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『すべる時間』出版記念特別対談企画

“相方を連れ去られた者”同士が語る『電波少年』とは何だったのか

mori_yukoku.jpg左=幽谷マサシ(作家・元「とんがりネッシーズ」)
/右=森脇優雅(芸人・元「クールズ」)

 かつて、多くの若手芸人の人生を狂わせた伝説のバラエティ番組があった。その名は『電波少年』(日本テレビ)。猿岩石の大陸横断ヒッチハイクツアー、なすびの懸賞生活など、若手芸人を半ば強制的に巻き込んだ過激な企画の数々が話題を呼んだ。高い視聴率を誇っていた同番組は、無名芸人が一夜にしてスターへと生まれ変わるシンデレラストーリーを次々に生み出していった。

 そんな中で、時代に取り残された芸人もいた。コンビの相方が『電波』に連れ去られ、スターになっていく過程を指をくわえて眺めているしかなかった男たち。その1人である幽谷マサシ氏は、そんな自分の境遇を『すべる時間』(太田出版)という小説にまとめて、「第2回hon-nin大賞」を受賞した。そんな幽谷氏と、同じく相方を『電波』に連れ去られた経験を持つ元・クールズの森脇優雅(プロダクション人力舎)の2人に、当時のことを振り返って語ってもらった。彼らにとって、また、当時の若手芸人にとっての『電波少年』とは、いったい何だったのだろうか?

――まずはお2人それぞれに、相方さんが連れ去られたときのことについてお聞きしたいと思います。手元の資料によると、『進ぬ!電波少年』にて、幽谷さんの相方である安田ユーシさんの「電波少年的超能力生活」が始まったのが99年の5月、森脇さんの相方である原田慎治さんの「電波少年的浪花恋しぐれ」が始まったのが99年の8月ですね。

幽谷 そう、その時期です。僕らの企画が始まったのって、ちょうど、なすびさんの「懸賞生活」が終わった直後だったんですよ。

森脇 オーディションとか受けに行ったりしたでしょ?

幽谷 そうですね、『電波少年』のオーディションとは聞いていたんですけど、何の企画かは知らされていなくて。たぶん超能力をテストするということで、カードを引かされて。相方だけが3回とも当たりのカードを引いたんです。それで、「超能力がある」ってことになって。

森脇 僕らは、一緒に企画をやることになっていたお笑いファンの太った女の子が、たまたま相方のことが好きだったんですよ。それで、その子のダイエットに協力するっていうことで、相方だけ連れて行かれたんです。

――相方さんが連れ去られたときにはどう思いましたか?

幽谷 この小説にも書きましたけど、自分は『電波少年』みたいなものを否定したくてお笑いを始めたっていうところがあるんです。だから、よりによってこれか、って思いましたね。

森脇 あの当時って、芸人はみんな『電波』はダメだって言ってたんですよ。だから、芸人さんによっては初めから断ってた人もいたし。僕は、相方が連れて行かれたときに「うわっ、最悪や!」って思って。すぐに日テレのスタッフのところに行って、やめてください、って言ったんですよ。相方も絶対嫌がってるからやめさせろ、って。でも、1回目のオンエアを見てみたら、相方は「マジっすか?」って言いながらも、ちょっと笑顔だったんです。「えーっ!?」って思いました(笑)。

――原田さんは本当は出たかったんですかね。

森脇 たぶん僕に合わせてたんですよね。でも、自慢じゃないですけど、僕らは『電波』に出る前まではけっこう仕事あったんですよ。それも全部なくなりましたから。営業もいっぱい入ってたけど、ダメになって。そのとき代わりに営業に行ったのが、ドランクドラゴンですよ。塚地君に「クールズのおかげで、めっちゃ仕事入ったわ! おおきに!」って言われて(笑)。気分は最悪でしたね。

幽谷 周りの人の反応ってどうでした? おめでとう的なことを言われませんでした? 僕はそれを言われて余計に嫌になったんですよ。

森脇 すごい言われた! もう「行きましたね、売れましたね」とか。でも全然うれしくなかった。連れて行かれてからも、すごいモメましたからね。相方とも相談して、脱走させたんですよ。これで番組を終わらせようと思って。そしたら、プロデューサーの土屋(敏男)さんとかに呼び出されて。脱走したことには直接触れられずに、なぜかダウンタウンの話をされました。「ダウンタウンを連れてきたのは俺なんだよ」って言い出して(笑)。

幽谷 あの人、僕のときにもダウンタウンの話してましたよ(笑)。

森脇 なんか、夢を持たせるんですよね。俺と関わると売れますよ、みたいな。「松ちゃんには冷蔵庫を買ってあげたんだよ」とか、そういう話をされた。でもまあ、そうやって一度もめたことで結局、原田は監禁されずに、家から通えるようになったんです。オンエア上は監禁なんですけど、原付で通えるようになって。ただ、そのペナルティとして本も出なかったですし、DVDも出せなかった。それはたぶん逆らった分の罰なんです。でも、それはそれでいいかなと思ってましたね。幽谷さんは逆らえなかったんですか?

幽谷 収録現場に呼ばれたとき、最初は僕も、森脇さんみたいに暴れようかと思ったんです。ただ、当時所属していた事務所のことが脳裏に浮かぶわけですよ。吹けば飛ぶようなちっちゃい事務所だし、社員もおるし、相方には嫁と子供がおるし、っていう。それを考えるともう、企画に乗るしかないなっていう感じだったんですよね。いろんなことを全部内に抱えちゃって、誰にもそういうことを言えなかったです。

森脇 そのときに出会ってればねえ(笑)。飲みに行ったりできたのに。僕は幽谷さんの元・相方のブラック(安田のこと)とは、当時も付き合いがあったんですけど、ブラックは正直、天狗になってたからね。みんなにすごい怒られてたもん。お前はまだまだ若手やから気を付けた方がいいよ、って。先輩芸人とかの前でも、「テレビとは」みたいなことを語り出したりするから(笑)。1回キャバクラに連れて行かれたときも、店の女の子に「俺知ってる? ほら、地球防衛軍のブラック」とか言ってて。大はしゃぎ。

幽谷 それ、つらいですね、聞きたくなかったです……(笑)。こっちはどんだけつらかったかと。まぁ、いろいろ遊び回ってるっていうのは聞いたんですけどね。

森脇 かわいそうやなあ。でも、天狗になるのもわかるよ、『電波』って視聴率すごかったから。原田も多少そういうのあったからね。帽子を深くかぶったりとか、居酒屋で異常に個室にこだわるとか(笑)。原田だけ知名度がありすぎたんで、これは俺もがんばろうと思って。終わった後にもいろんな番組に出ましたけど、原田を食ったろうと思って一生懸命がんばりましたね。しかし、ホンマ最悪やったね、あの番組は。最悪やった。

――では、最後に質問です。今もし『電波』がまた始まったとしたら、オーディションには行きますか?

森脇 行きますね。

幽谷 行くんかい!(笑)
(取材・構成=ラリー遠田)

●ゆうこく・まさし
1975年生まれ。元芸人。『すべる時間』で「第2回hon‐nin大賞受賞」。大阪芸大在学中、漫才コンビ「とんがりネッシーズ」を結成。活動1年後に相方が単独でテレビ番組に起用され、実質的にコンビ活動を休止、そのまま解散。現在、2作目を執筆中。

●もりわき・ゆうが
1976年生まれ。97年、漫才コンビ「クールズ」としてデビュー。本格的なしゃべくり漫才で期待を集めるが、活動2年目に相方が単独でテレビ番組に起用され、実質的にコンビ活動を休止。その後、コンビ活動を再開するも09年に解散。現在、ピン芸人としてライブなどで活動中。

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最終更新:2009/07/08 13:00
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