「ラジオは都落ちだと思ってた」”ラジオの女王”小島慶子、今だから語れるホンネ(前編)
#インタビュー #ラジオ #小島慶子
TBSラジオお昼の人気番組『小島慶子 キラ☆キラ』。 ビビる大木、神足裕司、宇多丸、ピエール瀧、水道橋博士といったキャラの濃いパートナーたちを相手に一歩も引かないどころか、自由すぎかつ暴走気味なトークでパートナーやリスナーを翻弄しまくり、ラジオ界のみならず各所で評判となっている小島慶子。そんな彼女がラジオへの思いや自分の来歴を語り下ろした本『ラジオの魂』(河出書房新社)についてのインタビューをしようとTBSラジオのスタジオへ伺ったのだが、その会社の中だっつうのにTBSに対する手キビシイ意見がバシバシ飛び出し、聞いているこっちがハラハラしてしまった。
――ラジオを聴いたり、今回の本『ラジオの魂』を読むと「小島さんって変わった人だなぁ……」という印象が強くてですね。こうなった原点、どんな子ども時代を送っていたのかをまず聞きたいんですが。
「父親の仕事の都合で海外にいたこともありましたけど、日本人学校の日本人社会の中で暮らしていましたし、わりとありふれた子どもだったと思いますよ」
――え、ホントですか!?
「まあ、屈託なく人の輪に交ざるのが苦手で身構えてしまったり、転校生に対して通過儀礼的に行われる”いじめ”なんかをサラッとかわすというのができなかったりっていうのはありましたけど。……そういえば、私のことを際立って扱いにくいと思っていた先生もいたみたいですけどねぇ」
――先生に何かやったんですか?
「特に何かやったわけではないですけど、小学校6年生の時の先生が『小島さんは、ものすごく大人びた面と幼稚な面が両極端で中間がないからとても扱いにくい。小島さんのことを考えると胃が痛くなりますよ』って母に言ってたらしいです」
――直接本人には言わないというのがリアルですね。そして、中学生のころからラジオを聴き始めたそうですが、年代的に同級生でラジオを聴いてる人なんてほとんどいなかったんじゃないですか。
「MTV世代ですからね。みんなマドンナのミュージックビデオを見て踊ってる、みたいな時代でしたもん。深夜ラジオがブームだったのは一世代前ですよね。私の場合は姉の影響で『中学生になったらラジカセを買ってラジオを聴きながら勉強するのが格好いい』って思い込んでいたんですけど、学校で『昨日のヤンパラ(『三宅裕司のヤングパラダイス』ニッポン放送)聴いた?』って言っても話が通じるのは数人でした。しかも漫研の子とか、野球選手のおっかけをしている子とか、学校内で地味とかダサイとされている子たちばっかりで……。でも、私は一度もラジオを聴くことが格好悪いなんて思ったことはありませんでしたけどね」
――それだけ中学時代の小島さんにとってはラジオがしっくりきていたと。
「思春期のころって、自分と向き合うのがしんどいじゃないですか。自分自身が『あんまり好きになれないな』と思っている自分と二人っきりになることほど、うっとうしいことってないわけで」
――部屋で一人、無音でいるとどうしても自分と向き合っちゃいますからね。
「『もっとこういう自分だったらいいのに……』とか悶々と考えていると逃げ場がなくなっちゃいますし。そんな時に『こんな面白いことを言って笑わせてくれる人がいる』『同じ番組を愛して同じ時間にラジオの前に座ってる人たちがいっぱいいる』って知れたのは、うれしかったですね。身近にいる家族や友達、先生たちとの関係性が必ずしも快適ではなくて、たまたま今は私の周りにある環境と折り合いが悪いけど、世の中そのものが絶望的なわけじゃなさそうだぞと」
――心を許せる人がどこかにいるだろうと。
「そう思えたのは救いでしたね」
――その当時、自分のどんな点を「好きになれない」と思っていたんですか。
「友達がすごく欲しい、誰かに受け入れてもらいたいと思っているのに、他人との適切な距離の取り方が分からなくて、少しでも近い関係になった人にものすごく期待をしてしまっていたんですよ。それで、ほんのちょっとしたことで裏切られたような気分になったり。そういうのでいちいち傷ついている自分が嫌いでしたね」
――ただ、そんな学生時代を経ていても、TBSのアナウンサーっていう花形の職業に就いたら大成功じゃないですか。そこで野球選手でもつかまえて結婚……みたいな浮かれた生活を送ってもおかしくないのに、小島さんは「局アナとしての職責を全うしなくちゃいけない」「でも自分のやりたいことは……」と、まだ悩んでいたんですよね。
「それは、私が労働組合をやっていたことと、1995年入社だということが影響しているかもしれませんね」
――1995年?
「1995年って、1月に阪神淡路大震災、3月にオウム真理教の地下鉄サリン事件があったんですよ。それで4月にTBSに入社したんですけど、これから自分が出ていこうとしていた社会が、直前になって劇的に変わってしまったわけですね。それまでは、そうそうひどいことなんて起こらないだろうと思っていたのに、そうじゃなかった。ちょっと離れた街では大震災が起こり、自分が生きていかなくちゃいけない街で、誰かが自分を殺そうとしている。これが現実なんだ……って思いながら社会に出たんですね。こんな世の中に住み続けたくはないから、アナウンサーっていう、世の中を変える立場の端くれとして『職業とはなんだ』『職責とはなんだ』っていうのを社会人スタートの段階で考えざるを得なかったわけです」
(後編に続く/取材・文=北村ヂン/撮影=後藤匡人)
●こじま・けいこ
1972年オーストラリア生まれ。商社に勤務する父のもと幼少期を海外で過ごす。95年TBSにアナウンサーとして入社し、2010年6月に退社。現在はラジオパーソナリティとして、TBSラジオ『小島慶子 キラ☆キラ』のメインパーソナリティをはじめ、多方面で活躍中。
●『小島慶子 キラ☆キラ』
「みんなで世間話を楽しもう!」をキャッチフレーズに、個性豊かなパートナーたちと日替わりのテーマで送るトーク番組。毎週月~金13:00~。
公式サイト
<http://www.tbsradio.jp/kirakira/index.html>
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