言うことを聞かない母の頬を何度も平手打ち……50代独身男が経験した、ひとり介護生活の限界『母さん、ごめん。』
#本
東京都だけでも58万人。全国に広げると、634万人を数える要介護者数。今後、高齢化が加速すれば、この数字はますます伸びていくだろう。さまざまなメディアが報道しているように、今、介護現場には深刻な危機が訪れている。
科学ジャーナリストの松浦晋也氏(以下、敬称略)は、2014年から2年半にわたって、認知症となった母親の自宅介護を経験した。それまで介護とは無縁だった彼は、悪戦苦闘しながらその記録を『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』(日経BP社)として上梓した。
松浦の経験を通して介護の実態を見つめると、そこには厳しい現実があった。
2014年7月、80歳になる母親は「預金通帳がない」と騒ぎ始めた。決まった場所に置いてあるにもかかわらず、たびたび同じことが繰り返される。ほかにも家事を面倒くさがるようになり、コンロにかけたヤカンを空焚きするといった危険な状況が、しばしば起こるようになった。だが、松浦はそんな母親の行動を認知症と受け止めず、単なる「うっかり」だと思い込む。母親が「認知症患者」になったことを認められなかったのだ。そして、ここから始まる彼の介護生活は「失敗」の連続だった。
手探りで病院を調べ、ようやく評判の総合病院を探し出したものの、診療の予約は数カ月先まで埋まっていた。やむなく待つことを選んだが、松浦は、いち早く病院で確定診断を受けて介護生活の準備を始めるべきだったと振り返る。診断を待つ間にも、認知症はどんどんと進展していくのだ。
母親の認知症は、家事ばかりでなく、通信販売で不必要なものを買い漁り、失禁してしまったりと進んでいき、松浦の両肩に、容赦なくその重みは降りかかるようになる。認知症によって性格が怒りっぽくなった母と余裕がなくなった松浦は、そのストレスに耐えきれず、激しい言い争いに発展することも。「子どもには育つ喜びがある。介護にはない。日々少しずつ症状は進行し、ますます手がかかるようになっていくという寒い現実があるだけである」(本書より)。不眠症に陥った松浦は感情的になり、幻覚を見るほどに追い込まれていった。
だが、そんな松浦に救いの手が差し伸べられる。突如、介護生活に放り込まれた松浦は「自分で母を支えるしかない」と、公的介護保険制度を利用することをまったく考えていなかったが、周囲のアドバイスによって介護申請手続きを行うと、母は「要介護1」の認定を受け、ケアサポートが受けられるようになったのだ。15年5月、松浦はようやく孤独な介護から解放され、ケアマネージャーの協力のもとに、二人三脚での介護をスタートさせた。
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