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岡崎京子の”今”――『リバーズ・エッジ』なぜ映画化? あの時代の空気感は今の若者に伝わるのか

1994年に出版された岡崎京子の代表作『リバーズ・エッジ』が映画化されるという。マンガで描かれたあの時代のリアリティにノスタルジーを感じる30~40代の本誌読者も多いはずだが、今の若者は果たしてピンとくるのだろうか――。そこで、同作を現在の肉食系女子に読んでもらいながら、岡崎京子マンガの有効性を問う!

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映画『リバーズ・エッジ』公式サイトより。出演する若手俳優たちは、オジさん&オバさんのノスタルジーに付き合わされていないか……。

 2018年2月16日、映画『リバーズ・エッジ』が公開される。1994年に単行本化された岡崎京子の同名マンガの映画化だ。二階堂ふみや吉沢亮ら若手俳優が出演し、『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)などで知られる行定勲が監督を務める。そして主題歌を、岡崎と27年来の友人である小沢健二が書き下ろした。

 映画の公式サイトで、行定監督は「ずっと漫画の映画化に抵抗してきた。しかし、岡崎京子さんの名作はあまりにも魅力的で、ついに手を染めてしまった。私たちが生きた穢れた青春は今の時代にどれくらい杭を打てるのだろうか?」とコメント。試写を観た映画ライターA氏(30代女性)は、「原作に忠実で、90年代を真空パックしたよう」と感想を語る。

「小沢さんの楽曲も、岡崎さんとの絆を知っているなら胸が熱くなるはず。ただ、役者たちが役をどう解釈したのか監督自ら聞くドキュメンタリーが間に挟まれている。ストーリーは90年代だけど、ドキュメンタリーは現在なんです。この点は、『単なるノスタルジーに終わらず、物語の普遍性をうまく表現している』と好意的にとらえる人と、違和感を抱く人に分かれるかもしれない」(A氏)

 とはいえ、映画としてはうまくできていたと評価する。

「時代は違っても、日常に無感動、無感覚という若者ならではの虚無感は、今の子たちにもあるので共感できるのではないでしょうか」(同)

サブカルが無敵な時代に平坦な日常を生きること

 しかし、なぜ今、『リバーズ・エッジ』は映画化されるのか。本誌で「オトメゴコロ乱読修行」を連載する編集者/ライターの稲田豊史氏は、岡崎ファンとして「岡崎京子のベストは、これじゃない」と否定する。

「『リバーズ・エッジ』以前の岡崎作品は、これほどシリアスで“マジ”一辺倒な路線ではありません。例えば、個人的なWベストである89年連載の『pink』や90~91年連載の『ハッピィ・ハウス』(主婦と生活社)は、80年代を引きずった軽薄な“なんちゃって”と、本質を突く“マジ”とのバランスが、6:4か7:3程度で絶妙だったんです。

『リバーズ・エッジ』から岡崎作品に入った人は多いですが、旧来ファンからすれば主張が直球すぎて芸がない」

 同作が一般に受け入れられたのは、時代背景によるところが大きいという。94年といえば、雑誌「クイック・ジャパン」(太田出版)が創刊され、渋谷系に括られた小沢健二とスチャダラパーによる「今夜はブギー・バック」がヒットし、電気グルーヴのテクノ・アルバム『DRAGON』が高い音楽性を評価された。また、プレイステーションとセガサターンが発売され、それまで子どもやマニアのものだったゲーム機がクールな娯楽として世界進出。出版では、前年の93年に鶴見済『完全自殺マニュアル』(太田出版)や布施英利『死体を探せ! バーチャル・リアリティ時代の死体』(法藏館)が刊行、「死/死体」ブームは翌94年も続いていた。

「日陰者だったサブカルが急に社会で大きな顔をするようになった。これほどサブカルが無敵だったマジック・イヤーは後にも先にもありません。また、94年は阪神淡路大震災とオウム事件の前年で、戦争もテロも遠い国の話。バブル崩壊後とはいえ、そこまで深刻な経済状況でもない。“平和で退屈、だから生きづらい”という贅沢な悩みが若者たちの中にあったのです。退屈な日常の先に何があるかと考えたときに、なんとなく“頭が良さそうに見える”サブカル言説を引用し、虚無感に意味付けすることがカッコいいこととされた。その際、いじめ、摂食障害、セックス、LGBT、ドラッグ、自殺など、若者の社会問題がすべて詰まった幕の内弁当のような『リバーズ・エッジ』は、セックスからも死からも遠い、頭でっかちな“大二病”の大学生あたりが飛びついて語りたがるのに、うってつけのテキストだったんです」(稲田氏)

 平和なら平和に感謝して生きればいいのに、援助交際をして生の実感を得たり、セックスには意味がないと嘆いたり、非日常である死体が美しいと語ったり。冷静に考えれば黒歴史決定のようなことを「カッコいい」と言う風潮があったとは……。時代の流れは恐ろしいものである。その後、この作品のエッセンスは、さまざまな形に姿を変え、受け継がれた。

「絵柄は、アシスタントだった安野モヨコさんが継ぎましたが、作風は『リバーズ・エッジ』ほどシリアスではない。自らの女性性に商品価値を認め、制御しながら生き抜く女子たちという部分は、直接影響を受けてはいないですが、後のケータイ小説や浜崎あゆみのほうが近い。さらに、最近では元AV女優で社会学者の鈴木涼美さんの著作にも似た雰囲気を感じます。殺伐とした場所で子どもたちがよるべなく“ただ生きる”という情景描写は、95年放送開始の『新世紀エヴァンゲリオン』にも通じる部分があるでしょう。また、『リバーズ・エッジ』の舞台である書割のような湾岸の団地や工業地帯の風景は、逆に“絵になる”として“工場萌え”“団地萌え”などの美的感覚にもつながっているのでは」(稲田氏)

 90年代半ば以降、社会は大きく揺れ動いた。同作はそれを予見していたのか?

「『世界がこんなに平坦であり続けるはずがない』という感覚は岡崎さん自身にもあったと思いますし、“デカい一発”を心のどこかで期待している読者も当時は多かった。ですから、翌年の阪神淡路大震災やオウム事件に対する“予兆”めいた意味が、後年の作品評価に追加された側面はあるでしょう。96年に、岡崎さん自身が交通事故に遭われて休筆し、“その先の岡崎京子”が読めなくなってしまったことも、この作品と岡崎さんが神格化されることにつながりました」(同)

 あの頃の若者たちは、どうやって大人になったのか。岡崎の手で解答は出されないまま時が流れた。そして今、平坦ではない日常を生き抜く現役の肉食系女子たちは、『リバーズ・エッジ』をどう受け止めるのか。次記事『映画の主題歌を書いた小沢健二って誰?GO-GOダンサーたちが『リバーズ・エッジ』を読む!』で語り合う!

(取材・文/亀井百合子)

ビギナーはこれだけ読めばOK?岡崎京子マンガ名作3選

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【1】いじめ、セックス、ドラッグ……
『リバーズ・エッジ』

(宝島社/1994年)

雑誌「CUTiE」(宝島社)に1993~94年に連載された作品。舞台は、淀んだ河の近くの高校。若草ハルナは、彼氏の観音崎が執拗にいじめている山田一郎を助けたことをきっかけに、彼の“宝物”を見せてもらうことになる。それは、河原に放置されていた死体だった。田島カンナという彼女がいながらも、実は同性愛者の山田。暴力的な観音崎。過食嘔吐を繰り返す後輩でモデルの吉川こずえ。中年男性と不倫しながら、観音崎ともキメセクを楽しんでいる同級生の小山ルミ。彼らが暴走し始めたとき、すべてが壊れていくのだった――。


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【2】80年代的な軽薄さと愛の形
『pink』

(マガジンハウス/1989年)

OL・ユミは、ペットのワニのエサ代を稼ぐために夜はホテトル嬢をする。ユミは継母の愛人である大学生ハルヲと付き合い始めるが、それを知った継母がユミのワニを誘拐し……。岡崎自ら「愛と資本主義」とキャッチコピーをつけた作品。


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【3】崩壊する全身整形のトップスター
『ヘルタースケルター』

(祥伝社/2003年)

95~96年に連載されたが、岡崎が交通事故に遭ったため未完。03年に単行本化された。12年に蜷川実花監督により映画化。全身整形で美貌を得たりりこはトップスターになるが、繰り返される整形と仕事のストレスで心身が崩壊していく。


最終更新:2018/01/21 20:00
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