「戻ってきたのは反捕鯨活動家だけ……」報道されない”西の被災地”和歌山・南紀の現在
2011年9月、和歌山県那智勝浦町は台風12号による大雨で大打撃を受けた。町内を流れる那智川が氾濫し、山間部では土砂崩れも発生。死者・行方不明者数は28名を数え、その中には結婚を間近に控えた寺本真一町長の長女、早希さんも含まれていた。このエピソードや東日本大震災で被害を受けた福島県から同町への援助などは広く報道され、耳にした人も多いだろう。
しかし、その後、町はある苦しみに苛まれていた。
「もしかしたら……」と、町内で飲食店を経営する男性はため息をつきながら重い口を開ける。
「全然報道されなかったほうがよかったのかもしれない。注目を集めちゃったことでこうなっちゃったんじゃないかな」
世界遺産として知られる熊野古道や、「紀の松島」と呼ばれる美しい海岸など、さまざまな名所を有する那智勝浦町は観光産業が活発な町。例年であれば年間140万人あまりの観光客が訪れるものの、今年は災害の影響から例年比80%減と散々な結果となっている。
「一時期は駅周辺からまったくといっていいほど観光客が消えた。観光で持っている町だから経済がまったく回らないんです。3カ月経って少しは回復しているけど、通常通りに戻るのはまだ時間がかかる。折からの不況も影響し、閉店を決意する店も少なくないですね」
また、消えたのは観光客だけではなかった。2010年に議論を巻き起こしたイルカ漁を追ったドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』(09)の舞台となった和歌山県太地町の隣に位置する那智勝浦町。9月からイルカ漁が解禁されることから、以前なら那智勝浦町内でも反捕鯨活動家たちの姿を目にすることがしばしばだった。しかし、災害が起こるとその姿はぱったりと見られなくなってしまったという。
上記の男性は「活動家たちは災害が起こっても何もしてくれなかった。こういうときだからこそ、住民と一緒に復旧活動をすれば株も上がったのにね……」と話す。現在は活動家たちも町に戻り、今年も反捕鯨活動に精を出しているという。
台風12号は洪水のみならず、「山津波」「堰止め湖(天然ダム)」という現象を引き起こした。過去に類を見ないような大災害であったにもかかわらず、那智勝浦町をはじめとする紀伊半島の被害については、災害直後の一時期しか報道がなされていない。ある程度被害状況が収まってしまえば、東日本大震災や原発事故といった場所へと、再び注目が移ってしまったのだ。その結果、紀伊半島の復旧、復興といった情報がメディアに載ることはほとんどなく、一般の人の時計は”紀伊半島が台風被害にあった”9月で止まってしまっている。当然、そのような町へ観光に赴く人は少ない。
現在では、土石流によって橋梁が崩落したJR紀勢本線も復旧し、那智勝浦観光のメインである那智山へ向かうルートも復旧されている。豪雨によって熊野那智大社に土砂が流入したものの、社殿に入った土砂は取り除かれ、今は周辺の復旧作業中となっている。日本三大名瀑のひとつに数えられる那智の滝も大きな被害を受けたものの、いずれも観光や参拝は問題ない状態にまで回復した。
「災害が広く報道されたことによって、のべ8,000人ものボランティアに来ていただけました」と感謝の意を述べるのは、町で観光関連の仕事をする女性。
しかし「風評被害は大きい」と、やはり報道の姿勢には思うところがあるようだ。
「あたかも町全体が台風の被害を受けているような印象が与えられましたが、実際の被害は町の中でも一部の地域です。ホテルや旅館、飲食店、土産物屋も災害直後から普段通り営業していますし、温泉も湧いています。そういう部分のこともしっかりと報道してほしいです」
2011年、災害に見舞われた地域は1月に発生した鹿児島県新燃岳の噴火や、7月に発生した福島県、新潟県にまたがる集中豪雨、また3月12日に震度6強の地震が発生した長野県栄村などが挙げられる。東日本大震災の被害は歴史的なものであり、その復旧・復興も広く知られるべきだが、東北だけでなく、日本には那智勝浦をはじめとして、また別の「被災地」も存在する。年の瀬の今、今年を振り返る意味でも、あらためてこういった場所に目を向けるべきではないだろうか。
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])
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