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『モノ言う中国人』の著者・西本紫乃インタビュー

知らないからこそ理解できない、欧米と中国との「言論の自由」の違い

nishimotoshino0000.jpg西本紫乃氏。

 昨今、急速に発展を遂げ、GDPで日本を抜いて世界第2位の経済力をつけた中国。その経済力と同時に、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞騒動でも明らかになった共産党支配体制の問題は日本でも喧伝されている。いわく、中国内では体制批判はタブー視されている、と。

 しかし、劉暁波氏のようなエリートではなく、一般大衆が中国の現状をどう考えているのか、体制に対してどのような言論が飛び交っているのかなどは、なかなか伝わってこない。実態は、やはりと言っていいのか、インターネットの普及により、一般大衆も「モノ言う」ようになってきており、それに応じてさまざまな事件が起こっているという。

 そうした中国のインターネットやメディア事情を豊富な例で分かりやすく解説したのが、西本紫乃著『モノ言う中国人』(集英社)だ。今回、著者の西本氏に「中国での言論の自由」をテーマに話を聞いた。

――西本さんが中国とかかわるようになったのはいつごろですか?

西本紫乃氏(以下、西本) まず、大学在学中に1年間語学留学をしました。大学卒業後、日本にある中国系の航空会社で2年間、その後、アモイ(中国の福建省南部)の日系航空会社で働きました。そこで、飛行機を飛ばす同じ業種ながら、中国人と日本人とはでいろんなところで考え方が異なることに関心を持つようになったんです。帰国後、大学院で異文化コミュニケーションを勉強し、2007年から10年までは中国の日本大使館で専門調査員として働いていました。

――大使館での専門調査員のお仕事とは?

西本 自分が希望するテーマの調査・研究をして、3カ月に1本レポートを提出することになっています。そのほかには、対日世論動向を見たり、大使館業務のお手伝いをしたりします。

――そこでの調査・研究が本書の執筆の経緯ですか?

西本 専門調査員として北京に赴任した07年に、中国ではインターネット発の大きな事件が増え始め、中国国内でも高い関心を集めるようになりました。そこでインターネットに注視して、中国の有識者の意見を聞いたり、インターネット関連の研究について調べました。それをまとめたものを、大使館での研究発表として発表したところ、大使に面白いと言っていただいたんです。本にしたらいいよ、とアドバイスをいただき、当時、北京にいらっしゃった社会学者の高原基彰さんに相談に乗ってもらいました。

――欧米のメディアや政府は、中国には言論の自由がないことを非難していますが、本書を読むと、中国の一般大衆は言論の自由に対する認識が違うように感じます。まず、中国では憲法上は言論の自由が認められているんですか?

西本 認められています。指導者たちも国家や社会の事柄について、世論による監督をもっと認めようと言っています。

――「中国には言論の自由がない」と日本を含む諸外国ではイメージされていますが、そのギャップはどこから生まれるのでしょうか?

西本 問題は「言論の自由」という言葉が含む意味が、欧米と中国とでは根本的に違っているということにあると思います。大事な点は、中国の憲法では「中国共産党指導の下」という前提が付くということです。だから、憲法よりも共産党の意向が優先されます。「中国共産党の指導の下に歩む社会主義の道」が最も大切にすべきことになります。こうした考え方は、伝統的な中国の権力についての概念と親和性が高く、権力の側にいる人だけでなく、大衆もなんとなくそういうものだと受け入れるところがある。そして自分たちの「言論の自由」の範囲内でしたたかに生きる、というのが大衆の姿です。一方で、劉暁波氏をはじめとする民主活動家たちは、西洋の哲学や学問を学んだ知識人階層のエリートたちです。彼らの言う「言論の自由」は天賦の権利としての「言論の自由」であって、海外から共感されやすいのです。従って中国の政府当局者と欧米の論者が「中国には言論の自由があるかないか」で議論すると、言葉の定義が違うことから、水掛け論になってしまうのです。

――一般の国民たちは、言論の自由がないとは思っていないわけですか?

西本 確かに大衆は、自由にモノが言えないことには不便を感じているし、不満はあると思います。ただ、それよりも身近なことで、自分がいかに損をしないか、うまく立ち回るかということの方に関心が高い。それは権力や財力を持っている人の恩顧にすがったり、法律や規制の抜け穴をうまく突いた者が得をするというシステムが、社会の中に強固に存在するからです。人ではなく法律が物事を決める基準となる西洋の仕組みや、個人の権利の意識の向上など、西洋的な言論の自由があって当たり前という認識とは、ひとつ前の段階から議論をしなければならないのだと思います。

――具体的に言いますと?

西本 北京で地方からの出稼ぎ労働の人たちの子どもが通う「民工小学校」の先生たちと親しくさせてもらい、授業を見学させてもらったり、保護者から話を聞かせてもらいました。北京の市民からするとこうした地方からの出稼ぎ労働者は、彼らの労働力は必要だけど、彼らの生活は邪魔なわけです。できれば子どもは田舎に残してきてほしい。ですから、いくつかの証明書を用意するといった面倒な手続きをしなければ、北京の公立の学校には入れないのです。証明書が用意できたとしても、北京の子どもに冷たく差別されるので、あえて公立の学校には通わせない、という出稼ぎ労働者も多い。「民工小学校」はそうした子どもたちの受け皿となる非認可の私立学校です。

 非認可だから都市開発によって、ある日突然立ち退きを迫られることも少なくない。そうして「民工小学校」はどんどん都市の周縁部に押しやられていく。私からすると、それはとんでもない不条理で、校長先生たちや保護者はとても気の毒な立場に置かれているので「かわいそうな人たち」と思っていました。しかし、実際に当事者に接してみると、そうした不公平な立場に置かれていることへの不満は少なく、割り切ってサバサバしたところが印象的でした。

――それがおかしいことだとは思っていないのですか?

西本 思っていないんです。私たちからすれば、教育を受けさせる権利がないがしろにされていることは問題だと一番に感じますが、彼らは現実的です。民工小学校の校長先生は移転の補償をいかにより多く引き出すか、親たちは次の学校をどうやって探すか、権利を主張するよりも事実を受け入れて、その中で自分たちに何ができるかを考えるのが先です。生きる強さとたくましさを持っています。そういう人たちに「権利の主張をすべきでしょう」とか「言論の自由があって当然でしょ?」と言っても、見向きもされないでしょう。

――しかし、一方で大衆も本書のキーワードのひとつである「話語権(社会全体あるいは特定の集団や組織に対して、自らの考えを認めてもらうために発言する権利、そしてその発言が他者に与える影響力)」を持ち始めていますよね?

西本 話語権というのは概念的なもので、みんなが議論をしたり、庶民が言っていることに政府は耳を傾けて欲しい、おかしいと言っていることは聞き入れてほしい、そういった意識の高まりを表すものだと思います。インターネットの普及によって、より多くの情報に自由に接することができるようになったこと、政治的なタブーや社会通念についての意識がそれ以前の世代に比べて、よい意味で少ない若い人たちがインターネット世論の中心であることが大きいと思います。私は、今後中国ではインターネットを舞台にして、そこで議論することが人々の権利の意識を刺激して、「ナチュラルな民主化」が徐々に広がっていくとみています。

――インターネット上のそうした不満や議論は、国家に監視されないのですか?

西本 ネット上の監視の目は至るところにあるので、まったくフリーではないです。一見したところ、誰でも自由に意見を言えるように見えて、仕組みの部分でまったく自由にはならないようになっています。昔に比べると管理する当局側の手法のレベルもだんだん上がってきているように思います。ただし、どこまでが自由で、どこからがチェックされて人目に付かないように処理されるかというラインはあいまいです。おそらくよほど微妙な問題で中央から指示が出されるような話題でなければ、現場の担当者の判断で処理されているのだと思います。

――それは中国版のTwitter(微博=マイクロブログ)でも同じようなことが言えますか?

西本 最近では、中国版Twitterの利用者が増加しています。ネット上に出てくる民意の量が格段に増え、いちいち管理しきれないという状態になってきていると思います。従来は管理する側の当局は、飛んでくる火の粉を「グレートファイヤーウォール」(万里の長城にちなんで付けられた中国のインターネット検閲システムのこと)で遮断することである程度効果がありましたが、現在は壁の内側で発生するボヤの消火活動に追われるようになっています。2月に発生した「中国ジャスミン革命」騒動がそのよい例だと思います。

――今後、話語権が盛り上がると、世論はどう高まっていくと思われますか?

西本 議論をすることができるようになり、みんなで意見を形成していくことができるようになると、おそらく情報が規制されることがおかしい、もっと自由があっても良いという意見がどんどん高まっていくと思います。そういうところから天賦の権利としての「言論の自由」を求める声へと発展していくでしょう。そうなると政府も民意を無視できなくなると思います。

――本書の出版後の反響はどうですか?

西本 中国で暮らしたり、中国人と仕事をした経験が長い方からは、好評価を頂いています。日本のメディアが伝える中国人一般の感覚とはずれた中国イメージや、いたずらに嫌中感情をあおるような情報に疑問と不快を感じていた人から評価していただく機会が多いです。中国とあまり縁のない方からはあまりご意見が聞こえてきません。日本で一般的に言われている中国のイメージと違うので、本書の内容は間違っているんじゃないかと思われているのかもしれませんね。

――個人的には、中国に対する新しい見方を提供してくれているように思います。

西本 そう思っていただけるとうれしいです(笑)。

 * * *

 ちまたにあふれている中国脅威論ではなく、中国の市井の人々がどう感じているのか、それがインターネットの普及によりどう変わっているのかを知ることができるまれな書だ。近くも理解し難い国の”内面”に迫るために、まずは本書を手に取ってみるのはどうだろうか。
(文=本多カツヒロ)

●にしもと・しの
1972年、広島県生まれ。元・外務省専門調査員(在中国日本大使館)。現在、広島大学大学院社会科学研究科博士後期課程在籍中。専門は日中異文化コミュニケーション、中国メディア事情。

モノ言う中国人

ビシッとね。

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最終更新:2013/09/13 18:52
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