「佐藤秀峰さんには頭が上らない……」『やれたかも委員会』吉田貴司の屈辱の日々と、ウェブ漫画家としての生きる道
#本 #マンガ #インタビュー #北村ヂン
最近ではウェブ上での展開を中心にしている漫画も増えてきたが、その中でも異彩を放つ作風で話題となっているのが『やれたかも委員会』だ。
あの時、もう一歩踏み出していたら、あの娘とやれたんじゃ……。
そんな甘酸っぱ~い思い出を『やれたかも委員会』が「やれた」のか「やれたとは言えない」のか判定するというこの作品は、新作が公開されるたびに「いや、やれただろう!」「ねーよ!」などのザ・不毛な議論がネット上でヒートアップし、作品外での盛り上がりも見せている。
有料サイトで連載され、それをまとめた第1巻が双葉社より6月28日に発売。さらに2巻に向けての制作費を募るクラウドファンディングもスタートと、紙の雑誌で連載して原稿料をもらうという形ではない、ネット発のヒット作となった『やれたかも委員会』。
ネット時代の漫画家は、どうやって生き抜くべきなのか!? そしてネット漫画で本当に食えるの? ……などなど、作者の吉田貴司氏に聞いた。
■「ハンバーグはおいしかったけど、それでいいんですか?」
――まず、どんな漫画を読んで育つと、こういう作風になるのかを聞きたいんですが。
吉田貴司氏(以下、吉田) 小学校の時に初めて買った漫画が『ドラゴンボール』です。それから『幽☆遊☆白書』『3×3EYES』などを読んできて……。19歳でフリーターになり、その期間にすごく漫画を読んでいましたね。星里もちるさんのラブコメとか、福本伸行さんの『カイジ』とか、だんだんと青年漫画を読むようになって。だから、自分で漫画を描く時も青年誌っぽい作品になりました。
――投稿を始めたのも、その頃?
吉田 21歳で持ち込みを始めました。大阪出身なんで、夜行バスで東京まで出て出版社を回ったんですけど、どこに行っても全然ダメでしたね。そのまま、22歳になっても一向に漫画家になれなくて。彼女にも「漫画あきらめたほうがいいよ」なんて言われて、ハンバーグ屋さんに就職したんです。そしたら福岡県の店に転勤になって、タコ部屋……もとい社員寮で暮らしながら、朝から晩まで働いていました。
――社員寮じゃ、漫画を描くのは難しいですよね。
吉田 描けなかったですね。フリーター時代に親友が2人いたんですよ。ひとりは音楽やってて、もうひとりが漫画描いてて。誰かの家に行って、この間読んだ本がああだこうだって話をするような仲間だったんです。僕が就職して、九州に行ってしばらくした頃に2人が店に来て、うれしくてハンバーグをごちそうしたんですけど、アンケートに「ハンバーグおいしかったです。でも、吉田くんはそれで本当にいいんですか?」って書いてあって。
――青春ですね! クリエイター志向の3人だったのに、それでいいのかよと。
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