口グセは「オフレコだけど……」厚労相時代だった無茶苦茶な舛添要一氏、マスコミにはサービス精神旺盛?
#舛添要一
ついに辞職が決まった東京都の舛添要一知事。公用車の私的使用や、政治資金での私物購入は、都知事になる以前の参院議員時代のほうが多かったことがわかっている。厚生労働相だった2007年8月から09年9月までを知る元番記者が、舛添氏の無茶苦茶な大臣時代を証言した。
「公私混同が甚だしいのは、当時から有名だった。異様にメディアへの露出を意識し、さんざんパフォーマンスに付き合わされた」
そう語るのは、舛添氏が厚労相時代に大手紙で番記者だった男性(40)。現在はフリーライターとして一線を離れているという元番記者は、舛添氏のすさまじいエピソードを振り返る。
「今も厚労省で行われる記者会見の際には、背後にブルーの幕がかかっている。あれは、舛添氏が整備させたものだ。08年3月、閣議後の定例記者会見で舛添氏は『この幕、いいでしょ?』と満面の笑みを見せた。後で調べると、幕は70万円もする高級品で、こんなモノに税金を投入するのか! とあきれたよ」(同)
当時、厚労省は「消えた年金」「薬害C型肝炎」といった大問題で大揺れだった。必然的に露出が増えた舛添氏は、テレビ映りを良くするために70万円もの税金を投じたというのだ。
また、専門家会議や自らの大臣室への表敬訪問に次々と芸能人を選抜して、メディアを引きつけた。
「何かの専門家会議のときに、トイレでテリー伊藤に会った。あと、妊婦のはしか予防会議委員にKiroroの2人を選出したり……。舛添氏の趣味だったんでしょう。大臣室では、BOROが『大阪で生まれた女』を熱唱したこともあった」(同)
こうしたこまごましたパフォーマンスを追いかけるのは面倒だったというが、閣僚の中では比較的取材がしやすかったと、元番記者は証言する。
「世田谷区内の自宅前へ夜回りに行くと、快く応じてくれる。『オフレコだけど……』と、われわれ番記者を前に内閣の裏話をいくらでもしゃべる。しゃべりすぎじゃないかって時もあった。結局、そこでの話が週刊誌に丸ごと流れて、最後のほうは夜回りしても話してくれなくなった」(同)
そんな時でも、マスコミへのアピールをやめなかった。
「どんなに深刻な問題が起きても、ぶら下がり取材では『カメラさん、もうよろしいですか?』と、テレビのクルーへの配慮は忘れなかった。今回の辞任劇に際しては、さすがにそうもいかなかったみたいだけどね(苦笑)」(同)
舛添氏辞職に伴う都知事選の実施費用は約50億円ともいわれるが、前知事の猪瀬直樹氏に次ぐ歴代2番目に短い在任期間中に彼が残したものとは、一体なんだったのだろうか?
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