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ドキュメンタリー監督・松江哲明の「こんなマンガで徹夜したい!」 vol.07

『湯けむりスナイパー』の変わらない繰り返しこそが人生の豊かさだ!

photo.jpg『湯けむりスナイパー』
(実業之日本社/全16巻)
ドラマ版のDVD-BOXは8月21日に
発売される。

童貞の絶望と希望を描いた傑作ドキュメンタリー『童貞。をプロデュース』の監督・松江哲明。ディープなマンガ読みとしても知られる彼が、愛してやまないマンガたちを大いに語る──。

 最近、金曜日の夜がつまらない。缶ビールのお供がいなくなってしまったから。そう、テレビ東京で放送されていた『湯けむりスナイパー』のドラマ版が終わってしまったのだ。主演のエンケンこと遠藤憲一のVシネ魂溢れる演技に、着物からお色気を溢れさせる伊藤裕子、ミスター番頭さんことでんでんの好演は思い出すだけで頬が緩んでしまう。何より素晴らしかったのは「殺し屋が老舗旅館の従業員として人生を再出発」という、一見「何言ってんの、番頭さんって変なのー」と劇中の由美ちゃんように笑われてしまいそうな設定を、極めてストイックに描き切った演出。「ほら、ここが笑い所ですよ」と強調するようなオモシロ効果音もなく、登場人物たちを淡々と描き切ったからこそ僕らは休日前の夜に、テレビの前でホッと出来たのだ。

 このホッと感こそがドラマ版にも引き継がれた原作漫画『湯けむりスナイパー』の魅力だと思う。わずか20ページでほとんどのエピソードが完結し、基本設定は決して逸脱することもなく、登場人物たちの人生のある瞬間を描き切る。元殺し屋の源さんは旅館椿屋に集う人たちを厳しい目で観察しながらも、彼らの人情にほだされ、己を見つめる。しかし、それは成長ではない。小さな日常の積み重ね、なのだ。そこがたまらない。待ち、聞き、確認し、問う。夜中に食べるインスタントラーメンの味、女体盛りに興奮し欲望をさらけ出す男たち、野球に試合に一喜一憂する番頭さん、一家心中から生き残った従業員から頼まれるオーディション雑誌、山中で暮らす醜い外見の男の圧倒的な歌声、子持ちのギャルが作る海の家のやきそば、源さん同様、過去を語らない元ストリッパーとの愛情までは届かない友情……どれもが説得力のある画と言葉で僕を沁みさせる。源さんの決め台詞「ウイッス」とともに。

『湯けむりスナイパー』は漫画を読み始めた少年少女に向けられたものではなく、社会と向き合い、挫折を経験し、大人になる自覚させ忘れてしまった、成人男性に届けられている。例えば、初めて訪れた町で午前の営業回りを追え、「ちょっと昼食でも」と入った定食屋のカウンターにスポーツ新聞と共にドサッと置かれた「漫画サンデー」に『湯けむりスナイパー』が、ある。見知らぬ町でも出会えた、いつもと変わらない雑誌にホッとさせられた彼は「静かなるドン」の表紙をめくり、注文した豚しょうが定食を待つ間、源さんと椿屋の面々が語る物語に対峙する。満開の桜の中で花見をするために集まる面々たちの一日を描いた20ページに「あれ、去年もこんな話じゃなかったっけ」と思い出したものの、この変わらない繰り返しこそが人生の豊かさなのだ、と気付かされる。油で汚れた白衣を着こなす店主が注文を「はいよ」と出す。源さんの想う深みのある一句を読みながら、豚肉を口に入れると昨日や今日では作れない年月を感じさせる味こそが歴史なのだ、と気付かされる。そして『湯けむりスナイパー』もそんな味に満ちている、と彼は確信する。

 原作・ひじかた憂峰というクレジットが漫画好きならば誰もが知っている著者の別ペンネームであることは有名だが、ここではあえて明かさない。フラッと出会った豚しょうが定食が一生忘れられない味になるように、『湯けむりスナイパー』ともそんな出会い方をして欲しいからだ。まずは味わってみることが大切なのだ。そしてこの味に痺れたらぜひ他の作品も読んで欲しい。そこには深すぎる一句と、独自の世界観を持つ絵師との格闘が繰り広げられているから。

 ドラマ版のラストは源さんの殺し屋としての一面が描かれ、エンケンのガンアクションが炸裂するという最終回に相応しいものだった。しかし原作は第三部まで続きながらも源さんが人を殺めることはない(回想を除く)。「殺し屋はやめた」という主人公の決意と、そこはまだ描いてはいけないという描き手の決意が僕の中で重なる。源さんにはいつまでも問答しながら「ウイッス」と言い続けて欲しい。それは『湯けむりスナイパー』が永遠に続くことを意味する。

 商店街が寂れ、町の定食屋がありふれたチェーン店に代わったとしたら「漫画サンデー」が置かれることはないだろう。しかし源さんは時代の流れにも抗うこともなく、ただ己の人生を生きる人間だ。新たな場所で過去を背負いながら働き続けてくれるに違いない。その背中から僕らが学ぶべきものは、まだまだ尽きない。

松江哲明(まつえ・てつあき)
1977年、東京都立川市出身。99年、在日コリアンである自身の家族の肖像を綴ったドキュメンタリー『あんにょんキムチ』を発表。同作は国内外の映画祭に参加し、山形国際ドキュメンタリー映画祭アジア千波万波特別賞、平成12年度文化庁優秀映画賞などを受賞。また、07年に公開した『童貞。をプロデュース』が大きな話題を呼ぶ。新作『あんにょん由美香』が7月11日よりポレポレ東中野でレイトショーにて公開中。『ライブテープ』が近日公開予定。ブログ http://d.hatena.ne.jp/matsue/

湯けむりスナイパー傑作選

ドラマ化された15作品を収録

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最終更新:2009/07/23 18:00
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