沖縄に”精霊が暮らす楽園”があった! 中江裕司監督『真夏の夜の夢』
#映画 #邦画 #パンドラ映画館
『ナビィの恋』(99)、『ホテル・ハイビスカス』(03)、『恋しくて』(07)など、沖縄を舞台にユーモアとペーソス溢れる人間ドラマを撮り続ける中江裕司監督。京都府出身の中江監督は、琉球大学に入学した1980年から沖縄に根を張り、沖縄で暮らす人々の息づかいをフィルムに取り込んでいる。日本映画界にあっては特異な存在だ。映画製作とは別に、映画興行主としての顔も持ち、長編デビュー作『ナビィの恋』以降、映画館のない沖縄の島々へ映写機を担いで積極的に上映会を開いて回っている。また、05年からは那覇市唯一のミニシアターである「桜坂劇場」を経営し、地方では上映される機会の少ない単館系の秀作を地元の人たちに提供している。
「映画というのは、お客さんが変わることで常に変わっていくものなんです。上映の度に違ったものになり、ひとつとして同じ映画はないんです。言葉は悪いけど、ボクがつくった映画は未完成なもので、お客さんそれぞれの経験と想像力によって補われて、初めて完成するものなんです」と中江監督は語る。スクリーンに向かって息を潜め、笑い、そして拍手を送る観客たちの背中を、映写機の後ろから見つめ続けてきた男ならではの持論をもつ。
その中江監督が人口1,700人という小さな伊是名(いぜな)島でロケ撮影した新作劇映画が『真夏の夜の夢』。妖精と人間が入り乱れて恋のさやあてを繰り広げるウィリアム・シェークスピア原作の喜劇を、現代の沖縄に置き換えたものだ。惚れ薬を振りまく悪戯好きな妖精パックの代わりに、沖縄ではガジュマルの木に住む精霊と伝えられるキジムン(キジムナー)が活躍するファンタジーとなっている。ヒロインは東京の生活に疲れて故郷の”世嘉冨(ゆがふ)島”に戻ってきたゆり子(柴本幸)。ゆり子はガジュマルの森で少女時代に一緒に遊んだキジムンのマジルー(蔵下穂波)と再び出会い、「ずっとゆり子の帰りを待っていた」というマジルーの純真さにほだされ、忘れていた笑顔を取り戻していく。その一方、島の人たちはリゾート開発に夢中で、”人に想われることで存在する”島のキジムンたちの存在が危うくなっていく。
映画が始まって、”さんかく山”と呼ばれる三角の形をした不思議な岩山の光景と共に、キジムンたちが暮らすガジュマルの木の巨大さに目を奪われる。こんなにも神秘的な世界ならば、ひょっとして森の精霊たちが実在するのではないかという気になってくる。『もののけ姫』(97)のモデルになった屋久島の縄文杉を彷彿させる大きなガジュマルだが、最近発見されたものらしい。
会では映写技師としても働く。本作の
ロケ地である伊是名島での先行上映会
では、島民1,700人中700人が集まる大
盛況ぶりだった。
「島の人たちの話によると、樹齢そのものは大したことはないらしい。戦後のものじゃないかということです。近くに湧き水があって、成長ぶりがすごい。大変な生命力を感じさせるガジュマルなんです。撮影から1年後に見てみたら、ひと回り大きくなってましたよ」と中江監督。そして、そんな神々しいガジュマルが根を張る森に光が差し込み、風がそよぐ様子をカメラは丁寧にすくい撮っている。まるで森の匂いがスクリーンから漂ってきそうなほどだ。
沖縄ではオジィやオバァたちが子どもの頃によく見たというガジュマルの精霊キジムンだが、果たしてどういう存在なのだろうか。また、マジルーが”豊穣の神”を讃える「弥勒節(みるくぶし)」を唄うシーンが大きな見せ場となっているが、祝祭や先祖供養を大切にする沖縄の人たちにとって、”神さま”とはどのように感じられているものなのだろうか。沖縄文化を愛すると共に、客観的に見つめる中江監督に聞いてみた。
「信じている人には存在が感じられるけど、信じていない人には感じられない不確かなものじゃないかと思いますね。キリスト教などの神さまはもっと絶対的な存在なんでしょうけど、沖縄の神さまや精霊は、人間の生活に根付いた自然発生的なもののようにボクは感じるんです。人間が信じ、想うことで初めて存在するんじゃないですか。例えば、今回の撮影では人間が一度も入ったこともないような未開の森に分け入って撮影しようとは考えなかった。そんな人が入れない森は怖いだけですよ。豊かな自然と人間の生活の境界に存在するものが、神さまや精霊なんじゃないかなぁと考えているんです。でもボクはただの人間ですから、正しいことはわかんないですよ(笑)」
また、本作の中でキジムンは神さまと人間との間を結ぶ、一種のメッセンジャーとして描かれている。
「映画監督も似たようなものじゃないかと思うんです。いわば”触媒”みたいな存在。ボクは錬金術師じゃないので、ゼロからは何も生み出せない。元からあるものを自分なりに形を変えて、お客さんに届けるのがボクの仕事なんです。物をつくる人間って、何かしらそういう触媒みたいなものじゃないですか。今回の映画はマジルーにとらわれるようにして撮りました。元々、キジムンたちはお客さんの心に住んでいると思うんです。それを思い出してもらうのが、今回のボクの役割。みなさん、キジムンのマジルーをゆたしく(よろしく)というのが公開前の今のボクの気持ちですね」
童話や小説もそうだが、映画も現実ではないフィクションの世界。現実ではない世界とわかっていても、その作品が面白ければ、人は登場人物たちに感情移入して、笑い、悲しみ、感動を覚える。物語を楽しむということは、”目に見えない神さまの存在を信じ、敬う”ことにどこか似ている。神さまという言葉の代わりに将来や希望という言葉に置き換えてもいいだろう。どれも、その人が信じることで初めて存在する世界なのだ。人があると信じればその世界は存在し、ないと思えばその世界は存在しない。本作は沖縄の離島を舞台にしているが、現代人のひとり一人の心と地続きの作品とも言えるだろう。
また、中江監督は「キジムンは人間を祝福するための存在」とも語った。ならば、本作は上映会場に足を運んだ人々を祝福するための映画ということになる。そして祝福されるということは、同時に相手を祝福するということでもある。映画の中でガジュマルの森に足を踏み入れた我々の視線はカメラと同化して、ゆり子としてマジルーの祝福を受け、そして同時にマジルーとしてゆり子を祝福する。いつまでも醒めてほしくない、夢のような心地よい時間が流れていく。
中江監督が”世嘉冨島”と名付けたキジムンと人間が共生する島のことを、ピーターパンは”ネバーランド”と呼び、古代中国人は”蓬莱島”と呼んだ。飛行機や船では決して辿り着けないこの世の楽園だ。そんな島がもしかしたらあるんじゃないかと夢想すると、その間だけ心の中が少しばかり穏やかになる。それはキジムンが祝福してくれたからだろうか。
(文=長野辰次)
●『真夏の夜の夢』
原作/ウィリアム・シェークスピア
脚本/中江素子
監督・脚本/中江裕司
出演/柴本幸、蔵下穂波、平良とみ、平良進、和田聰宏、中村優子、照屋政雄、玉城満
配給/オフィス・シロウズ、シネカノン、パナリ本舗
7月25日(土)よりシネカノン有楽町2丁目、シネマート新宿ほかにて全国ロードショー。沖縄では『さんかく山のマジルー』という題名で、7月18日(土)より那覇・桜坂劇場、リウボウホールにて先行ロードショー。
神さまの島につむがれるオムニバス。
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