中年男子も励まされる『おいピータン!!』が描く日常の幸せ
#マンガ #松江哲明
童貞の絶望と希望を描いた傑作ドキュメンタリー『童貞。をプロデュース』の監督・松江哲明。ディープなマンガ読みとしても知られる彼が、愛してやまないマンガたちを大いに語る──。
好きな女の子の部屋に入って長渕剛のCDがあったりしたら「前の彼氏の影響かな」と詮索してしまうし、DVDの棚に『タイタニック』『レオン』『千と千尋の神隠し』が並んでいたら「モデルハウスかよ」とツッコミたくなってしまうだろう。つまりは部屋というのはその人の趣味がむきだしにされてしまうものだし、かなり「恥ずかしい」ものだと思うのだ。けれど、もし本棚に『チューネン娘。』(祥伝社)『女いっぴき猫ふたり』(双葉社)といった伊藤理佐作品があったもんなら、僕はその子が日常で抱えているであろう苦労や不安や、ちょっとしたおかしさを見つけてしまったような気分になり、「なんていい子なんだ」と好意がグッと上がってしまうだろう。
特に『おいピータン!!』が全巻揃っていたら「男は顔じゃないよね、飯の趣味やウマが合うかや人間性だよね」と共感し「なんっっっていい子なんだ!」と嬉しくなってしまうのだが、だからといって彼女は僕のことを一言も好きだ、なんて言ってもいないし、こっちが本棚を見て勝手に興奮してるだけの話。しかし『おいピータン!!』にはそんな人が隠しているつもりだったり、気付かないふりをしてる日常のあれこれを面白おかしく、「そこをツッコんで欲しかったのよ」と膝をぽーんと叩きたくなるような笑いに満ちている。
おデブな会社員ピータンと恋人である渡辺さんとその周囲にいる仲間たちが繰り広げるささいな、けれど後々に「ああいう瞬間こそが大切なんだよな」と思えるエピソードが続く”だけ”のちいさな物語は、自営業映画監督の僕には縁のない世界だが、彼らが感じる幸せのありがたみは誰にでも届く温かさに満ちている。例えば渡辺さんにとって一番の誕生日プレゼントは散らかっている部屋の片付けだったり、ぴったりのパジャマだったり、タッパーに入ったイクラをオタマでお腹いっぱい食べることだったりする。高級レストランよりも街の絶品焼き鳥屋だった方が遥かに沁みる日があるように、僕らの気分をまるっこく、やわらかい線で描かれたキャラクターたちが代弁してくれるのだ。そういえば伊藤理佐作品の絵には、書き込まれたツッコミの後にふと空白を生かされたキメ絵があるが、あの空欄にこそ自分を代弁できるような、「そうだよね」があると思う。
ところで先日、本屋に入ると『30歳の保健体育』(一迅社)なる恋愛ハウツー本が売られてて、中を読むとメールの返信の仕方、デートの仕方、セックスの仕方といった誰も教えてくれない……というかそんなことは教えられるのではなく、相手から怒られたり、喜ばれたりすることで得るべき経験が事細かに書かれていることに驚いた。知人の映画監督は映画の講習会で「キャメラを手にしたら説明書なんか読むな。知らないボタンがあったらとりあえず押せ。知識より経験」と言っていたが、人付き合いもそんな風で十分だと思うのだ。人それぞれ考え方や生き方が違うように、向き合い方や付き合い方も人、それぞれ。恋愛にマニュアルなんてあるはずがない。32にもなって結婚も子どももいないチューネン息子な僕だけど、伊藤理佐作品のキャラクターに励まされて生きている。つまり「作品」で描かれるべきことは、僕らが口にしにくい本音や説明のつかない感情であるべきだし、そんな表現が笑いを通して教えられることに刺激を受けるのだ。『おいピータン!!』にはそんな声がギュッと詰まってる。だからこそ僕は伊藤理佐を読む人には「そうそう」と同志を得たような気持ちになってしまう。
僕は人の恋愛感情をハウツーする、という矛盾を抱えた本よりも、言葉にならない感情を的確に描ききる、笑える漫画の方こそを強く勧めたい。
●松江哲明(まつえ・てつあき)
1977年、東京都立川市出身。99年、在日コリアンである自身の家族の肖像を綴ったドキュメンタリー『あんにょんキムチ』を発表。同作は国内外の映画祭に参加し、山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波特別賞、平成12年度文化庁優秀映画賞などを受賞。また、07年に公開した『童貞。をプロデュース』が大きな話題を呼ぶ。『あんにょん由美香』が各地で公開中。最新作『ライブテープ インターナショナルバージョン』が東京国際映画祭にて上映され、「日本映画・ある視点部門」作品賞を受賞した。
ブログ <http://d.hatena.ne.jp/matsue/>
ダンナは吉田戦車
●連載ドキュメンタリー監督・松江哲明の「こんなマンガで徹夜したい!」
【Vol.11】遥かなる”ラーメン・サーガ”『ラーメン発見伝』ついに完結!
【Vol.10】『天使のはらわた』マンガ家・石井隆が描き出す、女の”性”と”業”
【Vol.09】天才いましろたかしが描いた「せつねぇ」子ども向け漫画『化け猫あんずちゃん』
【Vol.08】非モテもイケメンもごちゃごちゃ言わずに『モテキ』を読め!
【Vol.07】『湯けむりスナイパー』の変わらない繰り返しこそが人生の豊かさだ!
【Vol.06】『バクマン。』が示す「友情・努力・勝利」の変化とは?
【Vol.05】『AV烈伝』がエグる、AVに生きる人たちのセキララな姿
【Vol.04】AV女優さんが読んで感じてほしいセクシー漫画『ユビキタス大和』
【Vol.03】山本直樹が描く、セックスの「気持ち良さ」と「淋しさ」
【Vol.02】覚えてますか? 教室の隅で漫画を描いていた「大橋裕之くん」のことを
【Vol.01】この世でもっとも”熱い”マンガ、『宮本から君へ』を君は読んだか?
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事