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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム >  パンドラ映画館  > 戦争の裏側を暴く『沖縄スパイ戦史』
深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.490

戦争の裏側を暴き出した衝撃ドキュメンタリー!! マニュアルどおりの地獄絵図『沖縄スパイ戦史』

日本にも少年兵は存在し、ゲリラ戦が行なわれていた。沖縄戦の後は、本土全域で実施されるはずだった。

 この映画は覚悟して観たほうがいい。恐怖映画の煽り文句のようだが、ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』はリアルに戦争の実相を伝え、平和をむさぼりながら暮らす我々に衝撃を与える。小説や劇映画の中でしか知らなかったゲリラ戦や諜報戦の恐ろしさを観る者の脳裏に刻み込む。これまで観てきた戦争映画が戦争の表側しか描いていないことに驚愕することになる。

 本作を撮ったのは、琉球朝日放送在籍時に製作した『標的の村』(12)で注目を集めた三上智恵監督。2014年に琉球朝日放送を退職してフリージャーナリストとなってからも、沖縄の基地問題をテーマに『戦場ぬ止み』(15)、『標的の島 風かたか』(17)と精力的にドキュメンタリー映画を放ってきた。これまで沖縄の人たちに寄り添うようにカメラを回してきた三上監督だが、今回は沖縄の人たちがずっと口を閉ざしてきた歴史の暗部に意を決して踏み込んでいる。同じく琉球朝日放送の元記者である大矢英代監督とタッグを組み、第二次世界大戦の中でも壮絶さを極めた沖縄戦の裏で起きた、より悲惨な少年ゲリラ兵、戦争マラリア、そして住民も加担したスパイリストの真相を明らかにしていく。

 ハリウッド映画『ハクソー・リッジ』(16)でも描かれたように、1945年3月末から始まった沖縄戦では米軍と日本軍との間で激しい攻防が繰り広げられ、わずか3カ月間で20万人あまりもの命が散っている。米軍の圧倒的な火力と兵力の前に、同年6月には日本軍の司令本営は陥落。だが、その後も沖縄では各地で戦闘が続いた。地元の10代なかばの少年たちが集められ、彼らは「護郷隊」と名付けられたゲリラ部隊として戦った。自分の身長を上回る銃や「陸軍登戸研究所」で開発された特殊爆弾を手に、完全武装した米兵たちを苦しめた。兵士にはまるで見えない純朴そうな子どもたちは、米軍基地の倉庫を爆破し、戦車に向かって身を投げていった。やがて米軍は少年兵の存在に気づき、たちまち追い詰められていく。補給路もなく、援軍もまったく望めない状況の中、彼らは裏山を逃げ惑うしかなかった。

「護郷隊」に選ばれた子どもたち。「陸軍中野学校」出身の青年将校たちによって、ゲリラ兵として育て上げられていった。

 少年兵たちの無惨な最期を記録した映像に、思わず目を覆いたくなる。下半身を吹き飛ばされた者、頭部が破裂してしまった姿……。米国の国立公文書館で入手した資料映像で、初めて公開されるものが多い。辛うじて生き残った者も、戦後は「兵隊幽霊」と呼ばれることになる。激しい戦争体験によってPTSD(心的外傷後ストレス障害)をわずらって暴れるため、座敷牢に閉じ込められた少年兵もいた。少年兵を送り出した家族も悲惨だった。息子はいわば日本軍の人質となったため、米軍に投降することができなかった。終戦後、遺体すら帰ってこない我が子を探すため、裏山をさまよい続ける母親の姿があった。疑うことを知らない地元の子どもたちを集めてゲリラ兵へと育て上げたのは、諜報機関「陸軍中野学校」を卒業した青年エリート将校たちである。子どもたちに慕われた本土生まれのエリート将校たちは、事前に用意されたゲリラ戦マニュアルどおりに沖縄戦を泥沼化させていったのだった。

 本作がより恐ろしいのは、沖縄の人たちを単に悲劇の主人公としては描いていないということだ。少年たちによって結成されたゲリラ部隊「護郷隊」と同じように、地元の有力者や学校教員らによる「国士隊」という秘密部隊もあったことが語られる。沖縄戦に詳しい地元の歴史研究家は、「国士隊」がスパイリストの作成に協力していた可能性を指摘している。スパイリストとは地元住民の中で真っ先に敵に投降した家族や外国語に堪能な人をリスト化したもので、リスト順に住民は処刑されていった。手を下したのは日本兵だけでなく、住民も関与していた。同じ集落で対立関係にあった人間が殺されることもあった。住民同士がお互いを監視し、虐殺に加担するという地獄絵図が繰り広げられた。沖縄戦の後は、本土全体でこのゲリラ戦や諜報戦が実施される予定だった。沖縄の人たちは重い口を開く。「処刑には村の若者が加わっていたから、彼が生きている間は話せない」「米兵ではなく、日本兵に殺されたと言うと、補償金がもらえない」。重い空気に屈せず、2人の女性監督たちはカメラを回すことをやめようとしない。

三上監督「前作『標的の島』を完成させ、全力を使い果たした状態でした。しばらくは何もできないと思っていたのですが、プロデューサーの橋本佳子さんからテレビでドキュメンタリーの枠がひとつ空いていると言われ、それなら10年ほど前から少年ゲリラ兵やスパイ戦はやりたいと思っていたので、無茶を承知で自分の尻に火を点けてやることにしたんです。放送まで期間がわずかだったので、琉球朝日放送時代の優秀な後輩である大矢英代さんに声を掛けました。彼女は千葉県生まれですが、大学ではゼミの研究で波照間島に9カ月暮らし、波照間の言葉や南西諸島の歴史に精通しています。琉球朝日放送にいた頃は沖縄の基地問題を一緒に取材して回り、同じ価値観を共有できていました。結局、テレビではできなかったんですが、なら映画としてインパクトのよりある作品に仕上げようということになったんです」

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