松本人志監督・主演第2作『しんぼる』 閉塞状況の中で踊り続ける男の悲喜劇
#映画 #松本人志 #邦画 #パンドラ映画館
前作『大日本人』では世間から注目される男の葛藤をドキュメンタリータッチで
描いたが、『しんぼる』では監督自身の内面世界がより明確に映し出される。
(c)YOSHIMOTO KOGYO CO.,LTD.2009
興行収入12億円を収めた『大日本人』(07)に続く、松本人志監督第2作『しんぼる』が9月12日(土)から公開される。カンヌ映画祭でプレミア上映された前作『大日本人』は国内では試写を行なわないという奇襲戦法をとったが、さすがに2度は使えず、今回は7月後半からマスコミ向け試写が設けられた。しかし、「お客さんにはニュートラルな気持ちで映画を観てほしい」という松本人志監督の意向があり、作品内容は基本設定以外は触れないようにとのお達し付き。映画宣伝のために松本人志は活字媒体に頻繁に登場しているが、インタビューの多くが禅問答のような抽象的なやりとりになっているのはそのためだ。
マスコミで紹介が許されている『しんぼる』のシノプスは以下の通り。水玉柄のパジャマを着た男が目を覚ますと、四方を白い壁に囲まれた部屋に閉じ込められていた。ここはどこか? なぜ男は閉じ込められているのか? 男は何者なのか? 説明はまったくなし。男は部屋からの脱出を試みるが、出口は見当たらない。だが、壁に触れてみると、壁から”あるもの”が現れる。一方、メキシコのとある町。父親が覆面レスラーであることを除けば、ごく普通の家庭が登場する。子どもを学校に送り出す、平凡で幸福な日常生活。だが、レスラーと妻はその朝、なぜか奇妙な胸騒ぎを感じていた。その胸騒ぎの原因は……、というもの。松本人志自身が演じるパジャマ男のいる白い部屋と荒涼とした背景のメキシコで起きるドラマが並行して描かれる。出演は松本人志を除いて、無名の外国人たちというキャスティングだ。
せる”白い部屋”に閉じ込められたパジャマ男
(松本人志)。『キューブ』(97)や『ソウ』
(04)といった密室スリラーに通じる異様な
緊張感が漂う。
映画の主人公は基本的に監督の心情が投影された、監督の分身と考えていい。『しんぼる』では松本人志が主演も兼ねることで、テレビでは見せることのない本人の内面世界がよりむき出し状態で映し出される。観ている側は『マルコヴィッチの穴』(99)ならぬ、『松本人志の穴』に潜り込んだような奇妙な感覚に陥る。
『しんぼる』と名付けられた本作で、白い部屋やパジャマ男は何を象徴しているのだろう。パジャマ男は”城”から自由に出ることができずにいる”笑いの王さま”なのか、それとも”笑いの神さま”に選ばれ、神殿に召還された”道化師”なのか。白い部屋にぽつんと佇むパジャマ男の哀愁は、笑いの世界で天下を獲って久しい松本人志のコドクそのものだ。白い壁に向かって刺激を与えれば、トンチンカンなリアクションが返ってくる。自分の意図とはかけ離れたものだが、とりあえず白い部屋に留まれば、餓死する心配はないらしい。しかし、白い部屋にいる限り、自分が何者であるか確かめる手だてもない。やがて、パジャマ男は閉じた世界で自分なりに考えることを身に付け、外の世界への脱出を試みる。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』(91~97年、フジテレビ系)が番組最高視聴率24.2%を獲ったのは95年。日本武道館で単独ライブも成功させ、松本人志が日本のお笑い界のトップに立ち、”笑いのカリスマ”であることを名実共に明らかにした年でもある。しかし、トップランナーは同じ場所に留まることはできない。テレビ局側のお笑いに対する理解の低さから、『ごっつええ感じ』は自分から打ち切り、その後は時間とお金をかけたお笑い=コント発表の場をオリジナルビデオ『VISUALBUM』(98~99年)に移す。さらにその中の一編『巨人伝説』は『大日本人』のベースとなり、松本人志は自分が納得できる笑いを創作する場を映画界に求めることになる。その間、テレビの世界は風向きが変わることもなく、より表現の規制は厳しくなり、不況から製作費も削減。テレビというオモチャ箱の中で長年戦ってきた松本人志のいらだちが『しんぼる』全体から伝わってくる。
松本人志と小学校時代からの付き合いで、『大日本人』に続き『しんぼる』にも脚本家として参加した放送作家の高須光聖氏に、2008年の暮れにコメントをもらう機会があった。高須氏はテレビの現状をこう語った。
「バラエティー番組って、企画会議から楽しいんです。構成作家やスタッフが集まって、『こんなことをやってみたい。こんなことをやったら最高にくだらないよな』とか自分の思い描いたイメージを言葉で懸命に伝えるのが面白いんです。視聴率を稼ぐことよりも、まだ誰もやっていないことをやることに、みんな熱くなっていた。でも今のテレビの製作現場は不況の影響もあって、『無駄な話はいいから、具体的な打ち合わせをやろう。タクシーチケットがもったいないし、早く終わらせよう』といった感じです。面白いことを追求しようとする者には、辛いものがありますよ」
高須氏の感じている歯痒さは、松本人志ほか多くのクリエイターたちが感じていることだろう。この数年間、伝説のバラエティー番組を手掛けてきた才人たちがテレビから映画に活動の場を移している。『おくりびと』(08)の脚本家・小山薫堂氏は『カノッサの屈辱』『料理の鉄人』『お厚いのがお好き』(すべてフジテレビ系)の構成作家で
あり、『転々』(07)、『インスタント沼』(09)などで映画界に新しい笑いのスタイルを持ち込んでいる三木聡監督も『ごっつええ感じ』、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)などの構成作家として活躍したキャリアを持つ。近年の日本映画のジャンルの幅広さは、テレビ、CM、アニメ、演劇などの世界から様々な才能が流れ込んだことが一因となっている。表現の自由が許されている媒体に、才能は集まる。
筆者の個人的な願望だが、松本人志にはお笑いというジャンルにとらわれずにさらに自由に映画を撮ってもらいたい。『ごっつええ感じ』で松本人志が扮していた”トカゲのおっさん””産卵する半魚人”の不気味さをホラー映画に活かしてほしい。韓国のポン・ジュノ監督の怪獣映画『グエムル 漢江の怪物』(06)のように、恐怖と笑いが混在した世界を日本で撮れるのは松本人志ぐらいではないか。感情が破裂する瞬間を描くことでは、笑いとホラーは非常に似ている。ぜひとも松本人志が撮った不条理極まりないホラー映画を観てみたいものだ。
さて、閉じた世界からの脱出を図ったパジャマ男は、その後どうなるのだろう。『しんぼる』を見終えて、ある故事を思い浮かべた。『井の中の蛙、大海を知らず。されど空の青さを知る』。空の色は、空を仰ぐ者の心情の写し鏡でもある。松本人志にとって空の染み入る青さとは、芸事の深遠さであることは言わずもがなだ。
(文=長野辰次)
●『しんぼる』
企画・監督・主演/松本人志
脚本/松本人志、高須光聖
企画協力/高須光聖、長谷川朝二、倉本美津留
出演/デヴィッド・キンテーロ、ルイス・アッチェネリ、リリアン・タビア、アドリアーナ・フリック、カルロズ・トレーズ、イヴァン・ウォン、ミステルカカオ、サラム・ジャーニュ
製作/吉本興業
配給/松竹
9月12日(土)より全国ロードショー
<http://symbol-movie.jp/>
賛否両論
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