「よしりんと戦争勃発!」佐藤優ロングインタビュー(前編)
#マンガ #佐藤優 #小林よしのり
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──9月30日現在、「SAPIO」編集部との話し合いはどのような状態ですか?
【佐藤】 手紙でのやり取りをしています。編集部との具体的なやり取りについては、現段階ではノーコメントです。
──「週刊SPA!」しか読んでいない読者からすれば、佐藤さんと小林さんの間に何が起こっているのかよくわからないかもしれません。
【佐藤】 それでいいのです。「週刊SPA!」(9月23日号)で私が書いた記事は、あくまでもフィクションですから。
私が「週刊SPA!」で書いたことの一つは、編集権の問題です。雑誌にはいろいろな長期連載があります。Aという長期連載者が、Bという別の長期連載者が書いているものはデタラメだと論評している。Aさんの言うとおりだとすれば、Bさんというデタラメな人に長期連載を書かせている雑誌編集部の責任はどうなるのか。こういう問題です。
──小林さんは「SAPIO」(8月20日・9月3日合併号)で3ページを使って佐藤さんの批判をしています。佐藤さんも「SAPIO」に3ページを要求し、「SAPIO」誌上で小林さんに反論する手もあったのでは?
【佐藤】 私は、今回の一件を「論戦」とは意識していません。論戦には二つの条件があります。一つは争点を明示していること。それから、相手に対する最低限の人間としての礼儀があること。この二つが小林さんには欠けている。論争以前の問題なのです。論争以前の問題であるのに、それをあたかも論争であるかの如き扱いで「SAPIO」編集部は掲載した。最初から論戦になっていないわけですから、小林さんが問題なのではない。編集権はいったいどうなっているのか、ということについて私は問うているわけです。
──佐藤さんは敢えてフィクションという形で応えたわけですが、正面から小林さんと論争はしない?
【佐藤】 論争にならないのです。繰り返しますが、「SAPIO」の記事の、どこに争点がありますか? 例えば小林さんは、≪佐藤は、ただただ、自分を「いい人」、わしを「悪い人」と印象操作したいだけなのだ。≫と言っています。私がどこでそんなことを言ったというのでしょう。私の発言を要約していたとしても、これでは要約不適当です。
それから、マンガの欄外で小林さんは≪わしが沖縄を論じる目的が「金と地位」と佐藤は言うが、生憎わしはその両方とも現状に不満はない。≫と言っている。カギ括弧でくくっているわけですから、「金と地位」とは私の発言の引用なのでしょう。私がいったいどこで、小林さんが沖縄を論じる目的が「金と地位」だと言ったのか。私はそんなことを一度も発言してはいません。
相手の言ったことを正確に引用する。正確に要約する。そのうえで、争点を明示する。こうした論戦の基本すらできていないわけですから、そんなものは論戦以前の話なのです。論争など、どこにも存在はしない。
繰り返しになりますが、私が「週刊SPA!」で訴えているのは編集部の姿勢、編集権の問題はどうなっているのか、ということです。小林さんは、私に関してデタラメなことを言っている。そういう記事を、何ゆえに編集部が読者に見せる必要があると考え、掲載する価値があると考えたのかということです。
「『ゴーマニズム宣言』は『SAPIO』誌上において治外法権化しています」と編集部が認めるのであれば、私だって編集権云々とは言わないわけですよ。「ゴーマニズム宣言」が治外法権化しているのであれば、「SAPIO」は編集権のない2ちゃんねると一緒だということになりますからね。
小林さんは「SAPIO」誌上で、私の言説を「デタラメ」だと言っている。その私は、「SAPIO」に長期連載をもっている。ウソ記事を書くような人間の連載を放置しておくようであれば、「SAPIO」編集部の責任が問われます。しかも私が「SAPIO」で書いている連載は、デタラメやウソが混じっていてはいけない国際情勢分析です。「SAPIO」編集部は、読者との関係においてどう説明責任を取るのか。
──あくまで編集部の姿勢が問題なのであって、小林さんと佐藤さんの間で論戦が起きるような性質の問題ではない。
【佐藤】 その通りです。論戦には争点の明示が必要です。論争をしたい側は、争点を明確にしなければならない。そのうえで、相手に対する人間としての最低限の礼儀がなければならない。この二点が満たされていないものに関して、私は論戦を行ないません。
それから小林さんは、私が現在係争中の刑事裁判に関して≪呆れた話だ。「国策捜査」で罪をでっち上げられたと言ってる奴が、人に濡れ衣を着せている! こいつの無実の訴えなど、二度と信じてやるものか!≫と言っている。沖縄問題に関する小林さんと私の見解の相違と、私の裁判の無実・有実との関係がいったいどこにあるというのでしょう。
刑事裁判には、無罪推定の原則が働いています。≪こいつの無実の訴えなど、二度と信じてやるものか!≫と言うわけですから、小林さんは私の刑事裁判が有実、有罪だと考えているのでしょう。雑誌という公器の上でこうした主張を行なう以上、挙証責任が伴います。私の裁判に関する公判書類なりを読んだうえで、上記のようなことを言っているのか。それとも印象批評なのか。単なる感情の吐露なのか。いずれにせよ、こうした主張を公共性を伴う媒体に載せることに関し、編集部はどう考えているのかが問題です。
「所詮マンガなのだから、細かいところまで詰めて考えなくてもいいじゃないか」という説明があるとすれば、それはただの逃げです。
──マンガだから、多少行き過ぎた表現があっても許されるということにはならない。
【佐藤】 政治問題を扱うマンガだからこそ、厳密に詰めなければいけないのです。
──「週刊SPA!」の特別企画「インテリジェンス職業相談」で佐藤さんは、「ラスプーチン」さんや「大林わるのり」さんからの質問に応えるという寓話的手法を使いました。「インテリジェンス職業相談」の続編を掲載する予定はありますか。
【佐藤】 あるかもしれないし、ないかもしれない。今の時点ではなんとも言えません(笑)。重要なのは、読者がおもしろがってくれるかどうかです。
小林さんは今年春、≪本土の知識人には馬鹿な奴がいて、「沖縄の心ある人には、独立論を唱える人もいる」などと書いていたりする。≫(「わしズム」2008年春号)と言っています。このコメントの背景には、私の顔写真が入った雑誌記事が載っている。名指しではありませんが、私の顔写真が入っているわけですから限りなく名指しに近い。その次の段階として、今度は「SAPIO」で私を名指しして撃ってきた。
最初に撃ってきたのは向こうだ。西部劇の世界と一緒で、最初に撃ってきた人間には責任があるのです。それならば、こちらとしてもそれなりの礼儀をもって応えるだけの話だ。つまり、無礼なことには無礼なことで対応する。やられた範囲のなかでやり返す。これが私の主義です。
──ケンカの作法として、やられたことはそれ相応にやり返す。
【佐藤】 そういうふうに考えます。相手が無礼な形で撃ってくるのであれば、こちらも無礼な形で応える。言論に対してマンガという非対称な形で撃ってくるのであれば、こちらはフィクションという非対称な形で応える。もし向こうが論戦をしたいと言ってくれば、論戦以外の形で応える。非対称なことをやってくる人には、全部非対称で応えていこうと思っています。ただ、ここで重要なのは遊び心です。読者にとっておもしろいことが重要なのです。
(2008年9月30日取材/構成=荒井香織/後半へ続く)
ムネオ事件が赤裸々に。
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