熱いドラマが! 首都高ウルトラC級建設史のドキュメント『首都高をゆく』
#サブカルチャー #建築
最近、土木建造物をエンターテインメントとして鑑賞する”ドボク”がじわじわとブームになっている。今回紹介するのは、ぼくらが普段利用している日本の大動脈、首都高こと首都高速道路だ。今年は、首都高が建設を開始してからちょうど50年にあたる。高速道路といえば、ドイツのアウトバーンやアメリカのフリーウェイが有名だが、我が国の首都高だって負けていない、当時の最先端の技術を結集した日本が誇れる建造物だ。
この『首都高をゆく』は、首都高の歴史、その由来に始まり、首都高50年間の進化、路線状況など、首都高の全てをあまねく網羅したムック本だ。首都高デートコースにPAグルメなどバラエティに富んだトピックが並ぶ。漫画家江川達也氏が語る「首都高の萌えポイント」など、著名人によるコラムも見逃せない。また、全てのページに写真と詳細な説明が入っていて、写真集のように楽しむことも出来る。
首都高は、東京でのオリンピック開催が決まった59年から建設が始まった。土地の余裕、オリンピックにまでの期限という空間的・時間的制約、加えて道路買収の予算、美しい景観など、多くの制約を抱えながら、工事は急ピッチで進められた。河川や一般道路の上に高架を架けたり、トンネルで住宅地を避けたり、複数の高速道路を交差させたりなどして、ウルトラC級の難易度ともいえる都市内高速道路を完成させていった。”道の上に道をつくる””海の底に道をつくる””橋から橋を吊り下げる”と、『プロジェクトX』さながらに建設を進めていく様は、まさに先人たちの汗と涙と苦労の一大ドキュメント。その出来ばえは、アメリカの連邦道路局長も「グレイト!」と賞賛するほどであったという。
その機能と便利さの一方で、「日本橋の高架橋」のように、その存在が景観を壊しているという意見も根強くある。しかし、日本橋だけにとどまらず、戦後、日本は復興と経済発展の中で幾度となく姿を変えてきた。便利さを求めて都市を開発していったのも、ぼくら自身が選択したことなのだ。失われた風景はもう元には戻らないし、首都高の中心である日本橋の高架を移転させるのも無理な話だ。まず、興味をもって首都高を違う視点から眺め、楽しみ、考えることで、これからの高速道路の在り様も変わっていくのではないだろうか。この本はそんな”ドボク”の見方を示してくれる一冊となることだろう。
(文=平野遼)
あのむちゃくちゃな合流にも苦労が。
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