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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.473

葉巻と酒が手放せず、躁鬱に悩んだ宰相の決断! アカデミー賞W受賞『ウィンストン・チャーチル』

英国首相チャーチルに扮したゲイリー・オールドマン。特殊メイクを担当した辻一弘と共に今年のアカデミー賞を受賞した。

 大英帝国がその栄華を極めたヴィクトリア朝時代の1874年に生まれ、冷戦時代の1965年にこの世を去ったウィンストン・チャーチル。90歳の生涯、半世紀以上にわたる政治活動の中で最も濃密かつ激動の日々となったのが、英国首相に就任した1940年から第二次世界大戦が終わった1945年までの5年間だった。つまり、アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツと戦うことによって、チャーチルはその名を歴史に刻んだと言える。ゲイリー・オールドマン主演作『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(原題『DARKEST HOUR』)は、チャーチルが“伝説のリーダー”となった1940年5月10日の首相就任からナチスドイツとの徹底抗戦を宣言した同年6月4日に至るまでの27日間の足取りを、妻クレメンティーンや秘書の視点を交えて再現している。

 葉巻を愛用し、ブルドッグのような風貌をしたチャーチル(ゲイリー・オールドマン)。英国貴族の家柄に生まれ、学生時代は落ちこぼれだったが、従軍記者として名を馳せ、26歳の若さで国会議員に初当選を果たした。朝食にはスコッチウイスキー、昼食にシャンパン1本、夕食にもう一本、さらに夜はブランデーとワインを嗜むという酒豪だったことがよく知られている。長年議員を務めてきたチャーチルにようやく首相の座を回ってきたのは66歳のとき。ヒトラー自慢のドイツ装甲師団が欧州大陸を席巻し、フランスも陥落寸前だった。英国首相チェンバレンはドイツとの宥和政策に失敗して退陣。他に引き受ける議員がいないため、チャーチルが戦時宰相というリスクの高い役回りを受けざるを得なかった。

 45歳で亡くなった父親が財務大臣を務めていたことから、父親以上の地位に就くことはチャーチルの長年の夢だった。夢は願い続ければ、必ず叶う。ただし、本人が思い描いていたようなベストタイミングで訪れることはまずない。欧州全体を手中に収めつつあるヒトラーと全面対決するか、それともナチスドイツの拡張した領土を認めて、英国の保全を最優先するべきか。チャーチルは厳しい選択を迫られる。折しもフランス北部の港町ダンケルクには英国兵30万人が取り残され、ドイツ軍の進撃の前に逃げ場を失っていた。ヒトラーへ抗戦宣言することは、ダンケルクの英国兵たちを見殺しにすることになる。最悪の状況での首相就任だった。

ダンケルクに取り残された30万人の英兵をどうすれば救出できるか。民間の力を総動員する「ダイナモ作戦」をチャーチルは思いつく。

 チャーチルの敵はヒトラーだけではない。英国の議会内でもチャーチルの酒癖をよく思わない者、第一次世界大戦時に海軍大臣だったチャーチルがガリポリの戦いで失敗したことを蒸し返す者もいる。『英国王のスピーチ』(10)で有名な英国王ジョージ6世(ベン・メンデルソーン)との関係も、チャーチルがジョージの兄エドワードに肩入れした過去もあって良好とは言いがたかった。八方塞がりのチャーチルにとって唯一の信頼できる味方が、妻のクレメンティーン(クリスティン・スコット・トーマス)だった。チャーチルは頑固者だが、実は情に篤い人間であることを知る賢妻が、誰にも弱音を吐けない夫を叱咤し、支え続ける。実際のチャーチル夫妻も夫婦仲が非常によかった。邦題が『ヒトラーから世界を救った男』となっているが、『世界を救った夫婦』にしてもよかったように思う。

 トップに立つ人間として、チャーチルはつらい決断の責任を負うことになる。ダンケルクに残された英国兵を救うため、チャーチルはダンケルクに近いカレーに陣営を張る小部隊にオトリになるよう命じる。カレーにドイツ軍を引きつけ、ダンケルク全滅を少しでも遅らせようという苦渋の作戦だった。クリストファー・ノーラン監督の『ダンケルクの戦い』(17)で描かれたように民間の船を総動員することでダンケルクの英国兵たちは帰還することに成功するが、その陰にはカレー部隊の犠牲があった。チャーチルが毎日呑む酒は決して美味しいものではなかった。葉巻や酒の力を借りて、クールダウンせざるを得ない日々だったのだ。また、チャーチルは躁鬱に苦しんだことでも知られている。英国にとって幸いだったのは、この時期のチャーチルが躁状態にあったことだろう。

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