日馬富士引退会見、テレ朝『報ステ』富川悠太アナに声を荒らげた伊勢ヶ浜親方の思い
#相撲 #日馬富士
「16歳で海を渡って、日本にきて親方とおかみさんの元で相撲をし、ファンのおかげで横綱になることができました。日本と日本の国民を愛しています。心から感謝を申し上げたい」
暴行事件により警察の捜査を受けていた大相撲・横綱の日馬富士が29日、記者会見を開いて引退を表明した。無念をこらえ「縁のあった親方、おかみさんに支えられて今までやってきた」と、冷静に感謝や相撲愛を語った。
唯一、強く否定したのは「酒で暴れたことはない」という部分くらいだった。ただ、同席の伊勢ヶ浜親方にはイラ立ちも見られ、しつこく似た質問を繰り返すテレビ朝日『報道ステーション』の富川悠太アナウンサーに対し「さっき答えたでしょう?」と声を荒らげる場面もあった。
この模様を映像で見た角界関係者のひとりは「つまらない質問をしたアナウンサーもどうかと思うけど、横綱が必死に感情を抑えて答えていたから、親方は感極まっていたんじゃないかと思う」と言った。
「責任を取って潔く引退を決めたんだから、このつらい席で、同じ内容のことを何度も繰り返し言わせなくてもいいじゃないか、と思ったんじゃないかな。あの師弟は、かなりの信頼で結ばれているから、これも親心だ」(同)
この関係者によると、実は日馬富士が過去、一度だけ引退を口にしたことがあるという。2009年の5月場所で1敗を守って優勝、初めての綱取り挑戦となった翌場所で、大きな部屋の後押しを受けるも、結果は9勝6敗。「あのとき、日馬富士が『もうこれが限界、引退だ』と、かなり落ち込んだ」というのだ。
「なぜそれを知っているかといえば、横綱が過去、泥酔して乱れたのがこのときだったから。暴行トラブルまでは起こさなかったけど、周囲になだめられて部屋に戻ったと聞いた。だから酒の失敗がゼロというわけじゃなかったと思う。でも、そのとき親方が『これで横綱を目指すのをやめるのか。上を目指すのが相撲じゃないか』と激励したそうだ。だから、11年に2度目の綱取り挑戦に失敗したときは、マスコミに叩かれても自暴自棄にならず、すぐ気を取り直して稽古していたと」(同)
12年の3度目の綱取りは前2度と比べて期待値は低かった。名古屋場所で白鵬を下して初の全勝優勝を果たしたにもかかわらず、横綱審議委員会の鶴田卓彦委員長(当時)は「日馬富士は優勝しても翌場所で弱い」と手厳しく、別の委員からも「勢いが持続しにくい小兵力士」というレッテルを貼られたからだ。
しかし、秋場所の結果は千秋楽に白鵬を下しての全勝2連覇。この相撲は行事の木村庄之助ら間近で見ていた者たちも「日馬富士のオーラのようなものがすごかった」と証言している。これで横審は満場一致の横綱推薦を決め、その後は今年9月場所まで5度の優勝を果たしている。
本来ならば、まだまだ横綱として相撲が取れたはずの日馬富士。酒席での力士同士のいざこざは「日常的に珍しくはない」(前出関係者)だけに、これだけの騒ぎになって引退にまで至ったことには、自業自得とはいえ無念だろう。8年前に引退を食い止めて横綱に成長させた伊勢ヶ浜親方は、その思いがなお強いのではないか。会見での態度は、それが表れたものだったのだろう。
(文=片岡亮/NEWSIDER To kyo)
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