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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 横浜名物「帽子おじさん」を直撃
珍バカライター・北村ヂンの【突撃取材野郎!】vol.22

横浜名物“帽子おじさん”のヤバすぎる過去にギョーテン!

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珍奇なものをこよなく愛するライター・北村ヂンが、気になったことや場所にNGナシで体当たり取材していく【突撃取材野郎!】。第22回は、横浜名物の帽子おじさんに会ってきました。

 横浜近辺のイベントなどによく行く人だったら、一度は目撃したことがあるんじゃないかという名物「帽子おじさん」。

 お手製の派手すぎる帽子をかぶって街中を練り歩いているんですが、インパクトありすぎなビジュアルだけに、遭遇してもちょっと話しかけづらい……。

 そんなおじさんが、生誕80年を記念して個展『頭上ビックバン!帽子おじさん宮間英次郎 80歳記念大展覧会』を恵比寿のNADiff Galleryで開催中(現在は終了)ということで、ボクが代わりに帽子おじさんこと宮間英次郎さんに直撃取材してきました! あの愉快な帽子誕生の裏には、意外な事件があった!?

■内向的な子どもだったね

――「横浜の帽子おじさん」としておなじみですけど、生まれは三重県なんですよね。

「うん、伊勢のほうね。あの辺は旅館が多かったから、ウチの親父は戦前、女中さんたち相手に小間物屋というか、今でいう化粧品屋みたいなことやってたんだよ。でも、戦争で呉の海軍に徴兵されちゃって。広島に原爆が落ちた時には、たまたま鳥取だか島根だかに軍の物資を取りに行ってて助かったんだけど、ほかの人たちはほとんど死んじゃったらしいよ」

――いきなり意外すぎる話からスタートしましたね。おじさんは、どんな子どもだったんですか?

「終戦して親父が帰ってきても、もう小間物屋なんて商売にならないから、夏はアイスキャンデーを売ったり、冬は水飴を売ったり、なんでもやってたんだよね。親がそういうことをやってるのって、子どもたちからすると、からかいの対象になっちゃうでしょ? おじさん、子どもの頃は体も小さかったから、いじめに遭ってたんだよ。もう学校もイヤになっちゃって、いつも下を向いているような内向的な子どもだったね」

――内向的!? 今はこんな格好してるのに!

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