虐待される子どもたちを救え! 施設育ちの元ボクサーの闘い(後編)
#ボクシング
2月のある日曜日。坂本はボクサー仲間や後輩とともに、東京は足立区の養護施設にいた。ミット打ちという、1対1のかかわり合いを通して、子どもたちと熱の交換をする、SRS(スカイハイリングス)・ボクシングセッションと名付けた活動のためだ。
この日参加を希望した20数名の小学生から高校生までの子どもたちに、ワンツー、フック、アッパーといった基礎を教えたあと、それは始まった。
「なァ、お前の怒りはそんなものかい?」
子どもの目線まで腰を落とし、目を覗き込みながら、坂本が挑発する。
「もっとあるだろ? 悲しかったこと、うれしかったこと。なんでもいい、気持ちを全部兄ちゃんにぶつけてごらん」
自分の頭ほど大きなグローブをはめた少年は、グッと歯を食いしばると、がむしゃらにパンチを出した。パーン、パーン。坂本の持つミットが、いい音を出してはじけた。
「いいぞ! よし、もう一丁!」
褒められた子どもの目が、みるみる輝きを増していく。
「どうだ、一生懸命やると気持ちいいだろ?」
気づけば子どもたちが列を作っていた。部屋の隅でそっぽを向き、坂本の誘いにしぶしぶ立ち上がった少女も、坂本の「もっとだ、もっと!」の熱に引き込まれ、懸命にパンチを出していた。ほんの2分前まで冷めた目をしていた彼女は、時間がくると「……あとでもう一回やっていい?」とねだった。
「子どもにとって大人に褒められるのはうれしいことなんだ。受け入れられた、認められたと思えるから。それが自信になる。それが重要なんだ」
わずか2~3時間の触れ合いで十分心を通い合わせられるとは、坂本も思っていない。だが、少なくとも何かきっかけは与えられるのではないか、心に刻んでくれることがあるのではないか――。
子どもたちのために、坂本自ら袋詰めしたお菓子の袋を手渡しながら、「兄ちゃんは、世界チャンピオンに4度挑戦して、4度とも負けました」
坂本が子どもたちに語りかけた。
「でもね、そういうお兄ちゃんを応援してくれる人がいっぱいいたんだ。それは兄ちゃんが一生懸命練習して、一生懸命戦ったからだと思ってる。努力したことは絶対に何かの形で返ってくるんだ。でも半端をしたら戻ってこないぞ。兄ちゃんが15年の現役生活で学んだのはそのことなんだ。つまり、何かをとことんやり抜けば、失敗なんてないんだよ」
今は意味がわからなくていい。
何年後か、壁にぶつかったとき、つらい思いしたとき、兄ちゃんの言葉を思い出して励みにしてくれたらいい。坂本はそう続けると、「いいかい、独りぼっちで苦しむな。兄ちゃんの連絡先を置いていくからね、何かあったら、いつでも連絡してくるんだよ」と、メッセージを締めた。
ありがとう。また来てね。
飛び上がって手を振る子どもたちに見送られた坂本は、こちらこそ元気をくれてありがとうだよ、と笑った。
「……最高だね。ああ、またすぐにでも子どもたちに会いたいよ」
子どもたちを包み込む固い拳と太い二の腕
坂本の心を子どもたちへと駆り立てているのは、その生い立ちや使命感だけではない。悲劇的な出来事にも、後押しされていた。実子の死である。
坂本夫妻は02年9月に長女、04年6月に長男を喪った。長女は19週目での死産。仮死状態で生まれた長男は、30時間後、母・涼子の腕の中で逝ってしまった。
2人は正気を失った。逆境にこそ、俺は絶対に負けねぇと強気を発揮してきたあの坂本が「もう立ち上がれなかった……」。死が脳裏をかすめる瞬間さえあった。
「でも一度現実から目を背けて逃げてしまえば、先の人生、強気で生きていけない」
だから、一度は終わりにしようとさえ考えたボクシングにも再起した。
「亡くなった2人の子どもに、これが親父だぞ、って胸を張りたくてね」
かけがえのない我が子を喪った苦しみと悲しみが消えることはない。だが、だからこそと、坂本は言う。
「以前より、もっと人の痛みをわかってあげられるようになった気がするよ」
この世に生まれ、未来を背負う子どもたちから命と笑顔を奪ってはいけない。実の親が無理なら、誰かが小さな命をつなげてあげなくてはいけない。その思いも強くなった。
「自分の子どもが元気に生まれたことや、家族が健康でいること、それを当たり前でなく、とても幸せなことだと思えたら、もっと子どもや他人を慈しむ気持ちが深くなると思うんだ。そしてどうか周りに目を向けて欲しい。近所の子どもに異変を感じたら、一言でいい。声をかけてあげて欲しい」
無力な子どもにとって見て見ぬふりをする大人も、加害者の一人、なのだ。
かつては対戦相手を殴り倒すためにあった固い拳と太い二の腕は、今は子どもたちの頭を撫で、その体を抱きしめるためにある。
「試練も苦しみも喜びもいろいろあった。そのすべてが、この活動をするためにあったような気がしてるんだ」
現役時代、将来の目標を尋ねたことがある。しばし考えたあと、”愛されるボクサー”はこのように答えた。
「そうだね、日本のみんなの強いお兄ちゃん、になれたらいいね」
つい最近、うれしいメールが届いたという。坂本がかつて過ごした和白青松園の後輩からで、彼は社会人になって現実の厳しさにぶちあたっているようだった。
――坂本さん、「苦しいときこそ前に出ろ」と、十何年前、言ってくれましたよね。あの言葉の意味が、今、やっとわかりました。
「ああ頭の片隅に残しておいてくれたんだなって。こういう子がね、今度は子どもたちに伝える側になってくれたら素晴らしいよね」
現在、福祉教育委員会や警察、学校や少年院などからの講演依頼も多く、多忙を極める。だが、何年かかろうと560カ所、全国すべての施設の子どもたちに会いに行くと決めている。
「いつか、子どもたちがやってこられるようなホームをつくるのも夢なんだ。でもそういう子どもの数が減ることが、俺の本当の望みなんだよ」
(取材・文=加茂佳子 写真=関根虎洸/サイゾー5月号より)
●坂本博之(さかもと・ひろゆき)
1970年、福岡県生まれ。高校卒業後、東京都内のボクシングジムに入門し、91年、プロデビュー。93年に日本ライト級チャンピオン、96年に東洋太平洋ライト級チャンピオンを獲得。4度の世界戦に挑戦したが惜しくも届かず。07年に現役を引退し、トレーナーとして後進の育成に携わる一方、自身の体験から、児童養護施設への支援をライフワークとしている。
●加茂佳子(かも・よしこ)
愛知県出身。ボクシングを中心に執筆活動を続けるフリーライター。「ボクシング・マガジン」(ベースボール・マガジン社)、「RON SPO」(英和出版社)などで連載。DVD、テレビのドキュメンタリー番組の取材、台本なども手がけている。共著に『坂本博之・不動心』(日本テレビ出版)。
『こころの青空募金』
坂本博之によって設立された同基金は、全国の児童養護施設にいる子どもたちを支援するために、2000年7月1日に発足。主な活動は、各種チャリティイベントの募金活動などによって得た資金で、全国にある施設にパソコンを設置するなどしている。
詳細は公式ウェブ〈http://www.kadoebi.com/aozora/〉にて。
その後、坂本とリックは子供たちの前で本気のスパーリングを披露した。
お前の怒りはそんなものかい?
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