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深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.245

“人種差別”の壁に挑んだ男たちの実録ドラマ! 背番号が与える重みと力『42 世界を変えた男』

42__1.jpg近代メジャーリーグ初の黒人選手となったジャッキー・ロビンソン。脅迫や嫌がらせに屈することなく、ガッツ溢れるプレーでドジャースの躍進に貢献した。

 武器を持たずに、完全なる非暴力を貫くことで“革命”に挑んだ男たちの物語だ。『42 世界を変えた男』のタイトルにある“42”とは、近代メジャーリーグ初となる黒人選手ジャッキー・ロビンソンが背負っていた背番号のこと。現在、全米のあらゆる球団で永久欠番扱いとなっている唯一の背番号である。ロビンソンがメジャーリーグ入りを果たした1947年の米国にはまだ激しい人種差別が残り、400人いるメジャーリーガーは全員白人だった。ブルックリン・ドジャース率いるブランチ・リッキー会長と契約したロビンソンは、たった1人でグランド上での闘いを強いられた。対戦チームだけでなく、観客、審判、そしてチームメイトさえも、肌の色が違うロビンソンのことを敵対視していた。ひとりのアスリートが起こした革命が全米にどのような影響をもたらしたのかを『42 世界を変えた男』は伝える。

 物語は第2次世界大戦が終結した1945年から始まる。祖国アメリカを守るために戦場へと送り出された多くの黒人兵たちが帰ってきた。だが、彼らが命懸けで守った米国には「人種隔離法」という悪しき法律が存在していた。リンカーン大統領の奴隷解放宣言によって奴隷制度は表向きはなくなったものの、ホテル、レストラン、バス、トイレ、水飲み場などの公共施設を黒人は白人と一緒に利用することができないままだった。メジャーリーグは白人たちのもので、身体能力の優れた黒人選手たちはニグロリーグでプレーするしかなかった。陸軍を退役したロビンソン(チャドウイック・ボーズマン)もニグロリーグに属する選手のひとり。厳しい人種差別に遭いながらも、野球を愛する仲間たちとバスに揺られて巡業する日々を送っていた。彼らにとっては大好きな野球をやって食べていけることが現実的な理想であって、メジャーリーグでプレーすることは夢のまた夢でしかなかった。

 そんなニグロリーグに注目していたのがドジャースのリッチー会長(ハリソン・フォード)だった。ドジャースの本拠地であるNYの下町・ブルックリンは黒人層が多い。ニグロリーグから有能な選手を連れてくれば、低迷するチームの戦力アップは間違いない。当時のニグロリーグはメジャーリーグとのエキシビションマッチで圧倒的な勝率を誇っていた。ドジャースが強くなり、しかも球場に大勢のファンが詰めかける。“興行の天才”と呼ばれたリッチー会長はこのアイデアを迷わず実行に移す。「前例がありません」と慌てふためく球団職員たちに対し、リッチー会長はこう言い放つ。「1ドル紙幣は白でも黒でもない。緑色だ」。

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