覚えてますか? 教室の隅で漫画を描いていた「大橋裕之くん」のことを
#マンガ #松江哲明
込/5月14日発売)。大橋裕之が書き
溜めてきたロック奇譚が単行本化!
「高度に計算されているはずなのに、敷
居だけはとことん低い感じが大好きで
す」とスチャダラパーのBOSEもゆる褒め。
童貞の絶望と希望を描いた傑作ドキュメンタリー『童貞。をプロデュース』の監督・松江哲明。ディープなマンガ読みとしても知られる彼が、愛してやまないマンガたちを大いに語る──。
僕は大橋くんのことを幼稚園の頃から知っている。
彼はおゆうぎ室のすみっこで画用紙に僕らの似顔絵を描いて、それを見せてはニコニコと笑っていた。彼は目が大きいから、いじめっこには「やーい、デメキン」とバカにされていたけど、大橋くんはヤツの顔を面白可笑しくアレンジし、廊下に貼ってみんなの笑いを独占することで仕返ししてしまった。
大橋くんの絵の特徴はなんてったって「目」。半円と半円を上下で交差させて真ん中にチョン、と点を打つ。文字だとわかりにくいかな。シャネルのマークを90度回してくっつけてド真ん中に点、でわかってもらえるかしら。彼は漫画を幼稚園の頃から描き続けているけど、この目だけは変わらない。ホントは大橋くんだってもっとリアルで上手な絵を描けるはずなのだが、一度「発明」した以上は後には戻れない。幼稚園の先生には「人の顔をちゃんと見ましょう」と怒られていたけど、彼はそんなお説教は無視していた。
小学校も僕らは同じクラスで、その頃になると彼は『キャプテン翼』や『キン肉マン』のパロディを描き始めた。「週刊オオハシ」と題されたコクヨのノートには、大橋裕之の他に、大橋ヒロユキ、おっぱい大橋、大橋裕美といった豪華連載陣が並ぶ(実は全員、大橋くんなんだけど)。字はあまり上手じゃないし、枠線もヘロヘロだけど「少年ジャンプ」に連載されていた本家よりはるかに面白かった。ハゲ頭の図工の先生はなぜかゴールキーパーとして登場し、翼くんのドライブシュートに吹っ飛ばされて、ジャージとあだ名された体育教師がキン肉マンと並んで「屁のツッパリはいらんですよ」と言っている。大橋くんは僕らの身の回りの出来事を漫画の中で「もっともっと」面白くしてしまう天才だった。
だが小学校五年の時、大橋くんは家の都合で引っ越すことになってしまった。当然「週刊オオハシ」はもう読めない。悲しいのは僕だけじゃない。運動が得意なあいつだって、学級委員のあの子だって、教育実習の色っぽいお姉さんだって、みんな大橋くんの漫画を楽しみにしていたのだ。彼は別れ際に「また読んでね」と言って去って行ったけど、「また」が「いつ」なのかはわからない。「ズルいぞ、大橋くん」という思いを抱えたまま、僕は中学、高校と成長し、それにつれ読む漫画も誰もが好きな『スラムダンク』から、根本敬、蛭子能収、花くまゆうさくといった一言で「上手いとか下手」では片付けられない、ピリリとした痛みと共に「面白さ」を教えてくれるような作家に興味を持つようになった。
しかし、今にして「僕がこういう人たちが好きなのって『週刊オオハシ』の影響かな」と思うのだ。描き手の興奮と思いがダイレクトに伝わってきて、「そうそう」という共感と「こんなオチ!?」と驚かされるタイミングが絶妙な漫画は、「絵を読む」だけで十分楽しかった、あの頃を思い出させてくれるから。
先日、20年振りに大橋くんから漫画が届いた。どこで僕の住所を知ったのかわからないが、ポストに投函された『漫画と音楽』(太田出版)を読んでびっくりした。絵が20年前と全く変わっていなかったのだ。ヘロヘロの線に、シャネルにチョンの目。しかし、物語はかつてのパロディとは全然違う。登場人物たちはヘラヘラしながらも、ちゃんと切実に今生きることのしんどさを語っている。僕は先ほど上げた作家たちにも負けない、「20年後も、こんな物語を描き続けてくれるんだろうな」と期待させるような強度を感じた。最低限の線に込められたいいかげんと「これしかない」が同居する、まさに「漫画」でしか表現し得ない絵が、大橋くんの描く物語にぴったりなのだ。
僕は大橋くんのことをずっと知っている。とはいえ以上の文章はほとんどがフィクション。彼と同級生だったことはないし、小学校の頃にどんな漫画を描いていたかなんて知らないし、そもそもいつ描き始めたのかさえわからない。これまで大橋くんと書いてきたけど、彼の作品を知ってからまだ1年にも満たないし、実際に会ったときは「さん」付け。けどあなたはきっと覚えているはず。子どもの頃、教室で夢中になって漫画を描き、見せ回っていた少年がいたことを。あなたが「絵、上手だね」と言った時に照れ笑いした彼こそが、大橋くんなのだ。僕は今もおゆうぎ室のすみっこで漫画を描く日本中の大橋くんに「ずっとこの絵で勝負してね」と伝えたい。
(文=松江哲明)
5月14日発売。
●松江哲明(まつえ・てつあき)
1977年、東京都立川市出身。99年、在日コリアンである自身の家族の肖像を綴ったドキュメンタリー『あんにょんキムチ』を発表。同作は国内外の映画祭に参加し、山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波特別賞、平成12年度文化庁優秀映画賞などを受賞。また、07年に公開した『童貞。をプロデュース』が大きな話題を呼ぶ。新作『あんにょん由美香』『ライブテープ』が近日公開予定。
ブログhttp://d.hatena.ne.jp/matsue/
●連載ドキュメンタリー監督・松江哲明の「こんなマンガで徹夜したい!」
【Vol.01】この世でもっとも”熱い”マンガ、『宮本から君へ』を君は読んだか?
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