『HiGH&LOW』で描かれる「絆」は綺麗事なのだろうか? EXILEのドキュメンタリー番組から山王連合会問題を読み解く
──ここまでは、ハイロー狂いの識者の皆様に集まっていただき、『HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY』についてさまざまな考察を行ってきました。最後に、長らくLDHをウォッチしてきたサイゾーpremium編集部が、本作に散りばめられた「EXILEイズム」について、NHKで放送されたEXILEドキュメンタリーの内容に言及しながら考えていきます。
「(一人ひとりが)いつまでもお互いにチーム同士必要とされ続ける存在でい続けないと、人間関係って壊れていくから。同情してずっと暮らしていこうよっていうチームじゃないじゃん、俺たちって」
まるで『HiGH&LOW』に登場するセリフのようですが、そうではありません。これはハイローの祖、 HIROさんがドキュメンタリーでEXILEメンバーに語った実際の言葉です。察しの良い方ならば、この言葉が『HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY』で起きた「山王連合会の内部分裂=DTC問題」について考える上で、非常に重要な証言になることがわかるのではないでしょうか。やはりハイローの物語を読み解くには、EXILEのストーリーをおさらいするのが有効です。そこで本稿では、2014年にNHKで放送されたEXILEドキュメンタリーを参照しながら、『HiGH&LOW』について考察してみたいと思います。
SWORDとよばれる地区にひしめく5つのチームが抗争を経て、ヤクザや海外マフィアとの戦いに発展していく……という「全員主役」がキャッチコピーの本作ですが、ストーリーの核となるのは山王連合会というチームです。
山王連合会の起こりは、物語の実質的な主人公・コブラとその親友ヤマトが、やむなく犯罪に手を染めてしまった幼馴染・ノボルの帰ってこられる場所を作るために結成したというものでした。その後チームには、山王商店街で暮らすバイク好きやケンカ好きが集まっていったのだと推測します。
今回の映画『END OF SKY』では、そんな山王連合に内部分裂が生じます。ヤクザとの全面戦争に息巻くコブラやヤマトたちとは打って変わって、あまり乗り気になれないほかのメンバーたち。銭湯の一人息子テッツは、ヤクザの地上げに応じなければ赤字の銭湯を続けていくことが厳しい状況です。同じく山王商店街で商店をひらくダン、床屋を営むカニ男など、山王商店街には「現状」を守りたい人間がいます。しかし、寂れていくばかりの山王商店街ではそれも難しい。ヤクザの地上げに応じれば、新天地で各々の商売を続けていくことができるかもしれないわけです。
DTCとはダンとテッツに、鬼邪高校から流れついたチハルが加わったチームを指します。チハルもドラマシリーズで父親の借金に悩まされていたので、「今ある生活を守りたい」というダンやテッツに共感したのかもしれません。
一方コブラ・ヤマト・ノボルの主張は、山王商店街ひいてはSWORD全体にヤクザの手が及べば、一時的には状況が良くなったとしても、近い将来きっと後悔するだろう、というものです。今の生活が多少立ち行かなくなったとて「正義」を守るべきだと。
現状を守るためにヤクザとのケンカから手を引きたいDTCらと、ヤクザという反社会組織に抗い正義を貫きたいコブラたちは、山王連合会の溜まり場で激しくぶつかります。この話し合いの中で、このまま争いに突入したらテッツの実家の銭湯は潰れてしまうとダンが訴えますが、当のテッツにコブラはこんなようなことを言います。
「お前は本当にやれるだけのことはやったのか?」
実はこのシーンに関してだけ言えば、コブラと観客に微妙な温度差があるように感じるのです。ツイッターなどで感想を検索していると、やはりコブラとDTCの対立について語っている向きもいて、その多くがざっくりと言えば「そりゃないよコブラちゃん」「DTCの主張のほうがもっともじゃないのか?」というものでした。
我々観客がそう思うのも無理はありません。ヤクザに店を売らないと銭湯を続けられないテッツに対して、「お前は本当にやれるだけのことはやったのか?」と語りかけるコブラの言葉は、あまりに辛辣ではないか。やれることと言ったって、萎びた商店街の銭湯の息子にできることは限られているだろうし、実家を手伝ってるだけで偉いじゃんテッツ! そう感じる人が多いのではないかと推測します。そしてそれは、もしかしたら我々がDTC側の人間であるからなのではないでしょうか。
日々、生きているだけで精一杯です。多分、筆者も中野の自宅をヤクザに地上げされたら喜んで応じてお金をもらうでしょう。だって私たちは毎日学校へ通うだけで精一杯、家事をするだけで精一杯、通勤するだけで精一杯、目の前の仕事をこなすだけで精一杯なのです。
将来を見据えて、高い志や、将来の目標や、具体的なビジョンを描くことが大切であるということはもちろん分かります。けれどそんなもので今日明日のお腹は膨れないので、ただ日々を粛々とこなし受け流し小銭を稼いで生きていくしかない。そういう人間のほうがこの世界には多いはず。つらい。
山王連合会の話し合いを劇場でぼんやり見ていると、コブラが問いかけてきます。「お前は本当にやれるだけのことはやったのか?」と。やってますよ! 毎日毎日業務に追われてせっせこせっせこ片付けてますよ! それじゃダメなんですか!? と喚き散らしたくもなる。ですから、DTCはそれそのまま私たちの姿なんじゃないかと思ったのです。
しかし、一方で長らくLDHウォッチを続けた結果EXILEを内在化させた筆者は、コブラの主張こそがEXILEの意志であることを瞬時に察知しました。EXILEの意志はそのままハイローの正義なので、結論から先に言うとコブラがDTCに今後歩み寄ることはないと推測します。ハイロー世界(=EXILEユニバース)ではDTCの主張は決して通りません。
ではその「EXILEの意志」とは何なのか? 紐解く鍵は、2014年7月にNHKで放映されたEXILEドキュメンタリー『EXILE~夢を追い続ける者たちの真実・500日密着ドキュメント』の中にあります。
このドキュメンタリーは2012年の『第63回NHK紅白歌合戦』の舞台裏から始まり、13年にパフォーマー勇退を決めたHIROさんと、そんなHIROさんの穴を埋めるべく新体制に向けたメンバーらの活動、さらに新メンバーオーディションの舞台裏に、北大路欣也の重厚すぎるナレーションと共に迫っていく内容です(このキャスティングは「白戸家」繋がりでしょうか)。
2013年の1月1日、LDH会議室にメンバー全員が集合し、HIROさん勇退に向けた話し合いが行われます。EXILEに三が日なんかありません。ATSUSHIさんが言うには「他のメンバーがどういうビジョンを描いているかお互い知らないから、それを共有することでEXILEの未来が見えてくる」のだそうです。そこで各々は、自身が考えるこれからのビジョンについて語ります。「ダンス教育に携わりたい」「ダンスでできる社会貢献をしていきたい」など、メンバーたちが語る将来設計はさまざまです。中でもアッパーなキャラクターでお馴染みのSHOKICHIさんは「ソロで歌いたい」と夢を語り、「ゆくゆくはダルビッシュになりたい」と宣います。いきなりなんだと思うでしょうが、彼の主張はこうです。
「EXILEではダンスばっかりやらせて頂いてるじゃないですか。その中で一番後ろで踊っているヤツが、ソロ(歌手)でガンガン活躍したら『EXILE SHOKICHIを歌わせないで後ろで躍らすの?』みたいな。例えば野球でいうとライトにダルビッシュがいる!みたいな(驚きを世間に提供できるんじゃないか)」
これにはメンバーも大ウケです。SHOKICHIさんはもともと歌手志望でしたが、EXILEではパフォーマーに甘んじていました。その打開策としての「ライトにダルビッシュ」という例え話が、ほかのメンバーやHIROさんの心を掴んだようでした。
そんな賑やかな話し合いのなか、EXILEのイメージからは少し離れる上品なグレーのカーディガンを着た黒髪の彼は少々浮かない顔です。小林直己さんです。
「単刀直入に言うと、ビジョンは今はっきり言えるようなものはないです」
訥々とそう話す直己さん。そらそうだと思います。全員が全員、明確なビジョンを描いてはいられないだろう。将来に迷ったり、未来が見えなかったりするのもまた人間らしさじゃないか、と。しかし直己さんは続けます。
「HIROさんから言われた言葉で今年のテーマにしようと思うのが『NAOKIはもっとEXILEになったほうがいい』」
なんですか。この世界中の理不尽をありったけ詰め込んだような「もっとEXILEになったほうがいい」というパワーワードは。一体どういう意味なんですかHIROさん。どうしちまったんですか。
「もっとEXILEになる」って何?もしも上司に「君はもっとサイゾーになったほうがいいよ」と言われたら次の日に辞表を提出するだろうなと思いながら、筆者は「私は絶対にEXILEにはなれない」と絶望に近い気持ちに陥りました。
ただのEXILEでいるだけでは、EXILEにはなれないのです。いよいよ何を言っているんだとお思いでしょうが、もう少しお付き合い頂きたい。実際にほとんどのEXILEのパフォーマーたちは、「ただのパフォーマー」にとどまっていません。あるものはコーヒーショップを開き、あるものは演劇を始め、そしてあるものはアパレルブランドを立ち上げました。今のメンバーたちは皆EXILE以外のグループを兼任したり、新しいプロジェクトを立ち上げたりして、「ただのEXILE」など一人もいない状況が完成しつつあります。
ATSUSHIさんは言いました。
「歌にしろ芝居にしろ、死ぬ気でやっている人は(他にも)いるわけだから、(明確なビジョンを)決めていかないと生き残っていけない」
この元旦に行われたEXILE会議は、そのまま山王連合会の話し合いに通ずる部分があります。山王連合会=EXILEとすれば、あの時の直己さんがDTCでしょうか。山王連合会=EXILEという街があって、そこで生きていくだけで大変でしょうし、もうそれだけで充分に立派だと思います。でも、その街では、ただ生きているだけではダメなのです。テッツは銭湯を守るだけではダメで、「ダルビッシュになりたい!」くらいの大きなビジョンを描かなくては、山王連合会=EXILEでは認められないわけです。
例えば、あの時テッツが「山王商店街では銭湯ばっかりやらせて頂いてますが、その銭湯がスーパー銭湯だったらヤバくないですか? さらに番台にDJ卓とか置いて昼は銭湯、夜は踊りながら浸かれる銭湯とかにしたらノリノリでマジでヤバくないですか?」くらいのプレゼンができていれば、コブラも考え直したかもしれない。HIROさんみたいなノリで「それ、ヤバイね」とか言ってくれたかもしれない。
ビジョンを描けない者はEXILEにあらず。ただ今ある生活(=現状)を守りたいだけのDTCに移入しているようでは、我々はEXILEにはなれないのです(なりたいかどうかは別として)。
ここで、冒頭のHIROさんの言葉に戻ります。
「いつまでもお互いにチーム同士必要とされ続ける存在でい続けないと、人間関係って壊れていくから。同情してずっと暮らしていこうよっていうチームじゃないじゃん、俺たちって」
この言葉こそ、コブラがDTCに伝えたかった真意であり、山王連合会ひいては『HiGH&LOW』のあり方なのではないか。ハイローは「仲間の絆」を描いたストーリーですが、ともすればこの「絆」という言葉には綺麗ごとや馴れ合いのような響きを想起されがちです。しかし、ドキュメンタリーでHIROさんが語った「絆」は、いたってシビアな側面も持ち合わせていました。互いに必要とされ続ける「仲間」でいるためには、互いの努力や発展が不可欠である、と。だからDTCは努力しなければならない。銭湯が潰れても食っていけるような努力をして、その先のビジョンを描かなければコブラが認めてくれることはないでしょう。
DTCはやっぱりそのまま私たちの姿なんじゃないかと思います。うだつの上がらない市井の人々の代表として、目の前の生活に手一杯で夢やビジョンを描ききれないものの存在を描いてくれたんじゃないでしょうか。そしてそんなDTCに「やれるだけやったか!」と発破をかけてくれるコブラの存在が、そのままハイロー=EXILEのメッセージなのかもしれません。
ところで、13年元旦のEXILE会議で「もっとEXILEになったほうがいい」と言われた直己さんは、その後兼任する三代目J Soul Brothers大ブレイクを経て俳優・パリコレモデルに邁進、サイゾー7月号のインタビューにご登場いただいた際には「言葉ではなくエンターテインメントの奥のほうで感じてもらおうというのが、EXILEの哲学なんです」とその哲学を熱っぽく語ってくださいました。
なるほど、これが「もっとEXILEに成る」ということか。さらにEXILEを超越し、ターミネーターにまでなった直己さんの姿を見ていると、眩しいばかりです。
さて、今日も今日とて日々を暮らすのに精一杯、やはり先のビジョンなんか描けない筆者は、コブラに発破をかけもらうため劇場へ足を運びます。だって『HiGH&LOW』には力があるから。EXILE TRIBEから溢れ出る生命力をじゃぶじゃぶと浴びることができる、いわば「観る栄養剤」です。サイゾーpremiumでは、これからも懲りず恐れず、いつかHIROさんに「ヤバイね」と言ってもらうことを夢見ながら『HiGH&LOW』を追っていこうと思います。
あーあ、いつかEXILEになりたいな。いや、これは本当に。
(文/サイゾーpremium編集部)
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