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日刊サイゾー トップ > 社会  > 田代まさし「獄中で見た景色、あのころの家族の夢」
【ロングインタビュー/前編】

田代まさし「獄中で見た景色、あのころの家族の夢」

tashiromasashi01.jpg東京某所、お馴染みのヒゲとメガネで田代氏は現れた。

 今年の6月に元タレント・田代まさしが3年半ぶりに出所、7月には都内でトークライブを行ったことを本サイトでも伝えた(記事参照)。

 田代氏は04年に二度目の覚せい剤所持が発覚して逮捕・投獄、約3年半の刑期を終えて黒羽刑務所を出所した。その後、雑誌『創』主宰のイベント等に出演するものの、これといって大々的な復帰の話は聞かない。では、現在田代氏は一体どういう生活を送っているのだろうか。我々取材班は東京某所を訪ね、獄中生活と現在の胸中について語ってもらった。

──出所されてから3ヶ月が経ちましたが、体調はいかがですか?

【田代】 体調も良くなって、やっと人間らしくなってきました。”シャバボケ”といって、長年刑務所に入っていた人が出てくると社会に適応するまで3ヶ月程かかるそうなんですが、ようやく自分も現実に慣れてきたと思う。今は毎日散歩をしたりテレビを見たりして自宅療養しています。

──刑務所ではどんなことを考えていましたか?

【田代】 とにかく辛くて、何も考えられなかった。一刻も早くここを出たいと思っていました。それほど人間的な環境ではありませんでした。

 一番辛かったのが、刑務所は夜9時就寝なんですが、僕は夜型人間だったので全く眠れなかったこと。テレビは夜2時間見られるんですが、9時になると一斉に消されるので寝るしかない。しかも、一時間おきに見回りが来るのですぐ目が覚める。中には、北朝鮮の兵士みたいに大きな足音を立てる看守がいて、これがムカつくんですよ。忍者みたいに足音を忍ばせて歩くような優しい人もいたけど、それでも寝つきは良くなかった。仕方ないので睡眠薬をもらって寝るようにしました。多いときには5錠も飲んで……だんだん減らして、最後は1錠で眠れるようになりましたが。

──夢は見ましたか?

【田代】 幸せだったころの……家族の夢は、よく見ました。皆で海外旅行に行ったり、かみさんとケンカしている夢。あんなことで怒らなきゃ良かったな、って思いましたね。

──日中はどういう生活でしたか?

【田代】 風呂は1日おきとか、とても規則正しい生活だった。平日は朝6時半に起床して、朝食後に工場へ出かけて作業をしていました。僕が入った工場は、障害者や老人や政治家などが入るような所だったんです。どうやら、目立たないように、と気を使ってもらえたらしくて。でも、障害者が多かったので、仕事が単純作業で辛かった。紐を通したり、袋を折ったりを延々と繰り返すだけで、時間が過ぎるのが本当に遅く感じました。

──他の受刑者は田代まさし本人だって気がついていましたか?

【田代】 印象的だったのは、『この刑務所に田代まさしが入ったの知ってる?』と聞いてくる受刑者がいたこと。僕の胸には『田代』とはっきり名前が書いてあったので、『俺がそうなんだけど』と返したら、『違う。あの昔歌手だった田代まさしだよ』と言われた。その時、ひげもそって頭坊主で眼鏡もしてないので解らなかったのかもしれない。もしくは刑務所生活のせいで、形相が変わってしまったのかな、ってショックでした。

 そうかと思ったら、ずっと話したことがない同じ年代の受刑者がいたんですが、彼が出所する2日前にね、『大ファンでした、握手してください。もっと話したかったんですが、ご迷惑かと思って。これからも頑張ってください』と言ってきたり。他にも、若い受刑者で『出所したら、償いのために100キロマラソンやりましょうよ』なんて、僕の復帰案を考えてくれた人もいました。

●月給900円、独居房でひとり過ごす日々

──映画のシーンであるような、カマを掘られたり、というようなことはなかったんですか?

【田代】 僕は独居房だったからそういう心配はなかった。でも、オカマの男性がいて、すごく気に入られましたね。刑務所を出たら七夕に会いましょうよ、ってしつこく言われて……。結局連絡は取らなかったけど。

──体罰等はありましたか?

【田代】 体罰はなかったけど、威圧的な看守はいました。怒られたことは一回ありましたね。刑務所って朝飯は一品しかおかずが出ない。前の日にメニューが張り出されるんだけど、次の日の朝のおかずが塩辛だった時があって。僕は塩辛が食べられないので、『嫌だなあ』と思っていたら、前日の晩ご飯にでっかい厚揚げが出た。『これを食べないで残しておこう』と思い、隠しておいて朝になってそれをご飯と一緒に食べてたら、看守に見つかって。そのまま取り調べ室に連れていかれ、その後に所長や副所長全員にこっぴどく怒られた。罰として、半年無事故証を剥奪されて、月給900円のうち500円を罰金として徴収されました。

──半年無事故証というのは?

【田代】 受刑者にはランクがあって、入った時はみんな4等級です。無事故、無違反を続けていると徐々に昇級できるようになって、待遇も変わる。たとえば、3等級まで上がるとお菓子が食べられたり。刑務所には月に一回だけお菓子が食べられる日があるんです。それくらいしか楽しみがないので、食べられないと本当にショックだった。刑務所は飯が不味いですからね。

 ”くさい飯”というけれど、本当に臭い。麦と白米の半々のご飯なんだけど、独特のにおいがする。トイレがすぐ傍にあるせいかもしれないけど。

──休日や年末年始はどう過ごしていたんですか?

【田代】 工場は土日が休みで、その他に、年末年始・お盆・ゴールデンウィークも休みがもらえた。大体は本を読んで過ごすか、寝ていました。

 大晦日は12時まで紅白歌合戦を見せてくれる。年越し蕎麦は出るけどお湯がぬるくて……。年末年始は3日間くらい休みで、ちょっといい映画が放映される。食事もおせち料理が出るんだけど、それが中途半端なものばかりで、逆にシャバが恋しくなりました。

──刑務所の中で読んで印象に残っている本は?

【田代】 感動したのは、リリー・フランキーの『東京タワー』。僕のお袋が九州出身で、しかも僕が売れかかったところでお袋が死ぬ、という設定がリンクして、ほろっとしてしまった。

──薬の禁断症状や性的衝動はなかったんですか?

【田代】 食事の時に配られるお茶に”精力を減退させる薬”が入っているという噂があって……そのせいかは解らないけれど、3年半いる間、オナニーも含めてそういう気は一切起こらなかったですね。

 薬の禁断症状も一切起こらなかった。僕がかかった病気は水虫くらい。3年半の間に、完全に薬は抜けました。

 刑務所の中でも薬物講習があって、自由参加だったので受講してみたけれど、あまり役に立たないものだった。むしろ、薬のことを忘れてるのに何故もう一度思い出さなくてはいけないのか、と逆効果だった。

 出所会見の時に、『病院に行ったほうがいいよ』と言う人もいたけど、せっかく薬が抜けたのになぜまた薬と向き合う必要があるのか。薬を絶つのは最終的には己自身だから、施設に頼るのは納得いかない。覚せい剤のせいで迷惑かけた人の顔がたくさん浮かんできて、今は目の前に薬を出されても捨てる自信がありますね。

 * * *

 刑務所の中で薬は抜けた、とはっきりと言い切った田代氏。確かに、出所直後の会見に比べて顔色も良くなり表情や声も安定し、テレビで活躍していたころとまではいかないが、ずいぶん回復したようにも見える。

 それでは、そもそも何故、田代氏は覚せい剤に手を染めるようになっていたのだろうか……。
後編に続く

刑務所前バス停 〔実録やくざ抗争史LB熊本刑務所〕

田代まさし監督作品。

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最終更新:2008/10/09 15:08
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