ファンのたしなみ、アイドルのたしなみ――有坂愛海ファン追悼ライブに思うこと
#アイドル #プレヤード #アイドル深夜徘徊
3月31日、タレントの菊池桃子にストーカー行為をしたとのことで、タクシー運転手の男が逮捕された。彼は、自身のタクシーに菊池を乗せたことで、彼女の自宅を知り、ストーカー行為を続けたという。菊池は、マスクなどで顔を隠していたらしいが、「声で本人と気付いた」「好きだったから。話したいことがあった」と言っているところを見ると、容疑者は彼女のファンであったことは、まず間違いないだろう。
今に始まったことではないが、このように、アイドルと自分の距離感を見誤るファンがいることは、至極残念である。なぜなら、一般的な“芸能”の世界は、それなりのルール――明文化されたものではないので、言ってみれば「たしなみ」のようなもの、の上に成り立っていると思うからだ。
もう一つ、その「たしなみ」について深く考えさせられる出来事があった。シンガーソングライターの有坂愛海が、4月11日に開催した、亡くなったファンのための追悼ライブだ。
有坂は、自身で曲を作り、ライブを行うという活動を10年以上続けてきた「シンガーソングライター」である。ただ、その活動スタイルや、「ファンから見た憧れの存在」という意味で、ここでは「アイドル」という表現を使わせてもらいたい。
そんな彼女の初期からのファンで、毎回のようにライブに来ていた「おっきゃん」という男性が、昨年夏にぱったりと顔を出さなくなり、Twitterなどの連絡も途絶えてしまった。心配した彼女は、なんとかして彼の消息を知ろうとする。
過去のメールや手紙を見返しても、住所などはわからない。ファン仲間からの情報などから、わかったのは本名と最寄り駅のみ。それだけを頼りに彼女は、自宅を探し、実際に訪ねた。しかし、そこで知らされたのは、おっきゃんが昨年8月に自宅で独り亡くなっていたという事実だった。
お葬式もなかったという彼のためにと、有坂は追悼ライブを企画したのである。
3月にアップされた、ライブを開催するに至った経緯や心情を吐露したブログは、広く拡散されメディアなどでも大きな反響を呼んだ。
私は、このニュースを聞いた時、「おっきゃん」という男性のたしなみの深さに、頭が下がる思いだった。ファンというのは、得てして好きになった相手に、自分のことを多く知ってもらいたいと思いがちである。先に挙げた、菊池桃子のストーカーをした男性が、交際を迫るメールまで送っていたなどというのは、その思いが暴走した例だろう。
それに対し、おっきゃんは、有坂に自分がどこに住んでいるのか、どんな生活をしているのかなどを知らせていなかったことになる。想像の域を出ないが、おそらくは、ファンと演者という関係性の中で、「超えるべきではない」ラインというものを、しっかりと守っていたのではないだろうか。
それは、相手に迷惑をかけず、無用な心配をさせないようにという配慮であり、ひとつの哲学であったのではないか。そんな思いやりを持って、彼は有坂のことを10年間、応援し続けたのだ。
一方の有坂も、そんなファンとの関係に迷ったようだ。ブログでは、今回の行動について、「ルール違反かもしれない」と綴り、4月13日にゲスト出演した報道番組『AbemaPrime』(インターネットテレビ・AbemaTV)では、「ステージとフロアの間には、超えてはいけない壁がある」とも語っている。彼女自身、今回の行動を正しかったかどうか、つかみきれていないのだろう。
確かに、一人のファンのために、自宅を突き止め訪問するという行動に、賛否はあるかもしれない。彼女の言う通り、“ルール”で言ったらそれは違反なのだ。しかし、全てのルールは、それぞれの思いの上に成り立っているはずである。例えば、救命活動を行うために女人禁制の土俵に上がるのも、“人の命”というルール以上に大切なものがあるから許されるのである。その意味で、有坂の行動は、強い「思い」の上に成り立っているので、許されるべきことだと思う。
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