ソニーがJ-POPを殺した!? 音楽業界10年間の凋落史『誰がJ‐POPを救えるか?』
#音楽 #本
が語れない業界盛衰記』
(朝日新聞出版)
ピークだった1999年には6000億円の市場規模を誇っていた音楽ソフト市場。しかし、2000年代は右肩下がりに凋落し、2010年の市場規模は配信とパッケージソフトの売り上げを合わせても3700億円にまで縮小している(「日本のレコード産業」日本レコード協会)。12年を例に取れば、ミリオンセラーシングルはわずか5枚、しかもオリコン年間ランキングは秋元康とジャニーズに独占される結果となった。「終わってる……」もはや、CDなどファングッズのひとつに過ぎない時代なのだろう。
そんな音楽業界に対して舌鋒鋭い批判を展開するのが、作詞家であり「日経エンタテインメント!」(日経BP社)創刊にも関わった麻生香太郎氏による『誰がJ‐POPを救えるか? マスコミが語れない業界盛衰記』(朝日新聞出版)だ。フィクションの形式を取りながらも、「音楽番組」「つんく」「韓流」などを例に、時代ごとに移り変わる業界構造や、それがJ-POPにもたらした影響を語る同書。章タイトルには「~がJ-POPを殺した」とカゲキな文字が躍るが、本書のタイトルからもわかるように、決して「犯人探し」だけが目的ではない。
麻生氏が最も鋭い批判を投げかけるのが、第1章「ソニーがJ-POPを殺した」だ。Appleのリリースした“黒船”、iTunes Music Store(現iTunes Store)に時代の比重が移る中「携帯音楽プレーヤーの世界で、ウォークマンブランドが、負けるわけがない」と頑なにプライドという名の“上から目線”を続けてきた同社。そんな裸の王様が牽引する音楽業界は、年を追うごとに収益を減らしていく。結局、王者といえども時代の流れには逆らえず、12年、ソニー・ミュージックは所属アーティストの楽曲販売をiTunes Storeに解禁。「それにしても、それにしても、あまりに遅すぎた」。麻生の嘆きは、音楽ユーザーたちの気持ちを代弁したものだろう。
一方、作詞家という立場もあってか、ネット上では批判が相次ぐJASRAC(日本音楽著作権協会)に対しては寛容な姿勢だ。日本全国津々浦々の小さな居酒屋に至るまで、音楽著作権使用料を徴収するJASRAC。その姿勢は裁判も辞さない強硬なものだが、こと著作権者にとっては心強い存在となっている。だが、もちろんJASRACにも問題はある。麻生は「JASRACは文科省のれっきとした天下り組織である」と断言し、「社会人になってからJ-POPを聞いたこともないお役人が平然とJASRACの理事に名を連ね、毎月の手当と退職金をもらっているのである」と告発する。
思えば、“違法コピー撲滅のため”と、「コピーコントロールCD」「レーベルゲートCD」などが登場したのが02年。その後も、iTunes Storeの進出を渋り、着メロ・着うたに執心だった日本の音楽業界はユーザーの存在を軽視していた。そして、世界の潮流から乗り遅れ、ガラパゴス化の一途をたどる。アメリカやヨーロッパではすでに一般化しているストリーミングサービスSpotifyは、現在も日本をスルーしたままになっている。
おそらく、音楽の質が低下したわけではないし、身の回りに流れる音楽の量が減ったわけではないだろう。ただ、利権を守るため、日本の音楽業界は時代の変化を認めなかったのだ。「この失われた20年で、われわれは、この国を良くしていくには、政治や官僚や教育や会社組織には、何も期待できないということを思い知らされた。その怠惰な流れの中で漂うように音楽業界はゆるやかに失速していった」。音楽業界の凋落は、そのまま日本社会の凋落に似ている。
麻生は、“J-POPを救う”希望を、平成10年代生まれの子どもたちに託す。スマホを使いこなし、YouTubeで音楽を楽しむ次世代が大人になった時に「新しい音楽が生まれてくるような気がする」と語る。その時、音楽業界はかつてのような巨大な産業ではないかもしれない。しかし、現在のような利権にがんじがらめの産業ではなく、本当に自由な音楽の楽しみ方を提供してくれる業界になっていると信じたい。
(文=萩原雄太[かもめマシーン])
●あそう・こうたろう
評論家、作詞家。大阪市生まれ。東大文学部在学中から、森進一、小柳ルミ子、野口五郎、小林幸子、TM NETWORKなどに作品を提供。「日経エンタテインメント!」(日経BP社)創刊メンバーに加わり、以降エンタテインメントジャーナリストに転身。音楽・映画・演劇・テレビを20年以上にわたって横断的にウオッチし続けている。著書に『ジャパニーズ・エンタテインメント・リポート』(ダイヤモンド社)などがある。
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