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日刊サイゾー トップ > エンタメ  > 阿藤快さん“実質バツ3”だった?

「バツ2」報道の故・阿藤快さん“実質バツ3”だった? 気心知れた女性と逢瀬の日々

atoh1127『阿藤快の商店街ぶらり歩き』(講談社)

 11月14日に大動脈瘤破裂胸腔内出血のため69歳で亡くなった阿藤快さんが、実は“バツ2”だったことがわかったのは、葬儀後だった。妻とみられる女性がいたことはベテラン芸能リポーターらも把握していたが、数年前に離婚したと知り、皆驚いていた。事実、葬儀を仕切っていたのは、妹や長男だった。

 生前の阿藤さんは、住んでいた新宿区界隈でもよく目撃されていたが、確かに家族を同伴していたという話は聞かない。飯田橋駅から近い場所に行きつけの居酒店やラーメン店があったが、ここに出入りするときもひとりだった。


 喪主となった長男は、阿藤さんが20代で結婚した最初の妻との子だが、売れっ子になってから離婚。それ以降は、長男とも頻繁に付き合いがあるというわけでもなかったようだ。間もなく再婚した2番目の妻との夫婦生活は、本人の口から語られることはほとんどなかった。仕事先ではとても明るく、テレビ関係者からも非常に評判の良かった好人物だが、私生活は謎に包まれていた。

 ただ、阿藤さんと親しかった、元芸能リポーターで現在タレントのマネジメント業務をしている芸能関係者によると「実質バツ3じゃないかな」という話も聞こえてきた。

「昔、荻窪のボロアパートにいて最初の結婚をしたとき、落語家の古今亭志ん生さんが極貧時代に住んでいた、業平のなめくじ長屋といわれるあたりに転居してね。新宿を拠点にしたのは、その後のことだったと思うけど、そのとき、曙橋に15歳ぐらい年下の愛人みたいな女性がいたんだよ。愛人といっても会って楽しく飲むだけという、気の知れた間柄だったらしいけど、彼女との密会は『はみだし』って焼き鳥店に限ってた。ここは客が5~6人しか入れない、知る人ぞ知る店で、店の主人が口の堅い人だったから、私生活も一切、詮索されなかった。10年ぐらい前にその主人が亡くなって、阿藤さんは『彼女と会う場所がなくなった』とこぼしていた。2人は本当に仲が良かったから、もし奥さんと別れることがあれば、この女性と再婚するんじゃないかと思ったほど。でも、その女性も数年前に病気で亡くなった。たぶん、治療費なんかは阿藤さんが出していたんじゃないかなあ」

 個性派俳優の阿藤さんは「物欲がない」と話していたが、人気者にしては珍しく自宅も購入せず、気楽に生きていた。表舞台の裏での晩年は、さぞ心地よいものだったのだろう。
(文=ハイセーヤスダ)

最終更新:2015/11/28 10:00
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