SMAP解散で、田原俊彦とジャニーズに“雪解け”? 「ビッグ発言」で干された騒動の真相とは
#ジャニーズ #SMAP #本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」 #田原俊彦
田原俊彦が今年6月、11年ぶりにユニバーサルミュージックジャパンから新曲をリリースすることが明らかになり、歌手としての本格復帰となるかが注目されている。
田原は、ジャニーズ事務所の社長、ジャニー喜多川氏の秘蔵っ子といわれ、1979年に『3年B組金八先生』(TBS系)でブレーク。「たのきんトリオ」を結成し、翌80年にソロで歌手デビューした。その後、トップアイドルの座を不動のものにしたと思われたが、ジャニー氏の意に反して女性遍歴を重ね、93年に、当時モデルだった女性と結婚。翌年、長女誕生後の記者会見で「何事も隠密にやりたかったけど、僕くらいビッグになると……」と語った、いわゆる“ビッグ発言”が世間やマスコミのひんしゅくを買って、芸能界から干されたといわれてきた。
当の田原も、約5年前にバラエティ番組に出演した際、「ビッグ発言はテレビ局に勝手に編集されたもの。僕が干されたのはマスコミの陰謀」と、その責任をマスコミに転嫁した。
しかし、真相は違う。田原は、自分を寵愛してきたジャニー氏に、なんの相談もなく結婚。同時に個人事務所を設立。これに激怒したジャニーズ事務所は、その年に予定されていた全国コンサートツアーを中止にした。
結果、居場所がなくなった田原は、94年にジャニーズから独立。その後、大手レコード会社幹部が引き取ろうとしたが、“ジャニーズの女帝”と呼ばれているメリー喜多川副社長の逆鱗に触れることを恐れて、手を引いたという。
以来、メジャーレーベルからCDを発売したのは、2006年の「ジラシテ果実」(ガウスエンタテインメント)1枚のみ。あとはすべて、インディーズレーベルだった。テレビ出演も『爆報!THEフライデー』(TBS系)といったバラエティ番組だけで、歌番組やドラマへの出演オファーはなかった。
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