黒坂圭太『緑子/MIDORI-KO』×山村浩二『マイブリッジの糸』 公開記念対談(前編)
#映画 #アート
日本のインディペンデント・アニメーション・シーンを代表する二人の作家の新作が、奇しくも今月相次いで公開される。
黒坂圭太監督による初の長編アニメ『緑子/MIDORI-KO』は、13年の歳月をかけて3万枚を超える原画をひとりで描き上げた驚異の作品。かたや日本人としては初めてカナダ国立映画制作庁(NFB)との企画で誕生した、山村浩二監督の短編アニメ『マイブリッジの糸』。
作品のタイプはかなり異なるが、どちらもオリジナリティーあふれる渾身の傑作だ。かねてより親交のある二人が、お互いの仕事についてじっくりと語り合った。
■二人の出会い
山村浩二監督(以下、山村) 黒坂さんとのお付き合いは、僕がまだ学生上がりの頃、「アニメーション80」(1980年に東京造形大学、武蔵野美術大学の学生を中心に結成された、個人映像作家による制作及び上映を目的としたサークル)からですから、26年くらい?
黒坂圭太監督(以下、黒坂) もう四半世紀以上はたっているんですね。
山村 その頃が一番頻繁にお会いしていたような気がします。月一くらいで会合があったり上映があったりして。黒坂さんは僕の先輩ですから、先にイメージフォーラムで作品を発表するなど活躍されていて、僕はまだ新人の若造で、隅っこの方で……。
黒坂 ただ、制作年代でいうと山村さんの処女作の方が古いんですよね。僕は『変形作品第1番』が84年ですから。
山村 僕はアニメーション80に参加したのは85年からでした。それに一応中学・高校から作品は作っていましたが、今でも人様に見せられるような作品だとすると卒業制作の『水棲』が1987年なのでやはり4〜5年は黒坂さんの方が早いです。
黒坂 そういう意味では、僕も人様に見せられるのは『海の唄』(88)以降だから。
山村 そんなこと言ったら僕も『頭山』(02)以降になっちゃいますよ(笑)。
■『マイブリッジの糸』の緻密な構造
黒坂 『マイブリッジの糸』というタイトルから、マイブリッジの写真を主軸にしたコンセプチュアルな映画を想像してたんです。だいぶ昔の山村さんの作品ですが『遠近法の箱』(90)など、どちらかと言えば視覚的な、映像自体のメカニズムに根ざした作品群の系譜に来るものなのかなと。それがマイブリッジという人物そのものにスポットを当てた作品と聞いて、今までの山村作品とは違う、いわゆる人間ドラマになるのかとすごく興味がありました。
山村 実は『年をとった鰐』(05)で、初めて恋愛映画を撮ったつもりだったんですけど、確かに鰐なので人間ドラマではないですね(笑)。
(c)National Film Board of Canada /
NHK / Polygon Pictures
黒坂 海外の短編アニメーション映画を見ていると、大変失礼ながら、いわゆる”名作”と呼ばれている巨匠の作品にも、物語が陳腐なもの、あるいは逆にストーリーが複雑すぎて映像的に弱くなっているものが結構あると思うのです。ところが『マイブリッジの糸』は、13分で読み解くのが困難な、ある意味とても難解な物語なのに、イマジネーションに満ちた映像の魅力にしっかり支えられ、それがまったく苦になりません。もともとアニメ作家は絵を描きたいわけだから、とかく手法が先行しがちになりますが、この作品は絵とストーリーが綿密なフーガになっている印象を受けました。バッハのように、あるところでは絵が主旋律となり、またあるところではそれが逆転し、融合したり衝突したりしながらひとつの”うねり”を形成している。作品そのものが音楽の構造に近いですね。かつてここまで緻密な結構を持ったアニメーションはなかったんじゃないでしょうか。
山村 いやあ、ありがとうございます! 今回はバッハの『蟹のカノン』を、このタイミングでこう使うという構成をかなり厳密に事前に決めていたんです。それで仮の効果音と、音楽もピアノだけの仮バージョンを入れた状態で編集を決め込んで、それからミュージシャンを誰にしようと考えました。カナダには優秀なサウンドデザイナーやプロデュサーが大勢いるのですが、以前から面識があって、いつか一緒にお仕事をしたいと思っていた巨匠ノルマン・ロジェさんにお願いしました。
■短編のはずだった『緑子/MIDORI-KO』
山村 『緑子/MIDORI-KO』の出発点は何だったのですか?
黒坂 実は、元々は自主企画ではなく、環境汚染問題を扱った15分くらいのキャンペーン映像だったんです。当初は、もっとファンタジーっぽくて勧善懲悪のストーリーでした。
山村 黒坂さんの作品の中では異質な感じがしたので、その経緯を聞いて納得しました。オーダーされていながらも、その葛藤から自分で作っていくうちに、こういうものが出て来たんですね。絵のうまさだけで見ていられると言うと失礼なんですけど、一瞬一瞬が印象派の作家の絵を見ている気分になるというか、ドガのデッサンみたいな力強さに圧倒されました。『緑子/MIDORI-KO』は内容的には一種のスカトロジーだと僕は思ってるんですが(笑)、アブノーマルなキャラクター設定やストーリー展開が、逆にすごくポップだと思ったんですね。それまでのアンダーグラウンド色の強かった黒坂作品の中でも、『みみず物語』(98)や『海の唄』に共通するものはあるのですが、ポップさという点では、真逆の方向に弾けたという印象を受けました。
黒坂 注文仕事って、意外と自分の回路にない部分に歩み寄ることになって、広がりが出るという意味ではいいですね。でも結局、普通の作品展開にはならなくて、どんどんいつも通りになっちゃって、自主企画に近い状態になったのです。決定的なのは、ちょうどこの作品に着手した時期に子どもが生まれたことですね。うちでは赤ん坊をロシアの子どもみたいに布で簀巻きに巻いてあやしていたんですが、それがそのままMIDORI-KOの造形になっているんです。
■アート・アニメーションの世界
黒坂 僕はMTVの『ATAMA』(94)を作って初めて”アート・アニメーション”というジャンルを認識したんですよ。
山村 そもそもアート・アニメーションというジャンルがあるのかという疑問もありますが。
黒坂 確かに(笑)。ストーリーやキャラクターはあるけれど、いわゆるセル画タッチと違う”絵画テイストのアニメ”とでも呼んだら良いのか…もともと僕は、そういった作品群に全く興味がなく、ユーリ・ノルシュテインもフレデリック・バックも名前しか知らず、バックの最新作『大いなる河の流れ』を94年の広島国際アニメーションフェスティバルで初めて見たんです。「こういう世界があったんだ!」と、目からウロコ状態でした。それまでは主に分解写真を再撮影する手法で作品作りをしていましたが、そろそろマンネリ気味でモチベーションが落ちてきており、「動画を描いてコマ撮りする」というスタンダードなアニメ制作が逆に新鮮だったんです。そんな中で出てきたのが、不思議の国のアリスのみたいなかわいらしい女の子とグロテスクな生物が、晴れた日にラウンジで一緒にお茶を飲みながら世間話をしているようなイメージでした。『緑子/MIDORI-KO』の発端とも言えるイメージで、94年に描いたスケッチが残っています。
山村 黒坂さんは絶対楽しんで作っているなと感じます。その純粋さが、ある意味、本当の自主制作だと思います。余計なタガがはまっていないというか、だからこそ長編として完成したというのは本当にレアなケースだなという気がしますね。
黒坂 海外では、こういうことをやっているアニメーターは多いのですか?
山村 海外でも長編に挑戦するインディペンデントの作家が増えてきていて、ひとつのトレンドかなと思います。フィル・ムロイというイギリスの作家は、リミテッド(※動きを簡略化しセル画の枚数を減らすアニメ手法)ですが、長編をすでに3〜4本作っていて、暴力やSEXの問題を提起しています。彼の場合はシナリオ重視で、絵を描くのが非常に早くて、ミニマル・ミュージックのように数枚の口パクだけで長編を作ってしまう。彼と、その先駆けのビル・クリンプトンは、デッサンのタイプとしては黒坂さんにちょっと近いかもしれません。クリンプトンは昔から長編を手がけていますが、すごくドローイングが達者で、独自のデフォルメというかキャラクターを作って、グロテスクな表現が多い。今までは長編=商業ベースという見えない束縛がありましたけど、自主制作で長編もありだっていうひとつの形が見えてきたのかもしれません。まあ、シュヴァンクマイエルなんかも典型的にそうなんですけれどね。
(後編へ続く/取材=鎌田英嗣、写真=駒井憲嗣)
●くろさか・けいた
1985年『変形作品第2番』がPFF入選。『海の唄』『みみず物語』『個人都市』などの短編映画を次々と発表。手がけた作品は数多くの映画祭や美術館で上映されている。代表作のMTVステーションID『パパが飛んだ朝』(1997)は、アヌシー、オタワの二大アニメ映画祭をはじめ数々の国際賞に輝き、世界中で放映された。一方、Dir en greyのPV『Agitated Screams of Maggots』(2006)は、あまりの背徳的過激さから賛否両論を巻き起こし、テレビやDVDで修正を余儀なくされた。近年では即興アニメとペインティングによるライブ・パフォーマンスも行っている。武蔵野美術大学 映像学科教授。
『緑子/MIDORI-KO』
20XX年、東京。謎の光によって生み落とされたヒトとヘチマの合体生物”MIDORI-KO”は意志を持ち喰われることを恐れ逃げ出した。よってたかって”MIDORI-KO”を襲う人間たち、逃げ惑う”MIDORI-KO”。欲望丸出しの滑稽で奇妙な争奪戦の果てに訪れる世界とは? 繊細な線と線の戯れ。色と色が折り重なる独特の美しさとグロテスクさ。色鉛筆一本で描かれた幻想的で摩訶不思議な世界観は、ユーリ・ノルシュテイン、ウィリアム・ケントリッジなど緻密で繊細な描写で知られる世界のドローイングアニメーションの巨匠たちに匹敵する画力と構成力を持つ。エンディングに流れる曲は芥川賞作家・川上未映子のオリジナル曲『麒麟児の世界』。
9月24日(土)より、渋谷アップリンクXはじめ、全国順次公開。
映画公式サイト<http://www.midori-ko.com//>
●やまむら・こうじ
1964年生まれ。東京造形大学卒業。90年代『カロとピヨブプト』『パクシ』など子どものためのアニメーションを多彩な技法で制作。02年『頭山』がアヌシー、ザグレブをはじめ世界の主要なアニメーション映画祭で6つのグランプリを受賞。これまで国際的な受賞は60を超える。10年文化庁・文化交流使としてカナダで活動。11年カナダ国立映画制作庁との共同制作で『マイブリッジの糸』が完成。『くだものだもの』『おやおや、おやさい』(共に福音館書店)など絵本画家、イラストレーターとしても活躍。DVD作品集は日本、フランス、北米で発売されている。東京藝術大学大学院映像研究科教授。
『マイブリッジの糸』
時間を止めることはできるだろうか? 時間を反転することは? 映画の発明に大きなインスピレーションを与えた 写真家エドワード・マイブリッジと、母と娘のもうひとつの物語が、時空を超えて織りなす映像詩。カリフォルニアと東京、19世紀と21世紀を往き交いながら、マイブリッジの波乱に満ちた人生に焦点を当て、一方では母親のシュールな白日夢を紡いでいる――それは、人生の過ぎ去る一瞬をとらえたい、幸福の瞬間を凍結したいという、人間の飽くなき欲望を探る、私的な対位法である。サウンドデザインの巨匠、ノルマン・ロジェにより音の世界に彩られ、J.S.バッハ作の透明な音色の上に浮遊する「瞬間」と「永遠」を体感させてくれる。
9月17日(土)より、東京都写真美術館にて3週間限定公開。
映画公式サイト<http://www.muybridges-strings.com/>
摩訶不思議。
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