ことばを愛し、畏れる“ブンガク者”高橋源一郎『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』
#本 #高橋源一郎
昨年、僕たちを突如として襲った未曾有の大災害は、深い悲しみやがれきの山とともに、日本中にたくさんの“ことば”を生み出した。テレビや新聞、インターネット、カフェや場末の居酒屋に至るまで、さまざまな場所で「この震災はなんだったのか」という議論が何度も交わされたことだろう。
そんな中、とりわけ多くの人々から支持を集めた人物の一人が、作家・高橋源一郎だ。雑誌やTwitterなどで発表される彼のことばによって冷静さを取り戻し、勇気づけられた人々は少なくないだろう。2011年3月から12月までに高橋がTwitterやエッセーなどを通じて発表したことばをまとめた『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』(河出書房新社)が刊行された。
2011年、高橋も僕たちと同様、地震に怯え、原発事故に戸惑いながら生活を送っていた。教鞭をとる明治学院大学の“非公認”卒業式(震災の影響で正式な卒業式は中止となった)に祝辞を送り、資源エネルギー庁が子どもたちに押し付ける“節電パンフレット”に怒った。それと同時に、小学生になったばかりのれんちゃんと、保育園に通うしんちゃんという2人の子どもに惜しみない愛を注いでいた。高橋の(親バカと形容されそうな)子どもへの眼差しは、「震災の悲劇」とはあまりにもかけ離れている。しかし、その両方が合わさってはじめて、作家・高橋源一郎の2011年が見えてくるのだ。
そもそも、高橋ほど「異端」な作家もいない。
学生運動に参加し、凶器準備集合罪によって逮捕・拘留された高橋。肉体労働に従事しながら小説を書きため、デビュー作『さようなら、ギャングたち』(講談社)は鮮烈な印象を持って迎えられた。以降、『Dr.スランプ』などの漫画・アニメの世界観をモチーフにした『ペンギン村に陽は落ちて』(集英社)や、AVの世界を描く『あ・だ・る・と』(主婦と生活社)など、誰にも真似することのできない小説を発表し続ける。文学界の登竜門である芥川賞を受賞することもなく、独特のスタンスで作家生活を営んできた(余談ながら、私が初めて彼の存在を知ったのは『スポーツうるぐす』(NTV系)の競馬解説者としてだった)。高橋は小説を信じ、その可能性に賭けてきた。
本書に掲載された中から、印象的なことばを紹介しよう。
「ことばを書く、ことばを他人に向けて使う、どちらもほんとうに、恐ろしいことだ、と思うことがあります。ふだんは忘れているけれど、時々、しみじみとそう感じる。いま、たぶん、そうなんだと思います。それでも、使うしかないんだけど」(12月1日のツイート)
「そもそも『すぐにことばが出る』というのは、異常な状態なのではないか。
ぼくたちは頭の中ですでに考えていたことを、まるで、さもいま思いついたかのようにしゃべる。
その時(うまくしゃべれている時)、頭の中はどうなっているのだろう」(「ぼくらの文章教室」特別編・第6回)
先に触れた逮捕・拘留中、高橋は失語症に陥った経験がある。ことばを生み出せない場所から出発した高橋が書くそれは、時にまったくのデタラメでありながら、同時にこれ以上ない美しさを感じさせる。本書を読んでいると、Twitterとは高橋のために開発されたツールなのではないかと錯覚してしまうほど、その言葉は140文字という制約を感じさせない広がりを持つ。
昨年執筆した『恋する原発』(講談社)では、「震災のチャリティAVをつくる」という突飛な設定にあらん限りのギャグを散りばめ、(高橋の本意ではないかもしれないが……)「ブンガク」の高みまで昇華させてしまった。当サイトの取材に対し、「3.11以降、読める小説と読めない小説が出てきた。『僕たちが住んでいる世界は、やっぱりおかしくないか?』という認識が根底にある小説は、3.11以降に読んでもやっぱり面白い」と語っていたが、高橋の作品の強度もまた、決して震災によって損なわれるものではないように感じる。
高橋の仕事は3月11日以前も以降も変わらずにデタラメだし、面白い。それはきっと、高橋が小説を、ことばを最も愛し、最も畏れているからではないだろうか。
(文=萩原雄太[かもめマシーン])
●たかはし・げんいちろう
1951年広島生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』で「群像」(講談社)新人長編小説賞優秀賞受賞。88年、『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞受賞。著書に『虹の彼方に』『ジョン・レノン対火星人』『ペンギン村に陽は落ちて』、『日本文学盛衰史』など。05年より明治学院大学国際学部教授を務めている。
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