「僕は一生懸命頑張っている」作家・前田司郎が”反・脱力系”宣言!?
#本 #インタビュー
「脱力系」「自然体」と言われる、その独特の空気感に定評のある劇団「五反田団」主宰で作家の前田司郎氏。2009年に小説『夏の水の半魚人』(扶桑社)で三島由紀夫賞を獲得するなど、近年、劇作家としてだけでなく小説家としても高く評価されている。そんな彼の最新刊『ガムの起源 ~お姉さんとコロンタン』(光文社)が上梓された。辛酸なめ子氏による奇抜な装丁も話題の本書だが、その摩訶不思議な前田ワールドの原点に迫る!
――『ガムの起源』は、お姉さんと謎の生物・コロンタンが「ゴルフのはじめて」や「地獄のはじめて」、「ガムのはじめて」などさまざまなモノの起源を探すために時空を駆けめぐるお話ですが、どのようなコンセプトで書かれたんですか?
「光文社のPR誌『本が好き!』と『小説宝石』で連載していたものなんですが、当初は『まんがはじめて物語』(TBS系)の小説版を書こうと思っていたんです。1話完結で毎回いろいろなモノの”はじめて”を書こうとしていたんですが、1回目から1話完結にならずにどんどん続いていってしまって……。もっと短い予定だったんですが、気が付いたら長編になってしまいました」
――お姉さんとコロンタンというモチーフも『まんが――』からですか? かなりアレンジが利いているようですが。
「『まんが――』は幼稚園のときに見ていたので、アレンジをしたというよりは記憶の彼方にあったものだから、あんまりはっきりとは覚えてないですね」
――作中に、「直木賞を取りたい」とか「『ゴルフ』の章がちょっと長過ぎた」といった会話のやりとりが出てきますが、これは前田さんご自身の本音なんですか? 随所に散りばめられたこの”ぶっちゃけ”感が、独特のスパイスになっているように感じます。
「直木賞は取れないと思うんですが(笑)、”話がちょっと長過ぎた”というのは本音です。なんでもありだったんで、その時その時で思いついたことを書いた、という感じですね。きりがないから無理やり終わらせましたけど、どこまででも続けられるような感じでした」
――「前田」や「前田2」というキャラクターも登場しますが、これは前田さんご本人なんですか?
「そうですね。厳密に言えば違うのかもしれませんが、ほとんど同じです。最初から考えていたわけじゃなかったんですが、途中からストーリー展開に困ってしまって、それで登場させたんです。お姉さんとコロンタンが同じ方向を向いていたので、別の視点を持った人物として書いています」
――そもそも、いつごろから小説を書こうと思っていたんですか?
「幼稚園の時から空想をするだけでいいような仕事がしたくて、ずっとどんな仕事があるかと探ってたんですが、小4の時に物語を書いてみようという国語の授業があって、これはいけると思ったんです。そこから小説家になれたらいいなと思っていました」
――前田さんが一番好きな小説はなんですか?
「『赤毛のアン』ですね。16、17歳のころに読んだと思うんですが、登場人物に『どこかにいそう』な感じがするんです。別段いいやつもいないし、すごく悪いやつも出てこない。そういう、ちょっといいやつかちょっと悪いやつが出てくるというところに共感が持てるんです。僕は芝居もやっているので、リアリティーのことはよく考えます。物語を進めようとすると、作者に都合のいいすごく悪いやつとかがいた方が話を進めやすいから、どうしてもそういう人物を作ってしまいがちなんですが、そうじゃないだろうって気がしていて。それは小説にしても同じです。僕、『はぐれ刑事純情派』に出てくるような不良がすごく嫌なんですよ。女がいると必ず絡んできたり、チーマーだったら大声で怒鳴りながら絡んできたり……そんなやついないじゃないですか」
――今回の本に限らず、前田さんの小説を読んでいると、カッコいいことに対して恥ずかしがるというか、”照れる”という感覚を大事にされているように感じます。
「照れはすごく大事だと思っていますね。照れずにやっちゃうと気持ち悪いんです。カッコいいことを照れずにやると、見ている側が恥ずかしくなってしまいます。テレビドラマなんかでカッコいい人がカッコいいことを言っているのを見ると、自分はいったい何を見ているんだろうと思ってしまいます」
――演劇にしても小説にしても、前田さんのスタイルはよく「脱力系」と評されますよね。
「よく言われるんですが、僕としては一生懸命頑張ってるつもりです。劇評家の方とかがカテゴライズしたがる気持ちはよく分かるけど、そんなきれいに分けられるものじゃないし、意味がないと思うんです。『ゼロ年代』と言われても、それって2000年代のことじゃないですか。そんなのバカでも分けられますよ(笑)。よく”『五反田団』はゼロ年代の脱力的な日常を描いている”とか言われますけど、僕にとっての日常は同世代の人と比べたら非日常のものかもしれないですし。そういう評価は、あまり信用していないです」
――では、前田さんは何を書いているのですか?
「頭や言葉で考えても考えられないことを書けたらと思ってます。死ぬことや生きることについて、芝居や小説を使って考えることで、言葉で考えるよりもう少し深く、違った角度から考えられるんです。書いて何かを伝えたいということではなくて、書くことで何かを考えていますね。それが、お客さんや読者にとっても考える道具になったらありがたいと思います。老人だったり子どもだったり、いろいろな設定で書いていますが、何を題材にしても、自分としては同じことを書いているつもりです。『愛』とか『生きる』『死ぬ』といったことを考えるために書いているんです」
――あわよくば、それを誰かが面白がってくれたらいいと。
「ただ書くだけでは”商品”として成り立ちづらいから、ストーリーを付けたり、最初と最後を作ったりして、一応そういう体裁を保っているんです。糖衣みたいなもんです。薬に砂糖をまぶすみたいに食べやすいように甘くしているだけで、薬本来の効用は変わらないんです」
――小説と戯曲を書く際の違いは、どこに付けているんですか?
「戯曲の場合は生身の人間がしゃべるので、小説より恥ずかしいですよね。シリアスなことが恥ずかしくなるので、それをどう処理するかというところを小説よりも考えます。どちらもお客さんを驚かすことが必要だと思っているんですが、肉体があるのとないのでは違うので、そこに差がありますね。また、自由の方向が違う、という点もあります。例えば「男がいる」って書いたときに、舞台は一人立たせておけば大体こういう男だっていうのが明確ですが、小説の場合はその情報がすごく広いから、いくら「制服を着た30代の男」って書いても、そのとらえ方は人それぞれ違う。だから文章を重ねていって、その情報を狭めていくんです」
――では、小説と戯曲、どちらの方が書いていて面白いですか。
「それは小説ですね。戯曲は書いただけでは完成していなくて、そこに俳優が入って、演出が入って、照明や美術が入って、上演してお客さんが見て、初めて完成する。小説も読者が読んで完成するものだけれど、自分も読者として読めるからそこで完成しますよね。だから小説の方がすっきりするというか。でも、芝居と小説どっちが面白いのかは言えない。戯曲は芝居の一部でしかないですから」
(取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])
●まえだ・しろう
1977年、東京生まれ。劇作家・演出家・俳優・作家。和光大学在学中に劇団「五反田団」を旗揚げ。2005年『愛でもない青春でもない旅立たない』で小説家デビュー。08年『生きてるものはいないのか』で岸田國士受賞。09年『夏の水の半魚人』で三島由紀夫賞受賞。
「アニメ化狙ってます」(編集担当談)
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