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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.16

人生がちょっぴり楽しくなる特効薬 三木聡”脱力”劇場『インスタント沼』

instantnuma01.jpg出版社を退職したハナメ(麻生久美子)は骨董品屋のオヤジ・電球(風間杜夫)から”役に立たない”人生の極意を学んでいく。三木聡監督の実家に近い横浜市黄金町で2008年の真夏に撮影が行なわれた。(c)2009「インスタント沼」フィルムパートナーズ

 幸せを計る物差しは、人によって違うもの。みんな違って、それがいい。『トリビアの泉』(フジテレビ系)で雑学ブームを、『時効警察』(テレビ朝日系)で”ゆるゆるギャグ”ブームを巻き起こした三木聡監督の最新映画『インスタント沼』は、観ておくと人生が激変するわけではないが、退屈な日常がほんのちょっぴ~り楽しくなってくるハートウォーミングなコメディだ。『時効警察』は時効が成立した事件をわざわざ趣味で捜査する公務員・霧山(オダギリジョー)の脱力ライフを描いたものだったが、本作は名探偵・霧山の相棒・三日月しずか役でコメディエンヌぶりを発揮した麻生久美子の主演作。オシャレな女性誌で嫌々ながらオカルト特集を組んだところ、サイテーの売り上げとなり、自主リストラしたジリ貧編集者・沈丁花ハナメという役だ。うさん臭い風貌のオッサン・電球(風間杜夫)が営むガラクタばっかりの骨董品店で、ヘンテコな人々やくだらない物品の数々に遭遇することで、自分の持っていた”幸せを計る物差し”の目盛りを、ゆる~くゆる~くゆるめていくお話なのだ。

 イラン映画『ハーフェズ ペルシャの詩』(08)では敬虔なイスラム教徒の人生を狂わせるファムファタール役、『純喫茶磯辺』(08)では超ミニスカの悩殺ウェイトレスなど多彩な役を演じ、十八番となっている”薄幸の美女”を演じた『夕凪の街 桜の国』(07)ではブルーリボン主演女優賞を受賞、さらに人気スタイリストの伊賀大介と結婚し、公私ともに絶好調の麻生久美子。「ザリガニがごちそうだった」という千葉県山武町で過ごした彼女の涙ぐましい少女時代(『Hon-nin列伝』参照)を知るファンにとっては、近年の目覚ましい活躍は親戚のオジサンになったかのように感慨深いものがこみ上げてくる。一時期、女優業からの引退を考えていた麻生だが、2006年に放映された『時効警察』で脱力コメディの世界に触れたことがひとつのきっかけとなり、悩みが吹っ切れたそうだ。そんな彼女が『時効警察』の生みの親である三木監督のコメディ映画に主演するとあって、自然とテンション高めの演技となっている。阿波踊りに加え、ヌンチャクアクションまで披露するサービスぶりだ。

 麻生演じるハナメは、子どもの頃に見つけた”いい感じに折れたクギ”を持ち歩き、そのクギの折れ具合に共感してくれる人を自分の仲間だと思い込むユニークな女性。ハナメにとって”折れたクギ”は幸せを計る物差しなのだ。次第にハナメは、時間の流れが止まった楽園のような骨董品屋「電球商会」に入り浸るようになる。店主の電球は”折れたクギ”の良さを理解する数少ない人間なのだ。本作は骨董品(またの名はガラクタ)がキーワードとなっている。骨董品ほど、人によって価値がバラバラなものはないだろう。どんなガラクタでも、その品物に思い入れがある人間にとっては宝物になる。例えば『市民ケーン』(41)に出てくる”薔薇のつぼみ”のように。人間の記憶も、骨董品によく似ている。その人にとっては忘れられない大切な思い出、心のトゲになっている嫌な過去も、他人にとってはだいたいどうでもいいこと。でも、世界はそんなどうでもいいこと、意味のないものでいっぱいなのだ。

instantnuma02.jpg撮影現場での三木監督。夏休みの自由研究
に熱中している子どものような無邪気な表情
を見せている。『インスタント沼』という奇妙な
タイトルは、深夜のバラエティー番組で実現
しなかった企画から命名された。

 三木作品はそんな意味のない世界を反映した、無意味なギャグや小ネタで溢れ返っている。無意味なギャグが大名行列のように、ゆるゆるとパレードしていく。でも、それを眺めているだけで、何だか心の中がほっこりしてくるのだ。三木作品を観るということは”森林浴”ならぬ”無意味浴”なのである。そして無意味と無意味の行間から、”別に生きる目標なんてなくても、結構楽しく生きていけるんじゃないの”という三木監督からのメッセージにならないメッセージが聞こえてくる。どうでしょうか、三木監督?

 骨董品屋の他、盗品や不要品がしこたま捨てられているだろう古池、埋め立てられて消えてしまった沼、何が入っているのか見当がつかない土蔵、そして時代遅れになって回収された”ゲームの墓場”などが重要なシーンとして登場する。これらは全て、人間の記憶の廃棄場、思い出の集積地でもある。ハナメ、電球、パンクのくせに意外といいヤツなガス(加瀬亮)はそんな記憶の廃棄場を巡る冒険に繰り出す。村上春樹の珠玉の青春小説『1973年のピンボール』のクライマックスシーンをコメディとして描くとこうなるのだろうか。

 もしも、人間の記憶というものに、レモンツリーにとまった毛虫と同じようなささやかな”一生”があるのなら、人間の堆積された思い出の数々は最後の最後に羽化して、思いがけない”何か”に変身するのかもしれない。これまでの三木作品に比べると「おや、まぁ」と驚くエンディングが待ち受けているが、くだらない事件に散々遭遇して物差しで幸せをいちいち計ることをやめたハナメは、その”何か”を明るい笑顔で見送る。そして、多分その”何か”はザリガニ釣りに励んでいた麻生久美子の少女時代の記憶や、三木監督が深夜のバラエティー番組に用意したもののボツになったギャグのアイデアなど全ての不要品となった思い出を吸い込んで別の次元へと消え去っていく。

 ドラマチックな結末を迎えても、いい感じになったハナメとガスは恋人関係に発展するのか、国内ワーキングホリデーを終えたハナメの人生は一体これからどうなるのか、すべて宙ぶらりんのまま。でも、これでいいのだ。本作は立派な大人になることもできず、かといってイノセントな子ども時代に戻ることもできない宙ぶらりんな人たちに贈る、三木監督からの極上の宙ぶらりんファンタジーなのだ。でもって蛇足ながら付け加えるなら、そんな宙ぶらりんな人々が心の中で”何か”から吹っ切れる刹那を描いた、とってもミニマムな感動作でもある。
(文=長野辰次)

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『インスタント沼』
監督・脚本/三木聡
出演/麻生久美子、風間杜夫、加瀬亮、ふせえり、白石美帆、松岡俊介、温水洋一、村松利史、松重豊、森下能幸、宮藤官九郎、はな、江口のりこ、石井聰亙、相田翔子、岩松了、渡辺哲、笹野高史、松坂慶子
配給/アンプラグド、角川映画
テアトル新宿、渋谷HUMAXシネマほか全国公開中
http://instant-numa.jp/

図鑑に載ってない虫

本作の姉妹編?

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最終更新:2012/04/08 23:06
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