「だって、田原俊彦ですから」トシちゃんが語るジャニーズ退所と“干された”理由
#田原俊彦
■独立と同じタイミングだった“ビッグ発言”
予定通り、田原は33歳で元モデルの女性と結婚。そして94年2月、長女の出産会見において「何事(結婚も出産も)も隠密にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになっちゃうとそうはいきません」と発言して世間のひんしゅくを買い、干されることとなる。
当時、この会見はかなり話題になった。ビートたけしが「ビッグになったって言われても、こっちは『トシちゃんで~す』って言ってた頃を覚えてる」と東京スポーツ紙上でネタにしていたほどだ。
この“ビッグ発言”については、ワイドショーが会見の映像に悪意ある編集を施し「天狗になった田原」を印象付けるよう情報操作を行ったものであると、2011年10月21日放送の『爆報!THE フライデー』が検証している。
「ここだけ切り取られるとね(笑)。ここに至るまでの経緯というのがありまして、僕、写真週刊誌からすごくターゲットにされたんですよ。女の子とデートすれば撮られて、ひどい目に遭ったんです(笑)。で、マスコミに『NO!』って感じになってしまった僕がいたんですね。戦うじゃないんですけど、そんな構図になってしまって」
「長女が生まれて、さすがに僕も生活ができないんですよ。マンションも病院も周りに迷惑がかかっちゃうし、『これは表に出なきゃダメだな』って。で、自分の中で精いっぱいジョーク交えてやってるつもりなんだけど、(マスコミは)『よし、来たな』『やっつけたろう!』と思ったんじゃないですか」
会見の前年より田原はジャニーズ事務所からの独立を画策しており、94年3月、ついに念願の個人事務所を設立。求心力が低下する頃合いと“ビッグ発言”のタイミングは見事にかぶっており、マスコミからの攻撃対象になりやすい時期にあった。パワーバランスとしても、障壁なくはしごを外すことのできるタレントに田原はなっていたのだ。
「人のせいにするんじゃなくて、僕がそういう行動を取って、そういう場面を作ってしまったんで、それは後付けだと思うんですよね。あの時に僕に力があれば、全然そんなの吹き飛ばせたと思うし。そんなに、みんなが思うほど干されたっていう気持ちはなくて、『干されたのは俺に力がないからでしょ?』っていう」
「(コンサートの)会場も小さくなるし、お客さんが離れたなっていうのもリアルにわかったし」
司会の阿川佐和子から引き出される形で、田原はジャニーズ事務所からの独立についても触れている。
田原「何しろ、あの時の僕は自由が欲しかったんですよ。自由! 何よりも『ほっといて。もう、いいから』っていう(笑)。だから、ある意味ねえ、スッキリしたっていうか安心した僕もいましたよ」
阿川「逆に仕事が減ったことで?」
田原「そうですね」
阿川「例えば、転職しようかなっていう気持ちは……?」
田原「まったくないですね! ないなあ」
阿川「どうして?」
田原「だって、田原俊彦ですから」
露出が減っても、なんだかんだやっぱり田原俊彦。見かけさえすれば、変わらずプレミア感があるのはさすがだ。彼は、現状についてこう述べている。
「楽しいですよ、今は」
(文=寺西ジャジューカ)
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