バラエティ最前線でウン10年 大物司会者四天王はもう限界!?
#テレビ #お笑い
明石家さんま、島田紳助、タモリ、みのもんた。それぞれ独自の「おもしろ」を世に提示し、一時代を築いた彼らだが、それも今は昔。今、この4人が自らの冠番組で見せているのは、おのおの独自の「衰退」の形である。
4人の中で、最も衰えが見て取れるのは、明石家さんまだ。彼が構築した、「くすぐり笑い」の手法というかセオリーは、万人に受け入れられたが、今や万人がそのセオリーに飽き飽きしている。今、さんまが歩いている道は「前はこれでみんな笑ってくれたのに」という、欽ちゃんと同じいばらの道だ。衰えに気づいても策を講じられない欽ちゃんには、ある種の哀しさを覚えたものだが、さんまの場合はただ見苦しい。テレビ業界だけでなく、視聴者にも「衰え」に対して見て見ぬふりを強いる厚顔ぶりには辟易である。
さんまに比べ島田紳助には、目立った衰えは見られない。しかし彼の場合、すべてが金太郎飴状態。
仕切りもトークもツッコミも、確かにうまい。うまいのだが、どの番組もどのシーンも、まるでデジャブのように同じなのだ。繰り返し同じ番組を放送しても、誰もそれに気付かないに違いない。
同じマンネリでも、タモリの場合は一味違う。『笑っていいとも!』(フジテレビ)ではレギュラー陣に進行を任せて、「冠番組でも、司会すらしないタモリ」は、今や「遊んでいるだけのタモリ」へと進化。いや退化。多芸ということで一目置かれ、置かれっぱなしで、一度も本気を見せることなく、大物としてタレント人生の大部分を生きるタモリ。そんな彼を、共演者、番組制作者、視聴者が三位一体となって受け入れる状態が続いている。そして、今後も未来永劫続くだろう。最近「遊び」が行き過ぎて、ちょっと恍惚としてきているのが気がかりではあるが。
本来とは別の方向に進んでいるといえば、みのもんたも同じ。度が過ぎるほど視聴者に親しげに近づくことで人気を得た彼だが、今は逆に、度が過ぎるほど客をないがしろにしている。三田佳子の息子のニュースで、彼の名前を伝える際、「(高橋)ヒロヤ? ユウヤ? なんて読むの?」と興味なさげに言い放っていた。つまらないことに対し「知らない」というスタンスを示すことはよくあることだが、司会者がテレビでそれやっちゃダメだろう。最近こういう失礼が実に多い。そもそも生放送に向いていない人なんだろう。
さんまの「辟」、紳助の「飽」、タモリの「呆」、みのの「誤」。四天王の間違いのベクトルも、こうして4つ並べてみると、なんだか宝の玉のよう。全部揃った瞬間、すごいパワーが生まれそう。ものすごい負のパワーが。4人の出るバラエティ番組の放送が重なりませんように。さあ皆で祈りましょう。
(今井舞/「サイゾー」3月号より)
※さらに詳しい4人の分析は、本日発売の「サイゾー」3月号をチェック!
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