覚せい剤、暴行、詐欺……元ジャニーズ・豊川誕の波乱万丈な半生
#本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」 #本多圭
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
自身が監督した映画『セイジ-陸の魚-』のプロモーションのため、メディア露出が急増している伊勢谷友介。そんな彼が最近、「山本寛斎が腹違いの兄」という発言をしたことが仰天告白として女性誌などで取り上げられているが、別に驚くような話ではない。
広末涼子がアイドル女優だった頃、”同棲相手”だった伊勢谷のバックグラウンド情報として、寛斎との関係は盛んに報じられていた。広末はデビュー時から注目されて、早稲田大学に入学したことで、”ポスト吉永小百合”などとも騒がれた。ところが伊勢谷との同棲が発覚後、大学にはろくに通わず、仕事もルーズになり、奇行を報じられることも出てきて、一時は女優生命が危ぶまれた時期もあった。それだけに、業界内では「広末を変えてしまった伊勢谷とはどんな男なんだ?」と厳しい目が向けられていたのだ。そんな伊勢谷が寛斎の年の離れた異母弟であることは、鮮明に記憶している。一般に知られていなかったのは、当時の伊勢谷がそれだけ無名で、関心を持たれていなかったからだろう。
それより、寛斎の名前を聞いて思い出したのは、彼の甥の岸田健だ。彼は今、何をやっているのかと思い調べてみると、ジャニーズ事務所の元アイドルで、かつて一世を風靡した豊川誕と関係があることに驚かされた。
岸田はアパレル会社を経営していた1988年に、ミュージシャンの杏里と結婚した。ところがその後、岸田は詐欺で逮捕される。杏里にとっても大スキャンダルとなっただけに、筆者は真相を取材しようと東京拘置所に岸田に面会に行ったことがあった。その後、2人は離婚。岸田の消息も不明だったが、今回ネットで調べていると、岸田が豊川をだましていたという情報にあたった。
豊川は2歳の時に両親に捨てられて、養護施設で育ち、上京。16歳でジャニーズ事務所から「汚れなき悪戯」でデビューしたが、ジャニーズから独立したことで業界から干された。その後、覚せい剤や暴行、クレジット詐欺などで逮捕され、転落の一途をたどった。その後、筆者はある音楽関係者の紹介で、豊川に会った。その時の豊川は入れ墨を入れており、かつてのアイドルのイメージは消えていた。話の内容は、矢沢永吉が率いたロックバンド「キャロル」の元メンバー・ジョニー大倉の借金の連帯保証人になったが、大倉が借金を返さないために、当時持っていた店を数軒処分したという話だった。それでも、大倉からはお礼の電話1本もないと悔しがっていた。実にツイていない男だ。
ところが、昨年1月に演歌「愛は咲き頃」をリリースして、再起したことを知った。先日、同じくジャニーズを辞めた後、紆余曲折の人生を歩んできた北公次が亡くなったが、豊川には北の分まで、さらにしたたかに生きてほしいものだ。
そんな豊川が最近、バックアップを名乗り出てくれていた岸田に金を貸したところ、トンズラされたと自身のブログで怒りの告発している。行方知れずの岸田の情報を募っているようだ。岸田という男も懲りない男だ。
伊勢谷の発言がきっかけで、知ることになった岸田や豊川の近況。まさに有象無象が集まり、山あり谷ありのギョーカイの縮図を見ているようだし、華やかし人々のその後の人生を知るにつれ、感慨が深まる。これだから、芸能界の取材はやめられない。
(文=本多圭)
山あり谷あり。
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