20年たっても「後継馬なし」 “マイルの怪物”タイキシャトルが残した壮絶記録と、その可能性
#競馬 #武豊
今週末に中央競馬で開催されるマイルチャンピオンシップ(G1)。中央G1の中でも特に波乱が多い印象のある、京都競馬場のマイル(1600m)競走だ。
過去5年で1番人気を背負って勝利した馬はなし。過去10年で見ても3度(ダイワメジャーの2連覇)と、人気どおりにはなかなか収まってくれない同レース。
ダイワメジャー以外にも、デュランダルが2003,04年と連覇しているように、マイル戦を何より得意として強さを発揮する馬がいないわけではない。ただ、近年のスピード主体の日本競馬の構造上、マイルという“速さ”を競う部類のレースで圧倒的な強さを保持するのはなかなか難しい。上記の2頭も、絶対的な信頼を置かれたわけではないのだ。
1984年のグレード制導入に合わせて新設以降、絶対的ともいえる信頼を置かれた馬は、たった2頭しかいない。1頭は、日本がスピード競馬に突入する前の1980年代を代表する「マイルの皇帝」ニホンピロウイナー。そして、90年代に現れたマイルチャンピオンであり、いまだ「史上最強のマイラー」としての呼び声が高い外国産馬、タイキシャトルである。
栗毛というよりは“金色”の馬体とタテ髪を身にまとったタイキシャトルは、外国産馬らしく筋肉隆々で、いかにも短距離向きな体格だった。デビュー前は3回もゲート試験に落ち、デビューは97年、3歳の4月と最後のほうだったが、デビューすると芝とダートを3戦ずつして6戦5勝2着1回。大差こそつけないが、危なげないレース振りを続けて、初のG1であるマイルチャンピオンシップに挑んだ。
当日は2番人気だったものの、レースでは中団前目から逃げるキョウエイマーチをあっさりと捕らえ、2馬身半差の完勝。あまりにもあっさりとG1馬の地位についてしまった。このレースを見た誰もが「マイルは引退までタイキシャトル」と思っただろう。完全にエンジンが違う走りであった。その後、当時年末に開催されていたスプリンターズS(G1)も楽々圧勝。その年のJRA賞最優秀短距離馬に選出された。
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