新時代・あらゆるコンテンツは「ニコ動」でイジられる!(前編)
#テレビ #メディア #ニコニコ動画
「テレビなんか見ない」と言うわりには、やけに最近のテレビ番組に詳しい奴がいる。彼らが見ているのは「ニコ動」である。コンテンツへの接し方、楽しみ方が激変する現状をめぐって、ネット社会と著作権問題に詳しい白田秀彰氏にお話しを伺った。
――白田さんは著作権問題の第一人者として知られていますが、2011年の地上波デジタル化によって、テレビコンテンツと著作権の関係性はどのように変化すると考えていますか?
白田 コピーによる情報の拡散と共有を基本的な仕組みとするインターネットが、一般化して定着してしまった以上、コピー禁止を中心的な仕組みとする従来の著作権法は、実質的な効力を失うだろうと考えています。また私は、ここ60年ほど支配的なメディアであったテレビ放送は現在、その支配力を失いつつあるか、すでに失ったと考えています。ですから、私は、テレビコンテンツと著作権の問題について、真剣な議論をする実益があるのか、という点から懐疑的なのです。
――ネット時代は著作権の保護が難しいということですか?
白田 保護の実効性を維持できるのかという問題以前のこととして、個人的には、現在テレビ局が放送しているコンテンツが、その保護について議論する状況にあるのか? という疑問を持っています。その疑問の背景にあるものは、「番組の質の低下」と「人々がコンテンツの本質的な位置付けに気づいたこと」です。
――具体的に言いますと?
白田 前者は、90年代に入ってテレビ局の広告収入が激減したことから、番組制作費が減って番組作りが安易で安っぽくなってきたこと。後者は、テレビ局はコンテンツの魅力こそ収益源と考えていたでしょうが、実はコンテンツというものは、コミュニケーションを媒介する「ネタ」であることに多くの人が気づいてしまったことです。番組がコミュニケーションのための「ネタ」であるなら、どれだけ多くの人々にその番組が視聴されるかが重要なわけです。すると、著作権を振りかざして視聴機会を排除することは、番組がもつ話題の支配力を低下させることになる。
――つまり、コンテンツはコミュニケーションツールでしかないと?
白田 テレビ局は、まずコンテンツありきで、視聴率が良ければコンテンツの質が良いからだと考えます。たとえば、80年代なら『8時だヨ!全員集合!』(TBS)とか『オレたちひょうきん族』(フジ)といった番組が数字を稼いでいました。しかし、その高視聴率の理由を考えてみると、「面白かったから」という要因だけではなく、学校のクラスなど「ある一定の集団のほとんどが見ていたから」だと、私は考えています。「昨日のひょうきん族見た?」と話のきっかけを作れるから、私たちは番組を見るんです。人間にとって最大の娯楽とは、他者とコミュニケートすること。同じ番組を見ていることは、共通点の少ない他者とコミュニケートするきっかけとして、もっとも効果的だった。
――極論を言えば、コンテンツは「なんでもいい」ということですか?
白田 そうですね。明治以前は、せいぜい近所の知人の噂話がネタでした。ですから、遠く離れた地域の人と共通の話題をもつことは難しかった。しかし、明治期に全国的に配布される新聞というメディアが誕生して、不特定多数の人間が話題を共有できる状態が生まれました。そこで、初対面の人間同士でもコミュニケートできる「会話の接点」ができた。結局、テレビもその延長線上に過ぎません。「面白いから見る」のではなく、「皆が見ているから面白い」んですよ。
また、かつては、テレビ受像機自体が先端メディアだったから、その所有対象としての魅力から、みんなが一斉に飛びついた。今なら、携帯の新機種を、次々買い換えるのと同じです。かつてテレビ受像機それ自体に、所有したい、見たいという欲望が向けられていた。でも、受像機の販売開始から60年も経って、生まれたころからテレビがある世代に対しては、いくら画像や音声の品質を高めたところで、テレビによるメディア経験を先端的なものとして意識させることは困難でしょう。
番組のネット配信は自殺行為
だが、やらねば先は見えない
――地上波デジタルへの移行に関しての問題点を挙げてもらえますか?
白田 デジタル放送だと電波帯域を効率的に使用できるようになるので、現在の標準解像度の放送ですと、より多くのチャンネルが共存できる。ここに新しい放送局を新規参入させると、チャンネル間競争がよりいっそう激化します。言い換えれば、一局あたりの支配力が低下します。これはまた、限られたパイの広告収入がより多くの局に分散することを意味します。また、新規参入させないのであれば、一局が複数のチャンネルを持つことになりますから、制作しなければいけない番組数が増えることになります。
ところがチャンネルが増えたところで広告収入が増えるわけではないのですから、民放テレビ局には、負担が増えるだけです。そこで、ハイビジョンの価値がでてきます。ハイビジョン映像を流すためには、より多くの電波帯域を必要とします。すると、デジタルに移行しても放送局数とチャンネル数を現在のままに維持することができる。ハイビジョンがより鮮明で美しい映像体験だけを目的に推進されてきたのではなく、現在の放送体制を支える経済的・政治的理由からも必要とされたことを指摘しておきたいと思います。
(若松和樹・構成/後編へ続く)
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