人生落ちこぼれ組が結束する『パワーレンジャー』大ヒット作の裏側にいた仮面プロデューサーの存在
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総製作費120億円が投じられたハリウッド大作『パワーレンジャー』は、全米をはじめ世界87カ国で公開され、大きな話題を呼んでいる。赤、青、桃、黄、黒とカラフルにカラーリングされた5人の仮面のヒーローたちが活躍する『パワーレンジャー』は米国で1993年にオンエアが始まった『マイティ・モーフォン・パワーレンジャー』のリブート作であり、そして『マイティ~』のベースとなったのが『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(92~93年/テレビ朝日)だ。日本人にはおなじみのスーパー戦隊シリーズがルーツなだけに、『パワーレンジャー』も学校で落ちこぼれとなっている5人の若者たちが特訓を重ね、団結力を武器に悪の軍団と戦うことになる。クライマックスには巨大合体ロボットが登場するスーパー戦隊シリーズのお約束も踏襲されている。
40年以上の長い歴史を誇る東映スーパー戦隊シリーズだが、この人気長寿シリーズを語る上で、外すことができない伝説の企画者がいる。その名は「八手三郎」だ。スーパー戦隊シリーズの初期2作品『秘密戦隊ゴレンジャー』(75~77年/テレビ朝日)と『ジャッカー電撃隊』(77年/テレビ朝日)は人気漫画家・石ノ森章太郎が原作者としてクレジットされているが、第3作『バトルフィーバーJ』(79~80年/テレビ朝日)からは八手三郎原作となっている。『バトルフィーバー』から最後の決戦シーンに巨大ロボットが登場するなど、スーパー戦隊シリーズの基本パターンが確立されている。八手三郎は相当なアイデアマンである。また八手三郎はポール・バーホーベン監督の大ヒット映画『ロボコップ』(87)の元ネタとなった『宇宙刑事ギャバン』(82~83年/テレビ朝日)などのメタルヒーローものや、巨大合体ロボの先駆作『超電磁ロボ コン・バトラーV』(76年/テレビ朝日)といったアニメシリーズの原作者としても知られている。『仮面ライダー』(71~73年/毎日放送)のエンディング曲の作詞も手掛けるなど多彩な才能を持ち、長年にわたって第一線で活躍する一方、一度もマスメディアの前には姿を見せたことのないミステリアスな人物でもある。
特撮テレビ番組好きな方ならご存知だろうが、この八手三郎なる人物、最初は東映の社員プロデューサーだった平山亨氏の個人的なペンネームだった。東映の京都撮影所で映画の助監督や監督としてのキャリアを積んでいた平山氏がテレビドラマの脚本を書く際に使っていた変名が「八手三郎」だった。「何でもやってみよう」「やってそうろう」などの意味が込められたこの名前は語呂がよかったためか、東映テレビが制作したアニメ『コン・バトラーV』の担当プロデューサーも番組の原作者として八手三郎の名前をクレジットに使い始め、1970年代後半からは他の東映テレビのプロデューサーたちもしばしば使うようになり、やがて東映テレビのオリジナル作品であることを示すシンボリックな名前となっていった。架空人格として、平山氏個人とは別にひとり歩きするようになったわけだ。
本来は八手三郎の主人格だったはずの平山亨氏は、特撮テレビ番組の分野において数々の傑作ドラマを放った天才プロデューサーだった。『仮面ライダー』シリーズの立ち上げに加え、『人造人間キカイダー』(72~73年/テレビ朝日)や『宇宙鉄人キョーダイン』(76~77年/毎日放送)などのヒット作を石ノ森章太郎とのタッグで次々と生み出していった。スーパー戦隊シリーズの記念すべき第1作となった『ゴレンジャー』には平山氏ならではのユーモア感覚が溢れ、影のある『仮面ライダー』初期シリーズとは異なる魅力があった。アカレンジャーをはじめとする5人のヒーローたちが順番に名乗りを挙げるお約束シーンは歌舞伎の人気演目『白浪五人男』が元ネタであり、マスクを被って顔の見えないヒーローたちが戦う見せ場は、能や人形浄瑠璃の世界にも通じる。何よりもヒーローたちの顔が見えないことで、テレビを観ていた子どもたちは「自分もヒーローになれる」という願望を抱いた。ヒーローはひとりで孤独に戦うものというそれまでの特撮ドラマの常識を軽快に乗り越えてみせたスーパー戦隊シリーズは、90年代に入って米国の子どもたちも虜にしてしまう。
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