どうやったら、こんなに話を拾えるんだろう……岡長平『おかやま庶民史 目で聞く話』上
#雑誌 #出版 #昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」
岡長平は、この連載の12冊目(記事参照)で一度取り上げた。その代表作である『ぼっこう横丁』(岡山日日新聞社刊)は、正・続の2冊に分かれている。正篇では、岡山市の各地域の故実や事件、噂話を。続篇では、空襲の時のことを中心に戦後の混乱期の出来事が綴られている。
そこに記された、江戸時代の末から明治・大正の時代に岡山の街で起きたさまざまなこと。子どもが神隠しにあった事件から、カフェーの女給の話。そして、街中に暮らしていた奇人変人の逸話まで。
いやいや、いったいどんなやる気があれば、こんなにネタを集めてくることができるのか。
そんな岡長平という人物だが、亡くなったのは1970年と、すでに遠い昔。戦後も長らく地元の新聞にラジオにと出演していたというけれども、それを覚えている人も少ない。
そして、この人物が収集した岡山の記録も、もう失われた過去になろうとしている。
この『おかやま庶民史 目で聞く話』(日本文教出版刊)は、岡山人の大好きな祭りや「すし」など、さまざまなテーマに分けて、その歴史や実情、記された当時の現在形を語っている。「現在形」とはいうけど、この本で使われる「近ごろ」というのは、本が発行された昭和34年の頃のこと。遠い昔の話である。
さて、この岡長平という人。食い意地もけっこう張っていたのか、食べ物の記述はとにかくうるさい。だから、本の中でも一番に気合いが入っているのは、岡山のすしを扱っている章である。
ご存じの方も多いだろうが、岡山のすしのスタンダードはにぎりではない。ばらずしである。戦後になって、商売物にするに「ばらずし」では都合が悪いのか「祭りずし」という表現も広く用いられるようになったけれども、岡山人には「ばらずし」がもっともしっくりくる。
この、ばらずし。郷土の料理ということで、店でも食べられるし、駅では弁当にもなっている。でも、それはあくまで観光客向け。というのも、岡山のばらずしというのは、地域によって、家によって、まったく違うものになるからだ。
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昔から“寿司一升、金一両”と言って、一升の“岡山ずし”をつくるのに、一両の銭を投じて惜しまなかったものだ。今の相場なら、まず三千円だろう。
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全国では知る人も少ないが、この伝統は今も続いている。今でも岡山の家庭で、すしをつくるとなれば、材料に1万円以上を使うのは当たり前だ。
もちろん、そんなものを手軽につくることはできない。だから、岡山では近所や親戚同士で、すしを配り合って欲求を満たすのだ。
ここに生まれた土地や、それぞれの家庭での味付けの違いが出る。もとより自分が一番と信じて疑わないメンタリティの岡山人だが、すしに限っては褒め合うのが基本だ。
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各家庭に、独自の味と仕方があったからだ。“砂糖厳禁”が本格なのに、“ふたつまみ”の砂糖を使うのが秘伝のうちもあれば、もう少し入れる家もあるし、酢なんかも、一升の飯に、六勺から一合二勺くらいまであって、家々で分量が違うから大変だ。その家に、先祖代々からつたわる味が、保存し続けられて来ているところに“岡山ずし”の伝統美がある。
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つまり、どういうことかといえば、それぞれの家に味がある。そこに、他所から嫁に来たりして、もとの家の味と、他所の味とが融合して、新たな味ができていく。それが積み重ねられてきたのが、岡山ずしである。
対岸の香川県では、嫁入りを控えた女性は、うどんをうてるのが当たり前だった。もはや香川でそうした伝統が続いているとは聞かないが、岡山ではいまだに、すしの作り方は簡略化されても、しっかりと覚えている者が多い。
その簡略化もさまざまである。
筆者の母親の代だと「だいぶ簡単につくっている」という。それでも、前日から仕込みを始めて、朝から米を炊き始めて出来上がるのは昼頃である。まあ、つくる量も多いと必然的に時間がかかる。
なにせ、具の準備が大変だ。サワラを酢魚にして、穴子を焼いて、卵を焼いて……野菜もアレコレと。準備も時間がかかるが、狭い家のテーブルは瞬く間に、材料でいっぱいになっていくのだ。
この材料だけを見ても「○○の人か」と、生まれ育ちが見えてしまうのが、岡山ずしの特徴だ。
いわば個性が光る。それこそが、岡山ずしといえるだろう。
この具の多さは、伝承では江戸時代に名君として知られた殿様の池田光政が倹約令を出したからだという。倹約ということで、一汁二菜以上を食べてはならぬとされた庶民。そこで考えついたのが、すしである。
これならば、お上に逆らってはいないという知恵なのだ。
そんな結果として生まれた寿司だから、伝統はあっても、形式には囚われない。
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昔の人は、どうしても厳粛なる態度で、試食研究、その蘊奥を極めたのである。実に驚愕く可き努力だ。若き主婦達も、も少し考えて欲しい。ハムやソーセージやアスパラなどの“岡山ずし”が創作せられても、いいのではあるまいか。先人に愧しくない“新岡山ずし”の出現こそ、岡山文化のために望ましい限りだと思う。
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さらなる岡山ずしの革新を、昭和30年代に夢想していた岡長平。同時に、その豊富な知識は今では幻となった至高の作り方も教えてくれる……その話は次回に。
(文=昼間たかし)
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