大物アイドル活躍の赤裸々な「舞台裏」(中)
#アイドル #サンミュージック #ベッキー #森田健作 #桜田淳子
淳子、聖子、ユッコ、ノリピー……
育ての親が語る【アイドルたちの40年】(中)
日本のアイドル史を語る上で欠かせない2人の対談を3回に分けてお届け。
片や、桜田淳子、松田聖子、酒井法子、安達祐実、ベッキーなど、常に時代の要請に応じた女性アイドルを輩出してきた、大手芸能プロ「サンミュージック」会長・相澤秀禎氏(来年、同社創立40周年)。片や、「おたく」「チャイドル」などの言葉を生み出してきた“サブカル界の黒幕”中森明夫氏(今年、アイドル評論活動25周年)。中森氏の軽妙な語り口につられて、相澤氏が、大物アイドルたちの活躍の「舞台裏」を、赤裸々に語り出したーー。
森田健作から始まった、40年のアイドル街道
中 来年は、サンミュージック創立40周年だそうですね。最初のタレントは、森田健作さんですよね。
相 そうですね。考えてみれば、よくここまでやれたな。その前、僕は龍美プロで、西郷助封Fのマネージャーをしてました。その頃の西郷は、今のキムタクさんくらい人気があった。コンサートで入れなかった人が押し寄せて、警官2人が圧死するという惨事を生むほどにね。
中 圧死!?
相 そんな中、どうしても新人をやりたくて探していたら、「あるダンサーの弟にいいのがいる」と。それが森田健作。パッと見て、「こりゃいいや」と、サンミュージックを立ち上げました。
中 最初の女性アイドルは桜田淳子さんですね。桜田さんは『スター誕生!』(1971~83年に放送されたオーディション番組)で合格して、複数の芸能プロが獲得しようとしたんですよね。
相 十数社ですね。番組後、交渉時間は各社5~10分しかなくて、うちはそのとき無名の会社で、所属タレントは3人だけ。仕方ないんで、「一生懸命頑張りますから、お願いします」って、タレント3人の名前を紙に書いて置いてきた。そしたら、彼女が森田のファンで、「森田さんのいる会社に行きたい」って。
中 桜田さんが、92年の統一協会の合同結婚式をきっかけに、芸能界を離れられたことについてはどうお思いですか?
相 もし、あの子が芸能活動を続けていたら、今ごろすごい舞台女優になってますよ。でも、彼女は宗教を信じきってましたから、どうすることもできませんでした。
中 会長は、ご自宅に女性タレントを下宿させることで有名ですが。
相 淳子から酒井法子ぐらいまでは、そうしてました。高校を卒業するまでは、下宿をさせる。地方の親御さんは、そのほうが安心するんですよ。多いときは4~5人いたな。
中 会長にとって、アイドルとはどういうものなんですか?
相 それは、中森さんのほうが詳しいんじゃないですか?(笑)僕は、自分の感覚だけでやってきたから。早見優のときは、プロフィールの写真を見ただけで決めたし。
中 鮮烈でしたよね、ハワイ育ちで、それまでいなかったタイプ。
相 僕は結構欧米的な感覚なんですよ。横須賀で育って、カントリーバンドもやってたから。
中 最近は、ベッキーも人気だし。
相 ベッキーは、下着メーカーのオーディションで来たんですよ。友人の下着メーカー社長に審査員を頼まれて。下着モデルですから、20代以上がほとんどなんだけど、その中に14歳のベッキーがいた。これは面白いと思ったんで、優勝はできなかったけど、急遽「サンミュージック賞」をつくって受賞させました。
中 下着モデル! お宝情報ですね(笑)。僕は一度、会長が審査員をされたオーディションに審査員のひとりとして参加したことがあるんですが、会長は履歴書を見て、「この子とこの子」ってパッと決めるんですね。そういう方は初めてでびっくりしました。あれは直感ですか?
相 直感だけですね。
中 それに、芸能スクールを全国的に展開されてますよね。倉木麻衣がスクールにいたとか。
相 大塚愛も、いたんですよ。
中 サンミュージックが、Jポップの歌姫たちを育てたようなもんですね。浜崎あゆみも、かつては所属してましたしね。
相 ええ。みんないい子でしたねえ。昔は、道を歩いてて「いいな」と思ったら声をかけてたんですけど、だんだんそういう機会がなくなってきました。でも、スクールで1~2年レッスンをすると、つぼみがフーッと開くところが見えることがあるんですね。ああ、これは売れるかもしれないと。塚本高史なんかもそうですね。
中 安達祐実さんは、どうですか?
相 彼女は10歳のとき、お母さんとここに来たんです。そのとき、お母さんのほうがベラベラしゃべってて、彼女がお母さんを制止したんです(笑)。10歳の子がですよ。すごいなと思いました。
中 安達さんは、“できちゃった婚”をしてしまいましたね。しかも、ホリプロのコメディアンと。
相 堀(威夫・ホリプロ取締役ファウンダー)さんから僕に、「ごめんね」って電話がありました(笑)。僕は「いい子を紹介してくれたね」って。祐実ちゃんが好きになった子なら、いい人だと思ったんですよ。
中 記者会見は、どちらが仕切ったんですか? 大手プロ同士、メンツがあるから、もめることもあると聞きますが。
相 男性側が仕切るのは当然なんですけど、うちはうちでかわいさもありますから、「金屏風を立てて、ちゃんと記者会見したい」と堀さんに頼みました。
中 今、息子さんが社長を継いでおられますが、帝王学をお教えになったんですか?
相 いや、ないです。彼は僕のやり方とは違います。5~6年前にお笑いをやりたい、って言ってきて、僕は「芸人には、人間的にいいのがいない」と思ってたんです。ところが、(カンニング)竹山にしてもヒロシにしても、みんなまじめ。そういうやつもいるんだっていうことを息子に教えられて、あとは委せるようにした、今はホストの城咲仁やヘアメイクのTAKAKOまで連れてきて、僕とは違う感覚をもってますね。
(次回につづく/「サイゾー」6月号より)
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