり辛かった。

 この缶詰めに収まっている熊は、北海道でどんな暮らしを営んでいたんだろうと考えながら再び、銀色のさじでカレーをすくって食べた。

 寒くなって来ると、毎年なぜかあのカレーの味と寂しい『羆嵐』の舞台を思い出してしまう。
(文=田辺青蛙)

たなべ・せいあ
「小説すばる」(集英社)「幽」(メディアファクトリー)、WEBマガジン『ポプラビーチ』などで妖怪や怪談に関する記事を担当。2008年、『生き屏風』(角川書店 )で第15回日本ホラー小説大賞を受賞。綾波レイのコスプレで授賞式に挑む。著書の『生き屏風』、共著に『てのひら怪談』(ポプラ社)シリーズ。12月に2冊目の書き下ろしホラー小説、『魂追い』(角川書店)が出版予定。

羆嵐

グワーッ!!

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最終更新:2009/12/01 11:54
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