「談志さんがボロクソに……」ベテラン芸能記者が明かす、故・牧伸二さんの素顔
#本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」
(ドレミ楽譜出版社)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
ウクレレ漫談で一世を風靡した牧伸二さんが亡くなった。自宅近くの多摩川で投身自殺したとみられる。
その報道の直後、牧さんと以前、同じ釜の飯を食った元マネジャーから「牧さんは、会長を務める『東京演芸協会』の金銭トラブルに悩んでいた」という情報を提供された。そして、この話は一部でも報道されることになった。東京演芸協会内に使途不明金があり、それに牧さんが関わっていたのではないかというものだ。
牧さんは「あーあーやんなっちゃった、あーあーあー驚いた」のフレーズで世の中を風刺するウクレレ漫談という新境地でブレークしたが、中学の後輩だった故・立川談志さんが「あんなの芸じゃない」とボロクソに批判したことで、牧さんの師匠だった故・牧野周一さんが談志さんに「公開討論をやろう」と激怒。見兼ねた談志さんの師匠、故・柳家小さんさんが牧野さんに謝罪して収まったという事件があった。
その後、牧さんは1963年から15年間にわたって放送された日本教育テレビ(現・テレビ朝日)の『大正テレビ寄席』で司会を務めて人気を博す。99年には東京演芸協会の会長に就任したが、3年後に脳出血で倒れて、一時は再起が危ぶまれた。その後、リハビリの末に見事復帰。しかし、デビュー当時から所属していた「佐藤事務所」は解散していた。
佐藤事務所には牧さんの弟子に当たる泉ピン子がいた。ピン子はデビュー当初は三門マリ子という歌謡漫談で地方を回っていたが芽が出ず、日本テレビの『テレビ3面記事 ウィークエンダー』というワイドショーのリポーターとしてブレーク。その後、女優として遅咲きしたが、売れた途端にピン子は、事務所に多額な借金を残して独立。裏切られたオーナーはピン子に約3億5,000万円の“借金返済訴訟”を起こした(その後、和解)。しかし、そのことがきっかけで事務所を経営する気力を失い、そして、そのオーナーが他界したために事務所は解散した。
そのため、牧さんは個人事務所を設立するが、仕事は激減した。そんな時に牧さんが会長を務める東京演芸協会の協会費約650万円の使途不明金が見つかり、協会員から、その行方を追及されたという。というのも、牧さんは一見、優しそうに見えるが、後輩たちの面倒を見なかったことから人望がなかったという。
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