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“King of Tokyo”アマラオが語る『王の矜持、戦う意味』(前編)

amarao01.jpg“KING”は、ほがらかな笑顔を見せてくれた。

 92年、まだ日本にプロサッカーリーグが存在すらしていなかった頃。東京の外れのアマチュアチームにひとりの外国人選手がやってきた。彼の名は、アマラオ。後に「キング・オブ・トーキョー」と呼ばれることになる、ブラジルのトップ選手だった。

 ブラジル代表を目前にして、極東のアマチュアチームに参加することになった彼の苦悩、家族への想い、そして芽生えた新たな夢──アマラオの半生を追ったドキュメンタリー映画『KING OF TOKYO O FILME』(10月11日公開)の完成を機に、”王”はそのすべてを赤裸々に語ってくれた。

──まず、今回のドキュメンタリー映画『KING OF TOKYO O FILME』ですが、どのような経緯で作られることになったのでしょうか。

※日刊サイゾーから映画『KING OF TOKYO O FILME』劇場鑑賞券とアマラオサイン入りプレスキットをセットにして5名様にプレゼントさせていただきます。詳細はこちらのインタビュー記事の下をご覧ください。


アマラオ「はじめは、ただ私の生い立ちに興味を持っていただいたというのがきっかけです。それから、ブラジルでサッカーをしていた私が、なぜ日本に来て”King of Tokyo”とまで呼ばれるようになったのか、そのプロセスを映画にしようということになりました」

──アマラオさんの少年時代については映画の中で語られていますが、日本の子供たちとブラジルの子供たちではサッカーを取り巻く環境がまるで違いますよね。

amarao02.jpgアマラオ「ええ、それは違います。ブラジルであれだけサッカーが愛されているのは、誤解を恐れずに言えば、サッカーが『貧者のスポーツ』だからです。ブラジルに比べれば、やはり日本は豊かですよね。ですが、その分ブラジルの子供たちのほうが自由というか、発想力が豊かな気がします。ブラジルの子供たちはグラウンドであろうがストリートであろうが、仲間が集まればどこでもサッカーを始めてしまいます。それにボールも、空き缶や紙を丸めたものなど、蹴れる物なら何でも蹴る。何もないところから創造するというクリエイティブな部分が、貧しいからこそあるのだと思います。それに、子供たちにも『ブラジルはサッカーでナンバー1の国だ』という誇りがありますし、将来はプロの選手になるという夢を持ってサッカーをしている子がとても多いですね。どちらかというと、日本の子供はスポーツをしたいという理由でサッカーをやっている子が多いと思います」

──かつては、そんなブラジルの子供たちの一人だったアマラオさんは、そこからパルメイラスという名門クラブの選手にまで登りつめるわけですが、なぜ日本に来ることになったのですか?

amarao03.jpgアマラオ「私はプロになってから、ずっとビッグクラブでプレイしたいと思っていました。もちろん、その先にはセレソン(ブラジル代表)という目標がありました。私はパルメイラスに入る前にはイトゥアーノという小さなクラブで3年間プレイしました。ただ、ようやく念願のビッグクラブに入ることができたにも関わらず、入って4ヵ月の間に2回も大ケガをしてしまいました。その内の1回は手術もしました。ようやくセレソンという夢に手が届くところまで来ていたのに、選手としてクラブにいられるかどうかすら、わからなくなってしまったのです。そんなときにイトゥアーノ時代にお世話になった監督から、日本の東京ガスというチームが選手を探しているという話を聞いたのです」

──やっと、あと一歩で夢のセレソンに手が届く場所に来たのに、日本のチームのオファーを受けることに躊躇はありませんでしたか?

アマラオ「もちろん悩みましたが、プロの選手として家族のことを考えたときに、東京ガスのオファーはとても良いものでした。もちろん断ってセレソンを目指すこともできたのですが、自分の夢と家族の生活、この二つを天秤にかけたとき答えはおのずと決まっていました。日本に行ってサッカーをやることに私の人生をかけてみようという気持ちになったのです」

──日本に来て、色々と戸惑ったことなどもあったかと思いますが。

アマラオ「アマチュアのクラブだということは聞いてはいましたが、ここまで完全にアマチュアだとは思っていませんでした。私たちブラジル人以外の選手たちは、仕事をしてから練習に来るのです。しかも、決められた練習着もなく、それこそパルメイラスやコリンチャンスのユニホームを着て練習しているのですから。何人か高い技術を持っている選手もいましたが、全体的にはレベルも低く、もちろん言葉も通じないので、私がやりたいと思うようなサッカーなんてもちろん出来ませんでした。やっとの思いでブラジルの名門クラブの選手にまでなったのに、また下部リーグのアマチュアクラブからやり直しかと思うと、やはり落ち込みましたね」

──そんなときに、ラモス(瑠偉)さんに色々と助けてもらったそうですね。

アマラオ「今回の映画にも出ていただいていますが、色々とお世話になりました。当時のラモスさんはスーパースターですから、まさか私にそんなことをしてくれるとは思いませんでした。ただ、実際に会ってみると、とても優しい人で日本での生活について細かなことまで一つ一つ丁寧に教えてくれました。特に嬉しかったのが夜の日本を教えてくれたことですね(笑)。初めて会ったときに『遊びにいこう』と夜の街に連れ出してくれたのです。そのときの私は試合がないときは毎日、練習場と部屋を往復しているだけの生活でしたからとてもストレスがたまっていたんですね。そんな生活をしていたら誰だって外に出て色々と発散したいと思いますから、ラモスさんがいなかったら、そんな生活に我慢できずにブラジルに帰っていたかもしれません」
後編に続く/取材・テルイコウスケ)

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●アマラオ Amaral
 1966年10月16日、ブラジル・サンパウロ郊外のピラシカーバ生まれ。本名ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ(Wagner Pereira Cardozo)。
 87年、サンパウロ州の3部に所属していたコメルシアンと初のプロ契約。カッピバリアーノ、イトゥアーノで活躍した後、92年にブラジルの名門パルメイラスにレンタル移籍。怪我のリハビリ中に、アマチュアチームであった東京ガスサッカー部から勧誘を受け来日。
 98年、JFL通算100ゴールを突破。99年、チームがプロ化し、来日8年目にしてプロリーグへの参戦を果たす。03年シーズン終了後に多くのサポーターに惜しまれながらFC東京を退団。その後、下部リーグに所属し、07年4月に現役引退を正式表明。
 常にチームの勝利を目指すプレーが、多くのサポーターの心を惹きつける。特にFC東京のサポーターからは、キング・オブ・トーキョーの名で愛され、今なお味の素スタジアムでFC東京が試合をする際には、『KING OF TOKYO AMARAL』の巨大な横断幕がゴール裏に掲げられる。

KOT01.jpg●『KING OF TOKYO O FILME』
出演:アマラオ、ケリー、川淵 三郎、村林 裕、原 博実、ラモス瑠偉(友情出演)
スタッフ:監督・編集 太田 綾花 原作:植田朝日 プロデューサー 木村 尚司
2008年/カラー/104分/日本語・ポルトガル/日本語字幕・ポルトガル語字幕/ステレオ
配給:スリー・ジー・コミュニケーションズ/宣伝:ビー・ビー・ビー/協力:日本サッカー協会、東京フットボールクラブ、湘南ベルマーレ、ベガルタ仙台、アルテ高崎 /後援:ブラジル大使館/外務省認定 日伯交流年認定事業/製作:ティー・オーエンタテインメント
©T.O Entertainment,Inc. 2008
■公開
10/11(土)より、渋谷シネパレス
10/18(土)より、吉祥寺バウスシアター
10/25(土)より、TOHOシネマズ府中ほかにてレイトショー
■URL
http://www.kingoftokyo.com/

●プレゼントの詳細
日刊サイゾーでは映画『KING OF TOKYO O FILME』の劇場鑑賞券とアマラオサイン入りプレスキットをセットにして、5名様にプレゼントさせていただきます。ご応募の〆切は10月3日(金)23時59分とさせていただきます。なお、当選の発表は商品の発送をもってかえさせていただきます。

ご応募はこちらからご応募は〆切ました。

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アマラオの雄姿も。

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最終更新:2013/02/12 11:21
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